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蓋棺録 村田兆治、大森一樹、清水信次、小宮隆太郎、ジェリー・リー・ルイス

偉大な業績を残し、世を去った5名の人生を振り返る追悼コラム

★村田兆治

村田兆治 ©時事通信社

 元ロッテの投手・村田兆治(むらたちょうじ)は「マサカリ投法」で活躍し、現役引退後は離島を回って子供たちに野球を教えた。

 1982(昭和57)年、マウンドで投球中、右肘に異様な痛みを感じる。「ただごとではないと思った」。その後も痛みは取れず、悩んだ末に、翌年、アメリカで左腕の腱を移植する手術に踏み切る。当時は選手の肘にメスを入れるのはタブーだった。

 49年、広島県に生まれる。幼いころ刈田で相撲をとり、小学校を卒業時には、プロ野球の選手を夢見ていた。福山電波工業高校(現・近大附属広島高校福山校)では剛球投手として注目される。

 67年の秋、ドラフト1位で東京オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)に指名され入団した。しかし、コントロールが安定せず苦闘する。腰を鍛えるため走り込み、投球フォームも大幅に変えた。両腕を高くふりかざし、左脚を大きくあげて、一気に投げ下ろす動作から「マサカリ投法」と呼ばれるようになる。

 プロの4年目には12勝をあげ、さらにフォークボールも身につけてチームのエースとなった。打ち込まれて監督が降板を命じても、「これ以上打たれたら球団辞めます」といって、降りようとしなかった。「人生先発完投」を座右の銘としていた。

 妻となる淑子と出会ったのは73年、外資系航空会社に勤めたことのある人だった。結婚後、村田は亭主関白を続け、食事が気にくわないとテーブルをひっくり返したので、妻が「昭和生まれの明治男」と評して話題になる。

 しかし、村田が手術のためアメリカを訪れる際には、献身的にサポートした。村田もつらいリハビリに耐え、85年には17勝して「奇跡の復活」と称賛される。

 40歳で現役引退したとき215勝をあげていた。評論家となり、講演会ではマサカリ投法を実演し拍手喝采される。92(平成4)年から離島の子供たちに野球のコーチをする「豪腕・村田兆治、島を行く」を始めて、島を次々に訪問した。215島を目標としていた。「再訪すると不良だった子が立派な青年になっていて感激します」。

 今年の9月、村田が「暴行で逮捕」とのニュースが流れたとき、何かの間違いだろうと思った人は多かった。空港の金属探知機が何度も鳴るのに腹を立て、女性職員の肩を押したとの容疑だった。鞄に鋏が入っていたという。

 暴行はしていないと主張したが、女性には謝りたいと語っていた。しかし、49日後、成城の邸宅が火事になり、心肺停止の状態で発見されファンを愕然とさせる。

 野球一筋の人生から「野球の求道者」と呼ばれていた。(11月11日没、一酸化炭素中毒、72歳)

★大森一樹

大森一樹 ©時事通信社

 映画監督の大森一樹(おおもりかずき)は、自主製作映画から登場し、新鮮な感覚の作品を発表して若者たちの心をつかんだ。

 1978(昭和53)年公開の『オレンジロード急行』はさわやかでほのぼのとした作風が話題になる。自動車泥棒の老夫婦に嵐寛寿郎と岡田嘉子、追跡する刑事に原田芳雄を配し、トレーラーで海賊放送をする若者たちを絡めたロード・ムービーだった。「このときは25歳で、憧れの俳優さんたちの演技に、ただただ見とれていました」。

 52年、大阪市に生まれた。父は放射線治療医で映画好きだった。母が教育熱心で、そのため兵庫県に引っ越したほどだが、息子は灘中学の入学試験に失敗。その後、六甲高校をへて二浪した後に、京都府立医科大学に合格する。

 しかし、医学を学ぶかたわら、高校時代に始めた自主製作映画に熱中し、書いたシナリオが城戸賞を受けたため人生は大きく変わってしまう。この作品に着目した松竹が大森を監督に抜擢し『オレンジロード急行』でデビューする。80年に医者の卵たちの青春を描いた『ヒポクラテスたち』も高い評価を受けた。

 81年、村上春樹原作の『風の歌を聴け』が話題になり、84年に『すかんぴんウォーク』で主演の吉川晃司を若者たちのヒーローに押し上げ、86年には斉藤由貴主演の『恋する女たち』がヒットした。この間、医師国家試験に6度目で合格してけじめを付けている。

 大森の作品には、映画ファンとの交流で触発された、新しいセンスが端々に光っていた。彼の作品を支持したのも同世代の批評家たちだった。「東京に行った時には泊めてもらい、彼らが関西に来た時には自宅に泊めた」。

 その後も89(平成元)年に『ゴジラvsビオランテ』、91年に『ゴジラvsキングギドラ』に取り組んで、新しい分野に大胆に踏み込んでみせた。96年公開の緒形直人主演『わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語』で日本アカデミー賞優秀監督賞を受賞する。2006年の高岡早紀主演『悲しき天使』も忘れ難い。

 撮影現場はいつもリラックスした雰囲気で、旧来の緊張した撮影所を知っている関係者は不思議に思った。最初の作品でも、嵐寛寿郎や岡田嘉子がにこにこしながら大森と話していたといわれる。

 本人によれば「俺はガイーブ(ガサツとナイーブの合成語)」で、「いちばんの美徳は、わかったような顔をしないこと」と語ったことがあった。常に軽快な関西弁で話していた。(11月12日没、急性骨髄性白血病、70歳)

★清水信次

清水信次 ©時事通信社

 ライフコーポレーション元会長の清水信次(しみずのぶつぐ)は特攻隊員となるが、戦後、売上高日本一の食品スーパーを育てた。

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