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清武英利 「たたずまい」の現在地 記者は天国に行けない⑪

マル暴刑事の家族と食卓を囲む私と、本当の家族との暮らしをつかみ取った彼/清武英利(ノンフィクション作家)

1

警部は雄熊のように肥え、マル暴担当の刑事から叩き上げた刑事にふさわしく、もっこり盛り上がった肩と腹の厚みを誇る警視庁捜査四課の係長だった。今の暴力団対策課のベテランで、7人ほどの刑事を率いていた。

「あの警部の夜回りは自宅に上がりこんで待てるよ」

前任の記者から、そう引き継いだのだが、初めからそれでは図々しいだろうと考えて、その夜は表通りから入った住宅地の春の闇に紛れて彼を待っていた。私は警視庁で知能犯を追う捜査二課に加え、暴力団対策の捜査四課を担当していた。

午後11時を過ぎて、家々の門灯はほとんど消えている。ゆらゆらと揺れる大きな影と足音が近づいてきた。私は張り付いていた隣家の暗がりから飛び出して、「こんばんは」と声を上げた。それが彼の行く手を突然に遮る形になった。

「何だ、お前! 撃つぞお!」

酔っていた雄熊は近所中に響く唸り声を上げ、その大兵肥満に似合わぬ敏捷さで腰に手をやって身構えた。どこかの若い組員が闇討ちでも仕掛けてきたと思ったらしい。その威迫に私は飛びあがった。

父親が刑事だったことは以前にも書いたが、父が革帯ごと押し入れに置いたリボルバー拳銃をいじっていて見つかり、眼から火花が出るほど殴られたことがある。そのときの拳銃の黒光りと不気味な重さ、「なんをしょっとかあ!」という父の怒声を思い出して、悪い汗が噴き出した。股間のものが縮み上がっていた。

「ばかやろう。今度飛び出して来たら、ほんとに撃ち殺すぞ。家の中で待ってろ」

警部にそう説教され、彼が東京のヤクザ相手に身体を張っていることを痛いほどに知った。

暴力団対策法が1992年に施行される、その6年前のことである。暴対法でみかじめ料や寄付金、賛助金など指定暴力団の“米櫃”を徹底して奪い取るまでは、警部らマル暴刑事には、ヤクザの幹部とにらみ合い、腕力で渡り合う職人芸が必要とされていた。

その夜の出来事がきっかけで、平日は汚職担当刑事を追いながら、毎週日曜日の夜に警部の家に上がり込み、彼の家族と食卓を囲む奇妙な日々が3年間続いた。

細身で気っ風のいい夫人は事実婚だ。男役のヅカガールのようなショートカットで、若いころの美貌を残す小作りな顔立ちである。おっとりした中学生のお嬢さんに加えて、他家の娘さんを一人預かり、学校に通わせていた。わけありでいっぱいの温かい家族だった。

そこへ赤の他人の私が、兄貴面でテーブルに加わり、警部の好きなNHK大河ドラマ「独眼竜政宗」や「武田信玄」を見ながら、みんなで黙々と箸を動かす。

途中で「山口組のことですが……」と口をはさみ、「うるさい! 終わってからだ」と怒鳴られる。それでも45分間の黙食に耐えられず、

「だから課長が言うにはですね」

「いいから黙ってろ」

そのやり取りを、夫人や娘たちがクスクスと肘を突き合って眺めていた。

彼との約束は「俺の部下の家には夜回りをかけないでくれ。その代わり、聞かれたことにはきちんと答える」という簡単なものだった。

あれは警視庁の暴力団集中取り締まり月間が終わった直後のことだった。

たまたま平日に夜回りをかけると、警部が帰宅してきて、

「月間(の取り締まり成果)はたいしたことはないなあ」

と答える。なおも尋ねると、鞄から分厚い書類を取り出して、「拳銃があまり挙がらなかったよ」と愚痴った。拳銃の押収をめぐって何かトラブルがあったようだが、私が興味を示さないでいると、退屈したらしく、「ちょっと待ってろ」と言い残して居間からいなくなってしまった。

気が付くと開けたままの黒い鞄から書類の角がのぞいている。(しめた)と思って引き寄せ、ページをめくってメモしていると、小粋な夫人が後ろからのぞきこんで、ささやいた。

「清武さん、メモなんかしてたんじゃ追いつかないでしょ。どこかでコピーして来なさいよ」

ほんの一瞬迷ったものの、

「早く早く!」

という小声を背に、私は弾けるように書類の束をつかみ、玄関に向かって駆けだした。脱兎のごとく、というのはあのことだ。コンビニかどこかでコピーして戻り、息を整えていると、警部がゆっくり顔を出した。

「もういいか」と笑い顔が言っているように見えた。

書類には警視庁管内で四課が関連した主要摘発事件がすべて記されていた。宝の山だ。その裏を取り、1か月ほどかけて順番に紙面化していった。

社会面トップや大見出しの段物記事を次々と張るのは愉快だったが、書いた後に私の心に残ったものはほとんどなかった。広報されたり他紙に書かれたりする前にすっぱ抜いただけのことで、ネタ元に刺さった――情報源に食い込むことを私たちはこう表現した――事件記者なら誰でもできることだった。

教訓は、警部が教えてくれなかったことの中にあったような気がする。

捜査四課担時代の記事(読売新聞1987年12月21日)

2

警部の食卓に加わるようになって2年目の87年11月、捜査四課が4900人の組員を抱える港区六本木の暴力団稲川会本部事務所を捜索した。

その押収物の中に暴力団の交遊を物語る大量のアルバムと資料が混じっていた。私は別の幹部のところでその写真の一部を見て、息を呑んだ。

当時の稲川会は、総裁の稲川角二が「関東のドン」を自任し、その力を誇示していた。北島三郎ら芸能人を招いた新年会や二代目会長襲名式の模様をビデオに撮らせて組員に売ったり、紅白出場歌手や女優らを一流ホテルに集めて豪勢なパーティを開いたりもしていた。

だが、私が見た写真は、紳士のスポーツと呼ばれるプロゴルフの世界にも、暴力団汚染が広がっていたことを示していた。それは稲川会トップの誕生会パーティを写したもので、タキシード姿の稲川会会長・石井進や後に三代目会長となる稲川土肥に囲まれた尾崎将司の姿があった。通算優勝回数113回の「ジャンボ尾崎」である。会場は、花束で埋まった東京都内の高級クラブだった。談笑する彼らの周囲を、カラオケで歌う有名な演歌歌手や女性タレントが取りまいていた。

私はその写真のうち数枚を借り、下調べをして、カメラマンと二人で千葉の尾崎の家をいきなり訪ねた。大勢で行けば警戒して何も話してくれないだろうし、(1、2発殴られるようなことがあればこっちのものだ)という根拠のない気負いがあった。

ところが、前庭に広い練習場を抱える自宅で来意を告げると、

「おう、入ってくれ」

とジャンボの声。ゴルフバッグが並ぶ小屋で、パーティの写真を見せた。すると、彼は「俺のこと以外は活字にしないでくれ」と前置きして、稲川会との十年来の交遊を驚くほど潔く認めた。なるほど「ジャンボ軍団」と呼ばれるプロたちを束ねる器ではあった。

彼が言うには、約10年前にハワイアンオープンに出場した際、稲川会のゴルフツアーに同行したプロゴルファーから彼らを紹介され、飲食に誘われたりゴルフレッスンを頼まれるようになったという。そして、こう言った。

「組織相手というより、個人的なつき合いだよ。交際を強要されたことも、利用されたこともない。しかしこのままだとさらにつき合いが深まることになり、俺を含め、暴力団との交際を自粛すべき時期に来ているのかもしれないな。日本プロゴルフ協会などの指導を待ちたい」

帰路に就きながら、暴力団との交遊が彼のようなトッププロからレッスンプロまで広がっていることを痛感した。そして彼ら自身も暴力団との絶縁を望んでいるということも。それが「この件は協会などの指導を待ちたい」という彼の言葉につながったのであろう。

彼らプロゴルファーは個人事業主である。プロ野球界やサッカー界のような大企業や強固な連盟組織をバックに持たず、暴力団との交遊を禁じる協会規制や自主ルールもない。暴力団幹部からレッスンやプレーを申し込まれても、断りきれないのである。

私は、今回の問題をジャンボ一人の不祥事と片付けることなく、日本プロゴルフ協会に暴力団との絶縁を促すキャンペーン報道にしようと、強く思った。

まず、12月21日の読売社会面で〈ジャンボ尾崎、暴力団と深い交際 稲川会最高幹部らと10年来〉という記事を掲載した。

さらに、プロゴルフ界の草分け的存在の日本プロゴルフ協会相談役・中村寅吉や複数のプロの懇親コンペなどを次々に報じ、日本プロゴルフ協会の厳重注意処分や倫理規定見直しなどに結び付けた。

当時は協会の処置は甘いと考えたが、スポーツ界の人々にもプライドがあり、激変を望まなかった。今回は、プロゴルファーに報道や協会通達を通じて自覚を促し、暴力団との倫理規定見直しという「絶縁の防波堤」を作るだけでも意味がある、と思い直した。

3

報道が一段落すると、あの雄熊警部宅を夜回りして、疑問に思っていたことをぶつけてみた。私は別の幹部のところで稲川会のパーティ写真を見たが、警部ならパーティのことも知っていたはずで、どうして彼は教えてくれなかったのだろう、と思っていたのである。

すると、彼はキョトンとした表情を浮かべた。

「あれは事件じゃないじゃないか。組事務所をガサしたら、いちいち教えなければならないのかよ」

それで警部の関心の在りかがわかった。写真に写っていた暴力団とゴルフ界との癒着について、彼はさほどの興味がなかったのだ。

暴力団が芸能界やゴルフ界に接近し、その交際をひけらかすのも、マル暴刑事にとってみれば、好ましくはないが、ありがちな行為なのだ。警部らにとっての重要事は、暴力団の抗争や事件、それに大きな犯罪につながる拳銃の不法所持や検挙件数なのである。

考えてみれば、私だって彼が「拳銃が挙がらない」と漏らしても聞き流してきた。立場によって関心は違う、という当たり前のことに思いが至らなかったのだ。つまり、「何か変わったことがありましたか」と彼らに尋ねるような御用聞き取材では、事件報告書の綴りをつかむ幸運はあっても、報告書や彼らの頭のなかにある事件以上のものはつかめないのである。

ヤクザ世界を報じる雑誌や最新の情報に目を通し、関心と疑問を持つ。その疑問を引っ提げてから夜回りし、刑事を刺激する質問を繰り返さない限り、従来型のマル暴担当記者で終わってしまう。読者をアッと驚かす、あるいは自分にしか報じられないような本当の特ダネは、他力本願ではなく、夜回り以前に始まる自力の疑問から生まれるということなのだろう。

プロゴルフ界の黒い交際問題の教訓は他にもあった。事実を知れば知るほど、こう思えてきた。

――暴力団の巣食うアンダーワールドについて、実のところ自分たちは何も知らないのだ。

読売新聞の警視庁マル暴担当記者は私を含め3人もいた。と言っても、知能犯を追う捜査二課との掛け持ちで、実際には二課取材に比重を置いていた。私たちは警視庁本部に通い、刑事宅を夜回りして、警察という安全な“覗き窓”から暗黒世界の深い闇を眺めているに過ぎないのだ。暴力と虚栄の現場を知らず、地下世界に人脈もない。それが実によくわかった。

ずいぶん後になって、読売社会部の後輩であるジェイク・エーデルスタインが東京の暴力団社会を舞台にした『トウキョウ・バイス――アメリカ人記者の警察回り体験記』を書き、今春、米国や日本のWOWOWでテレビドラマ化されて評判になった。

彼は上智大学で日本文学を専攻した後、1993年に入社している。米国人としては初の読売社会部記者である。『トウキョウ・バイス』は東京の暗黒社会を意味する言葉で、警視庁刑事や元ヤクザに連れられてヤクザ世界を取材した実体験をもとにしたものだ。裏付けが困難な内容をはらんでいるので、日本では出版できなかったが、「ちょっと米国大使館に行ってきます」と出かけて行き、「その情報はCIAに聞いてみましょうか」とジョークを飛ばす異能の記者を、私は他に見たことがない。

彼は読売を辞めた後、日本外国特派員協会を拠点に、米国のニュースサイトやロサンゼルス・タイムズなどの日本特派員を務め、プロレスラーのような元ヤクザを取材助手に雇い、FBIに暴力団の実態について講演したりしていた。一方で、山口組系組長の秘事を暴露して、警察の保護対象となっていた。ひょうきんだが、暗闇に体を張って立ち向かっている。

警視庁記者時代の私は、彼ほどの突撃魂や野心はなかった。ただ、何も知らないままでは気が済まず、知人を順繰りに辿って、一歩ずつ地下社会を見て歩いた。先輩が誰もやらないのなら、自分がやるしかない。伝聞ではない、第1次情報をがっちりとこの手でつかみたい、という気持ちがつのっていた。

あるときは、石井進の金庫番のマンションに通い、ある日は暴力団のフロント企業専務や「地上げの帝王」、不動産王たちと激しくやりあい、詐欺師や総会屋、相場師と酒を飲んだ。少し後のことだが、広報担当と称する山口組系組長に押しかけられたこともある。本社の会議室で、「記事を訂正しろ」「そんなことできない」とこちらは一人で腹をくくり、半日、押し問答をした。

石井の金庫番の家では、取材後に料理人付きの豪勢な夕食をご馳走になった。まるでレストランのようにメインディッシュは肉でも魚料理でも選べるのだ。私が「どちらでもいいですよ」ともじもじしていると、彼は、

「じゃあ、両方持ってきて」

とこともなげに言って作らせ、広いテーブルに皿を並べさせて、私を仰天させた。

彼らの夫人や愛人は豊満だったり、カマキリのように痩せていたりしたが、いずれも凄絶な美人で、取材しようとすると、ホテルのロビーでからかわれ、中には、「なにしてんの。遊びましょうよ」とスポーツカーで新聞社に乗り込んできて、騒ぎを引き起こした女性もいる。

自動車課から連絡を受けて、1階の専用車止めに走っていくと、そこに車を突っ込んだ艶然たる美女がいて、車の周りに人だかりができつつあった。

「ダメダメ、ここはダメ」

私は慌てて助手席に飛び乗り、彼女の運転で皇居の辺りを一回りした。

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