この東京のかたち

講談師と講談社――神田松之丞さんの慶事を祝す(前篇)門井慶喜「この東京のかたち」#8

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※本連載は第8回です。最初から読む方はこちら。

 講談師・神田松之丞さんが真打に昇進し、伯山(6代目)を襲名しました。伯山は44年ぶりに復活した大名跡だそうで、私ごとき歴史作家には対岸の火事……と言いたいところですが、じつは密接な関係があるという以上に、何というか、講談師という人々そのものと血をわけた兄弟のようなところがある。

 今回はこの慶事へのご祝儀として、そのへんの事情を述べましょう。舞台はまさかの本郷、東京帝国大学です。

 野間清治という人がいました。明治11年(1878)群馬県桐生市うまれ。両親は武士だったけれど、維新で俸禄をうしなったのでしょう、剣術ものの旅芝居をして暮らしていました。

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野間清治(『講談社の歩んだ五十年 明治・大正編』より) 

清治自身はそうとう頭がよく、高等小学校、師範学校と進学し、東京帝国大学文科大学臨時教員養成所に入り、教職なども経たあげく、同大法科大学の主席書記にむかえられます。

 席書記というのは、こんにちでいう事務局長くらいでしょうか。時あたかも弁論の時代でした。学生たちも弁論部をつくり、 

 ――演説会をやろう。

 という気運がもりあがりましたが、こういうとき戦前の学生というのは、学生だけではやりません。かならず教授の参加をあおぎます。教授もまたこころよく参加する。この演説会は、学内の一教室でおこなわれました。

 弁士には錚々たる顔ぶれがそろいました。

 梅謙次郎(教授)
 三宅雪嶺(哲学者、大学OB)
 松波仁一郎(教授)
 宮岡良平(文部次官)

 学生たちも、少なくとも7人はやったらしい。そのなかには第二次大戦後に総理大臣をつとめることになる芦田均もいたそうですから、こちらもやはり粒ぞろいです。主席書記たる野間清治は、もちろん準備に奔走しました。  

 奔走ついでに、  

 ――事務屋で一生を終わりたくない。

 あるいはもっとハッキリと、 

 ――雑誌を、やりたい。

 という気概があったのでしょう。この贅沢きわまる内輪の会での演説のすべてを筆記させました。事務屋の役得といえるでしょう。

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 筆記の手段は、速記でした。

 速記というのは、いまはもうNHKの国会中継くらいでしか見られなった感がありますが、当時最新のインフォメーション・テクノロジーです。それで演説をぜんぶ文章にして、体裁をととのえ、さらに小さな記事や写真なども加えて雑誌「雄弁」を出したところ、この素人雑誌が大あたりしたんです。

 当時の雑誌は、 

 ――3000部売れれば成功。 

 と言われていたところ、6000部が即日完売したというからたいへんなものです。最高の思想を最高に平易にというのは、むかしもいまも、読者の最高にもとめるところなのでしょうか。野間清治は一躍、帝大的、本郷的エリート主義のスポークスマンとなったのです。

「雄弁」はそれから2号、3号とつづきました。順調なすべりだし。この成功に気をよくして、野間が、

「つぎは『講談倶楽部』を出そう」

 と言ったときの大学関係者のおどろきはどれほどだったでしょう(厳密には誌名はまだ決まっていませんでしたが)。講談というのは寄席(よせ)の芸です。歴史上有名な御家騒動だの、かたき討ちだの、軍(いくさ)物語だのを調子をつけて、パンパン張り扇たたきつつ読んで聞かせるのですから「雄弁」の正反対。 

 それこそ帝大的意識からすれば、低級、通俗、軟派のきわみとされるものでした。もちろん野間は、まわりの人に「やらないか」と持ちかけられたというのもありますし、野間自身、 

 ――さらに売れる雑誌を。 

 という野心もあったでしょう。巷間における講談の人気は、当時、絶頂期にあったからです。

 しかし私はもうひとつ、もっと実務的な問題として、 

 ――この俺が、いちばん有利だ。 

 という計算もあったのではないか、そんな気がするのです。 

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 なぜなら野間には、速記者の人脈がありました。最新のインフォメーション・テクノロジーを駆使して人気のコンテンツを作成する、その段どりをすでにして手中にしている。彼はそれを実現させました。「講談倶楽部」を発刊し、その版元として講談社を創立したのです。 

 版元住所は東京市本郷区駒込坂下町、野間その人の自宅でした。

(連載第8回 後篇に続く)
★第9回を読む。

門井慶喜(かどい・よしのぶ)
1971年群馬県生まれ。同志社大学文学部卒業。2003年「キッドナッパーズ」でオール讀物推理小説新人賞を受賞しデビュー。08年『人形の部屋』、09年『パラドックス実践』で日本推理作家協会賞候補、15年『東京帝大叡古教授』、16年『家康、江戸を建てる』で直木賞候補になる。16年『マジカル・ヒストリー・ツアー』で日本推理作家協会賞(評論その他の部門)、18年『銀河鉄道の父』で直木賞受賞。その他の著書に『定価のない本』『新選組の料理人』『屋根をかける人』『ゆけ、おりょう』『注文の多い美術館 美術探偵・神永美有』『こちら警視庁美術犯罪捜査班』『かまさん』『シュンスケ!』など。
2020年2月24日、東京駅を建てた建築家・辰野金吾をモデルに、江戸から東京へと移り変わる首都の姿を描いた新刊小説『東京、はじまる』が刊行される。


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