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『ある男』は僕の物語 妻夫木聡×石川慶

「愛していた夫がまったくの別人だったら――」40代になった妻夫木が“変身願望”を語る/妻夫木聡(俳優)×石川慶(映画監督)

3度目のタッグとなる妻夫木(左)と監督

「40代の足元が揺らぐ感じ」

 弁護士の城戸(妻夫木聡)は依頼者である里枝(安藤サクラ)から、事故で亡くなった夫「大祐」の身元調査を頼まれる。里枝によると、法要に訪れた「大祐」の家族が遺影を見て「これは大祐じゃない」と言うのだという。やがて、里枝が愛していた夫は「大祐」とはまったく別人の、「ある男」だと判明する――。

 作家・平野啓一郎の代表作『ある男』が、『蜜蜂と遠雷』『Arc アーク』と野心作を立て続けに手がける石川慶監督の手で映画化された(11月18日公開)。主演を務めるのは妻夫木聡。原作を読んだ妻夫木は「同じ40代の僕らとしては、足元が揺らぐ感じ」があったと語る。同世代の俳優と映画監督は『ある男』をどう作り上げたのか。

妻夫木 石川監督と一緒に作るのは『愚行録』『イノセント・デイズ』に続き、これで3本目ですね。

石川 また妻夫木さんとご一緒できて嬉しいです。2017年公開の『愚行録』は僕の長編デビュー作ですが、妻夫木さんありきで進んだ映画でした。

脚本もできていない企画段階のときに、昔、僕が撮ったショートフィルムを見て頂いて、妻夫木さんが「やりますよ」と言ってくれて作品を撮ることができました。

妻夫木 マネージャーから「すごい面白い監督がいる」と教えてもらって、作品を見せてもらいました。監督の作品はいい意味で「日本映画っぽくない」というか、温度感が低い、独特の“におい”がありますよね。「ぜひ! お願いします!」と言ったのを覚えています。

石川 ただ実際には、撮影に入るまでの時間が長く、気を揉みましたね。僕のデビュー作ということもあり、とんとん拍子で進んではいかなくて。

妻夫木さんからも「あの企画、どうなりました?」と何度も聞かれるぐらいで(笑)。

妻夫木 そうでした(笑)。

石川 それでも妻夫木さんが離れずについていてくれたので、無事、完成させられました。それから6年以上の付き合いになりますが、プライベートでも親しくさせてもらいつつ、現場では緊張感を持って向き合えており、理想的な距離感だと思っています。

“変身願望”の物語

妻夫木 監督との仕事は、いつも底なし沼にハマっていくような作品ばかり。『愚行録』は、週刊誌記者が一家惨殺事件を追うなか、登場人物たちの“闇”が次から次へと明かされていく物語でした。

今回の『ある男』は、愛した人が名前も出自もこれまで語られてきた“その人”ではないことが分かったら……という作品です。まったくの別人になりすまして、結婚生活を送っていた窪田正孝さん扮する「大祐」の正体を追いながら、「自分とは何者か」というテーマが描かれていきます。

石川 奇しくも『愚行録』も『ある男』も、妻夫木さんは謎を追う主人公であり、観客にとっては“狂言回し”のような役回りですね。安藤サクラさんの演じる「里枝」から依頼を受けて、弁護士である「城戸」が「大祐=ある男」を追いながら、彼もまた「何もかもを捨て去って、別人になる」ことの蠱惑に魅せられていく物語になっている。

妻夫木 じつは、最初に『ある男』の原作小説を読んだときに衝撃を受けたんです。「これは僕の物語だ!」「なぜここまで理解しているんだろう」って。年を取ったからなのか、「この人生でいいのか」「あのとき違う選択をしていたら、どういう自分になっていただろう」と考え込むことが最近、増えていました。『ある男』はまさに、そういった“変身願望”についての作品なんです。

石川 僕も妻夫木さんとほとんど同年代だから、その気持ちはよく分かります。

妻夫木 僕は今、41歳ですが先日、妻とのあいだに第二子を授かりました。結婚・出産をはじめとして、この年代になると、誰もが人生を左右するような決断を少なくとも一度は経験する。その選択を後から見つめ直したり、はたまた自分の存在意義まで考え込んでしまったりするんですよ。僕の周りでも似たような感じの同世代の友人は多いですね。

それに最近、演じる役柄が新人や研修医といった“未熟”な役が回って来なくなり、役者として「若さを表現する時期」も過ぎた感がある。そんなタイミングでこの作品と出会えたのは本当に良かったです。

「あのとき、こうしていれば」

石川 デビュー作の頃からお世話になっている妻夫木さんに、そう言って頂けてありがたいです。平野さんの原作は“その人”は何者かという謎を追うサスペンスでもあるし、同時にアイデンティティの揺らぎがテーマにもなっていると僕も感じました。

妻夫木 原作にある足元が揺らぐ感触は、まるで鏡の中の自分を見せられているようでした。これまでの人生における失敗を考えてしまって「あのとき、こうしていれば」と後悔したり、あるいはこれから“本当の自分”に変わるんだという考えにとらわれていた時期が僕にもあったので。

石川 妻夫木さんにそんな時期があったとは……。

妻夫木 17歳でデビューしたのですが、たまたまオーディションに受かっただけで、別に役者になりたかったわけではなかった。なんとかなるだろうと軽く考えていたらドラマの現場で何もできず、本当に悔しい思いをした。その後、なんとか仕事を続けてきましたが、役者はゴールのない仕事ですから、苦しくなることも少なくありませんでした。

そこで今回、『ある男』という複数の“顔”を持った人々の物語を演じることで、ようやく自分を肯定できるようになった。理想からほど遠いダメな自分も、「それも含めて自分じゃん」と許せるようになったんですよ。

石川 『ある男』を演じたことで身軽になったんですね。

妻夫木 はい。この映画をきっかけにボクシングを始めたんですが、「始めたからには一定の成果が出るまで続けなきゃいけない」という気持ちも特にありません。きっと、昔ならそう考えていたと思うんですよ。「辞めたくなったら辞めればいい」「今は楽しいから続けているだけ」と考えていて。変化することを恐れずに受け入れられるようになった気がします。

石川 そういえば、共演した窪田正孝さんと同じジムに通っているんですよね?

妻夫木 そうなんです。このあいだ、初めてジムで一緒になったので記念撮影しました(笑)。村田諒太・ゴロフキン戦も一緒に観に行ったんです。

石川 いいですね。『ある男』でも窪田さんのボクシングのシーンは圧巻なので、多くの人に見てほしいです。

妻夫木 本当に素晴らしいシーンですから。

石川 先ほど“本当の自分”にこだわらなくなったとおっしゃっていますが、共感できますね。

僕らの世代って、子供の頃に散々、個性が大切だと教えられてきたじゃないですか。大学を卒業して、就職する頃には「自分探し」という言葉が流行っていましたしね。年の近い妻夫木さんには分かってもらえると思うんですが、こういう考え方にはずっと違和感があったんです。

妻夫木 努力して作った個性は、もはや「個性」ではないですよね。

石川 ええ。だから、この世代に限らず“自分らしさ”から皆、もっと自由になっていいと思っています。

これは原作者の平野さんが書いていることですが、例えば、学校ではいじめられっ子だった子が引っ越して環境が変わっていじめられなくなったとする。このとき、どっちが“本当の自分”かなんて考えなくていいと思うんです。

妻夫木 確かに。

石川 いじめる人間と自分との関係性が問題で、自分の本質がいじめられる人間なんだと考えない方がずっと生きやすいはずです。

共演は安藤サクラと窪田正孝(ⓒ2022「ある男」製作委員会)

この作品に救われた

妻夫木 少し考え方を変えるだけで楽になるし、疲れなくなりますよね。恋愛も同じで、10代、20代の頃はちゃんと告白をして、お互いに好きだと確約をしてから付き合う。でも年を取れば取るほど、好きだから一緒にいる、嫌になれば離れればいいと考えるようになりました。

石川 相手も自分も変わらずに愛し続けるということは難しい。

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