見出し画像

樽谷哲也 味の素 出発点は湯豆腐だった ニッポンの100年企業 最終回

帝大教授が発見した「UMAMI」は国際語に/文・樽谷哲也(ノンフィクション作家)

釣り銭代わりに「味の素」

「味の素」がもともと昆布のだしから抽出したうま味に由来することは広く知られていよう。人の舌が感知する甘味、酸味、塩味、苦味に次ぐ第5の味覚として、世界で認められるようになったのが「うま味」である。いまでは、「AJI-NO-MOTO」、さらに「UMAMI」という国際語にまでなっている。

今年4月から第14代社長を務めている藤江太郎は、40代半ばで中国に赴任したのをはじめ、フィリピンやブラジルの現地法人社長を歴任するなど、海外経験を豊富に持つ。

「日本国内でも海外でも、経済発展とともに当社の商品も進化してきました。うま味調味料『味の素』から始まって、風味調理料の『ほんだし』になり、合わせ調味料『Cook(クック) Do(ドゥ)』、さらに加工度が高くなって加熱すればすぐにそのまま食べられる冷凍食品というように発展しています。海外では、現地の社員が小売店さんだけでなく、お客さまの戸別訪問もして、地道に、徹底して商品を知っていただく努力をしてきた。“現場力”こそ何より重要でした」

藤江太郎社長

藤江自身、フィリピン駐在中、日本人であるとわかると「アジノモト」と声をかけられることがあった。さらに、小さな商店がひしめき合っている市場で肉や野菜、生卵を買ったりした際、店側へ代金を払うと「小銭があまりないので、じゃあ、これで」と、日本にはない小さな袋にパッケージされて売られている「味の素」を釣り銭代わりに手渡されることも少なくなかった。「味の素」という商品がそれだけ広く世界に浸透していることを物語るエピソードであり、地道な営業活動に駐在社員たちがいかに努力を惜しまなかったかが端的に表れている。小銭の代わりにやりとりされるということは、品質もブランドにも世界各地で信用が置かれている証左にほかならない。

海外での小袋販売は1960年代から試みられていたことであり、フィリピンの隅々まで浸透していくと、つづいてインドネシア、ベトナムへと広がっていった。現在、130超の国・地域で味の素グループ各種商品の製造販売事業を展開しながら、法人会社やさまざまな工場、営業所などを構えている。

食堂の卓上に置いてあった

「味の素」の「うま味」とは、昆布や野菜に含まれるアミノ酸の一種であるグルタミン酸である。味の素の主成分はこのグルタミン酸をナトリウム塩にしたグルタミン酸ナトリウムであり、MSGとも略称される。

うま味調味料については、日本国内でも、とりわけ高度経済成長期に、他社の競合品がわんさと存在した時期もあり、家庭の食卓や台所はもちろん、町場の食堂やラーメン店などでも卓上に置いてあるのが当然で、味噌汁に、漬物に、刺身醤油にと、老若男女がぱっぱと振りかけていた。そうした光景は、いまでは昔日のものとなりつつある。しかし、うま味調味料が日本の食卓からなくなったわけではなく、藤江が例を挙げたとおり、さまざまな商品となって、むしろ欠かせぬ食材として広く深く浸透してきたといえよう。

「基礎的な調味料というのは割合に保守的な商品であるからこそ、王道などありません。人のやらないこと、やれないこと、やりたがらないことを徹底してやりきる力が社員たちに根づいていて、その努力の総和が結果として今日のブランド力の蓄積につながっていると本当に感じますね」

目じりに笑い皺の絶えない藤江の柔和な表情は、言葉に裏表のない好漢であることを充分に感じさせた。

同時に、表情を引き締めて、会社の歩みを振り返る場面もあった。

「社訓のような形などでは一切、明文化もされていないことですが、世の中になかった味の素らしい価値を創造して開拓者精神で広めていった歴史の中では、大きな困難にぶつかることの連続であり、それを乗り越えてきたのも歴史のひとつでした。だからこそ、私は味の素グループの社員たちには困難をともに乗り越える力とチームワークというものが根底としてあるのだと思っています」

自ら役割を強調するように話す。

「新型コロナの影響もあるでしょうけれど、2010年代以降の当社が厳しい状況に置かれているのは間違いないことでしょうし、新しい価値を創造する力をより強化していかなければならないと考えています」

本連載で1年間にわたり、日本の会社がときに理不尽とさえいえる荒波を乗り越え、100年を超えて国を代表する存在として歩みを重ね、成長をつづけてきた実例を追ってきた。太平洋戦争と以後の不況などは、その荒波の最たるものであろうが、個々の企業にとって、とうてい本意でなく、予期もできぬ陥穽がときに待ち受けている。真価が問われる。

日本だけでなく、いまや世界中にブランドと品質が認められている味の素社も、「大きな困難」に直面し、会社を挙げて乗り越えてきた。

東京帝国大学教授が発明

藤江をはじめ、味の素社の誰と話していても名前の挙がる人物がいる。

東京帝国大学で化学の教鞭を執っていた理学博士の池田菊苗(きくなえ)(1864─1936)は、湯豆腐のだし昆布に着眼し、グルタミン酸ナトリウムを採取することに成功して製法特許を取得する。1908(明治41)年のことと伝わる。英国で夏目漱石とも交流を深めることになる池田は、ドイツ留学時代、日本人との彼我の体格差を思い知り、帰国後、栄養についての研究に邁進したらしい。社長の藤江も、そうしたエピソードを入社以来よく学んできた。

池田菊苗博士

「いっぱい食べて、健康づくり、身体づくりをするためには、料理をより美味しくさせるものが必要に違いないと、池田博士はお考えになって研究を進めたそうです」

知人を通じて池田と交友のあった相模国(現在の神奈川県)の商家出身の鈴木三郎助(1868-1931)は、池田の協力を得て1909年、「味の素」として売り出した。さっぱり売れず、すぐに中瓶30グラム入りを1円から50銭などに大きく値引きしたとの記録が残る。三郎助は、ひるまずに鈴木商店として会社組織を整えていく(昭和初期に経営破綻に至る商社鈴木商店とは無関係)。国外初めての拠点となるニューヨーク事務所を開設したのも1917(大正6)年と早く、「味の素」を主力商品に事業をつづけた。戦後の1946(昭和21)年、正式社名を味の素株式会社と改める。

オーナーである鈴木家出身の社長が3代つづいた。創業家以外で初めてで、海外留学経験も豊富な国際通でもあり、日本のマーケティング学のパイオニアともなる道面(どうめん)豊信(1888-1981)が1948年より第4代の社長にあった時代に、「味の素」を、旧来の瓶入りから、穴開きの蓋(ふた)を付けたふりかけタイプの容器に変えたところ、急激に売り上げが伸びる。食事の際、とにかく「味の素」の白い結晶をふりかけていたと懐かしく思い浮かべる読者諸賢は少なくないのではなかろうか。同業他社もまた、この時期、「味の素」を模倣した商品を大いに売った。それまで顔馴染みであった商店街の零細店から、大資本の営むスーパーマーケットなどに生活者がなだれを打って移っていった時期とも重なる。

向けられた疑いの眼差し

大量生産に乗り出した当初の「味の素」は、小麦などの天然由来の原料を加水分解して製造していた。しだいに生産に要する時間とコストが商品売価に見合わなくなっていく。研究を重ねた末、石油由来の原料を用いた合成技術を確立し、製造法を移行させた。この成長拡大期に、「大きな困難」に見舞われるのである。

発売当初の味の素

1960年代、中華料理を食べた一部のアメリカ人が食後に喉や胸の不調、頭痛、動悸、息切れなどの症状を訴えるという社会問題が報じられるようになった。当時の中華料理に、うま味調味料の多用されている事例が挙げられ、しだいに、中華料理店症候群(チャイニーズ・レストラン・シンドローム)、もしくは、狙い撃ちをするかのように、グルタミン酸ナトリウム(MSG)症候群と呼ばれるようになっていった。

日本では、うま味調味料は料理番組で「化学調味料」と表現された。当初、負のイメージの伴う形容ではなかったが、少しずつ批判を受けるようになる。ひとつの時代背景として、化学工場の操業によって大気や河川が汚染され、公害が大きな社会問題となっている時期と重なっていたことを挙げる必要はあろうか。人の心の移ろいようは思いもよらない。

海外だけでなく、少なからぬ日本の人びとは、国民食となりつつあった白いうま味調味料に疑いの眼差しを向けるようになっていった。往時の事情を解説する社長の藤江は、やさしい笑みをたたえたままである。

「当時、塩も砂糖も真っ白なほうがピュアのようでいいというイメージが急速に高まっていました。もともと、塩や砂糖と同じ天然由来である『味の素』も、消費者の嗜好がそのように変わってきたのであるならと、あえてコストと手間をかけて活性炭を通すことで、より白くしてきたということも実際にあったんです」

消費者の感覚に敏感であり、健康を重んずる会社なのだと改めて表明すべきであるからこそ、社運を大きく左右する決断に舵(かじ)を切っていく。

現在、たとえば新型コロナウイルスの感染拡大防止や治療薬、ワクチンなどに関する研究と方針について世界の主導権を握りつつあるアメリカ食品医薬品局(FDA)などは、MSGと、その摂取による副作用のような症状に関連はなく、1日あたりの摂取量を制限する必要もないという結論を公表した。やがて、うま味調味料への著しい偏見は鎮まっていくのだが、味の素社は、そうした海外のお墨付きに安住しなかった。

長い研究開発を重ね、サトウキビやトウモロコシ、また、近年ではバイオ燃料にも応用される熱帯の芋類であるキャッサバなどを発酵させることでグルタミン酸を生成する製造法を確立していく。こうした製造の大きな流れと変化を見てゆくとき、加水分解から化学合成へ、さらに自然発酵へと、転換に次ぐ転換を重ねてきたことは強調しておいてよかろう。社長の藤江が味の素社の商品群について静かに語ったように、うま味調味料は、私たちの日々の暮らしに、好むと好まざるとにかかわらず、必要不可欠な食材となっている。

早くから電子分野に進出

看板商品「味の素」の製造法の改良や進化に叡智を結集してきて、優秀な化学者たち、あるいはマーケティング研究に余念のない社員たちは、のほほんと過ごしてなどいない。

ここから先は

3,123字 / 1画像
noteで展開する「文藝春秋digital」は2023年5月末に終了します。同じ記事は、新サービス「文藝春秋 電子版」でお読みいただけます。新規登録なら「月あたり450円」から。詳しくはこちら→ https://bunshun.jp/bungeishunju

文藝春秋digital

¥900 / 月

月刊誌『文藝春秋』の特集記事を中心に配信。月額900円。(「文藝春秋digital」は2023年5月末に終了します。今後は、新規登録なら「…

「文藝春秋digital」は2023年5月末に終了しました。今後は「文藝春秋 電子版」https://bunshun.jp/bungeishunju をご利用ください