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蓋棺録 アントニオ猪木、佐野眞一、六代目三遊亭圓楽、仲本工事、渡邉みどり

偉大な業績を残し、世を去った5名の人生を振り返る追悼コラム

★アントニオ猪木

プロレスラーのアントニオ猪木(いのき)(本名・猪木寛至)は常に新たな闘いに挑戦した。

1976(昭和51)年、モハメッド・アリと闘って世界を驚かす。リングではアリ側が要求した厳しいルールのため、寝転がって脚を狙うという苦しい1戦だった。当時は「茶番劇」などと言われたが、今は「異種格闘技の先駆」として評価されている。

43年、横浜市に生まれた。実家は石炭商で、11人きょうだいの六男。4歳のとき父が亡くなり、13歳で家族とブラジルに渡った。17歳の時ブラジルを訪れた力道山にスカウトされ、ジャイアント馬場と同時デビューする。

力道山の2人の育て方はまったく違っていた。馬場をアメリカに送り出す一方、猪木は自分の下に置いて厳しく鍛えた。馬場は力道山に殴られたことはないが、「俺はもう嫌になるほど殴られた。しかし、いまは殴られてよかったと思っている」。

馬場をライバルとは思わなかったが、力道山亡き後、アメリカで修行して帰国したときから意識するようになる。2人は日本プロレスに属したが、猪木は改革を叫んで追放され新日本プロレスを結成した。一方、馬場は全日本プロレスを設立して対抗する。

最盛期の70年代から80年代、世界の強豪を何人も招いた。タイガー・ジェット・シンとの闘いでは彼の腕をへし折り、ハルク・ホーガンとの1戦では自分が舌を出して失神しファンを愕然とさせた。「俺は負けると思った相手でも試合をしたんです」。

しかし、76年のアリとの試合は驚いたファンも多かった。異色のプロモーター康芳夫が仕掛けたといわれたが、康は「プロモートしたのは猪木で、僕は相談を受けた」と証言している。その後、康はウガンダの「人食い大統領」アミンとの1戦を企画するが、アミン政権が崩壊して中止となる。猪木は後に「勝つわけにはいかないので、ちょっと悩んだ」と語っていた。

プロレスだけでは満足できなかった。たとえば、サトウキビの搾りかすを発酵させて家畜の飼料にする牧畜ビジネスを始めて、80年、ブラジルで事業体を設立する。しかし、赤字が累積し、新日本プロレスの資金の流用疑惑で社長を一時辞任している。

89(平成元)年には参院選に当選して政治家となる。イラクのクウェート侵攻の際バグダッドで「平和の祭典」を開催し、日本人解放に繋げたといわれた。95年には落選するが、北朝鮮で「平和の祭典」の企画を継続。2013年に再び当選する。

結婚も4回挑戦した。騒がれたのは女優の倍賞美津子との結婚で、離婚した後も交流は続いたという。常に闘う対象を探していた。最後は自分が難病と闘う姿を公開した。「闘うものをなくすと、人は歩みを止めてしまう」。(10月1日没、心不全、79歳)

★佐野眞一

佐野眞一氏 ©時事通信社

ノンフィクション作家の佐野眞一(さのしんいち)は、人間の卑小な欲望から壮大な野望まで、言葉を武器にして肉薄した。

繰り返し語ったのが、中学生のころに読んだ民俗学者・宮本常一の『忘れられた日本人』だった。登場する人物たちはすべて無名だが、宮本の思慮深い聞き書きによって、その人生が輪郭をもって輝き始める。「自分の中に突き刺さるという意味でのエンターテインメントで、僕を無我夢中にさせてくれました」。

1947(昭和22)年、東京の葛飾に生まれる。母の実家が乾物商で、父は婿養子だった。芸能好きの母の影響もあり、子供のころから読書家になる。早稲田大学を卒業して出版社に勤め、業界誌などでレポートを書いた。

初期に注目されたのは81年刊の『性の王国』で、ソープランドで知られた雄琴に入り込み、繰り広げられる性の饗宴を克明に描き出す。92(平成4)年には山村での綴方教育の「その後」を追跡した『遠い「山びこ」 無着成恭と教え子たちの40年』でも高い評価を得た。

96年、『旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三』を上梓する。少年時より尊敬してきた宮本の伝記を、支援者である渋沢との関係を織り込んで書き、翌年には大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。

その前後も、読売新聞を育てた正力松太郎の裏面に迫り、また、最大のスーパーだったダイエー会長・中内㓛の成功と破綻を描くなど、果敢に対象の中に入り込んで、ノンフィクションでは例外的な部数を誇る作家とされた。

その秘密を問われるたび、「大文字でなく、小文字で書くこと」。建前の言葉や流行語ではなく、血の通った言葉を掬いあげるのが、自分のやり方だと繰り返した。

こうした佐野作品の読者からすれば、2012年に週刊朝日に連載を始めた橋下徹をテーマにする「ハシシタ 奴の本性」はあまりに意外なものだった。タイトルから差別的で連載は第1回で中止され、15年、橋下にお詫び文を渡し和解している。

橋下問題が批判されている最中、00年刊の『東電OL殺人事件』で佐野が冤罪と断じたネパール人に無罪判決が下される。検事が無罪と述べる異常さで、読者は改めて佐野の洞察力に感心しつつ、直前の事件に首を傾げた。

自身も「生ける屍」と表現したが、それでも執筆を続け『ノンフィクションは死なない』などを刊行した。常々「記録しなければ記憶されない」と述べていた。(9月26日没、肺癌、75歳)

★三遊亭圓楽

三遊亭圓楽氏 ©時事通信社

落語家の六代目三遊亭圓楽(さんゆうていえんらく)(本名・會泰通)は、シティボーイ風の楽太郎で売り出し、『笑点』でファンをつかんで、三遊亭一門を率いた。

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