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【蓋棺録】佐野浅夫、二代目若乃花、山本コウタロー、小田嶋隆、野村昭子

偉大な業績を残し、世を去った5名の人生を振り返る追悼コラム。

★佐野浅夫

俳優の佐野浅夫(さのあさお)(本名・浅雄)は、人気テレビ時代劇『水戸黄門』の主演で新しい黄門像を創り出した。

1993(平成5)年より3代目の黄門役を引き受け「最も庶民的な黄門」といわれる。出演依頼があったとき「人びとの心が分かる黄門を演じたい」と宣言し、涙を流すシーンも多く、「泣き虫黄門」とも呼ばれた。

25(大正14)年、横浜に生まれる。実家は青果商でバナナの切売りが評判だった。父親は息子を農業学校に入れて、店を継がせようと考えていた。しかし本人は旧制中学時代に、築地小劇場で三好十郎の『浮標(ブイ)』を見て感激、俳優になろうと決心する。

親に反対されながら、日本大学芸術学部に入り劇団苦楽座に入団するが、ほどなく召集された。配属部隊は沖縄に出撃する予定だったが、幹部候補生になったため決死隊から外され終戦を迎える。劇団の仲間は巡業中に広島で被爆して亡くなっていた。

戦後はいくつかの劇団をへた後、52(昭和27)年、劇団民藝に入って活躍する。「生き残った自分は皆の分も頑張ろう」という気持ちが強かったという。映画でも『きけ、わだつみの声』『真空地帯』などに出演し高い評価を得る。54年からNHKラジオの『お話でてこい』で童話を朗読し、途中からは自分でも童話を創作して、半世紀以上にわたって子供たちに愛聴された。

68年からのテレビドラマ『肝っ玉かあさん』では、下町の頑固なそば屋の職人を好演して一般にも親しまれる。『水戸黄門』に出演した7年半は、ほぼ一年中、京都のホテルで暮らした。

ところが、放送が始まって5年目に妻が脳梗塞で倒れる。京都の病院に入れて、夜は病院に泊まって撮影所に通うことになった。「妻の介護をしながら、黄門として高らかに笑うというのは、かなり辛いことでした」。

『水戸黄門』が始まってからは、黄門の衣裳で全国の介護施設の慰問も続けていた。「女房が倒れて以降は、介護問題が身に沁みました」。訪問した先々で高齢者の人たちが、佐野の寸劇に喜ぶ体験をしてからは、「撮影所のカメラが、その人たちの目のように思えてきて励みになりました」。

妻を看取って後も、しばらくホテルで「やもめ暮らし」となる。紹介してもらったのが元芸妓で21歳下の女性だった。貸席を経営しながら何かと世話してくれた。

この女性と再婚することになるが、「黄門が若い女とイチャついていると報じられたらまずい」というので、放送中はスタッフを含め固いガードを続けたという。

(6月28日没、老衰、96歳)

★二代目若乃花

元横綱二代目若乃花(わかのはな)(本名・下山勝則)は、甘いマスクでアイドル的人気を誇った。

若三杉だった関脇・大関時代、行く先々で若い女性たちが群がった。その一方、柔らかい身体を生かした技で、全盛期の北の湖や輪島と競い合う。1977(昭和52)年に初優勝をとげ、翌年に全勝優勝したときが力士としてのピークだった。

53年、青森県の大鰐町で生まれる。実家は米穀店で6人きょうだいの末っ子。子供のころからスキーと水泳が得意だった。しかし、本人は「横綱か大関になりたい」と相撲に憧れ、中学を卒業すると初代若乃花だった二子山親方の部屋に入門する。当時は痩せていたが、二子山は資質を見抜き、「将来は横綱になれる」と励ましたという。

しかし、怪我や病気が多かった。足を2度骨折し、痔疾があり、酒の飲みすぎで肝炎になって出世が遅れたが、関脇時代に3場所連続で11勝4敗の成績をあげ大関に昇進する。このころ若三杉ブームが頂点に達し、テレビCMに登場してレコードも吹き込むなど、タレント的な活躍が目立つようになった。

78年、5月場所後の横綱審議委員会は、直前3場所の40勝5敗を「他の例と比べて遜色ない」と判断し、横綱昇進を決定した。マスコミの話題は二子山親方の娘・花田幸子との結婚に移り、週刊誌は2人の「出会い」や「恋」を書き立てる。

80年、結婚式が執り行われたときには部屋の跡取り婿として報道されたが、すぐに暗雲が漂い始め、わずか1年2カ月後に離婚に至った。原因は女性で、銀座だけで何人もいたといわれるが、『みわ』のママ末田侑子の妊娠で報道も下火に向かった。

このころには肝炎に加え痔疾が悪化し、手術を繰り返したが完治は難しいとされた。83年、一月場所に出場したものの、2勝3敗の時点で現役引退を表明する。幕内優勝4回、まだ29歳だった。同年、二子山部屋から分離するかたちで間垣部屋を起こす。その後、妻の侑子が「おかみさん」として奮闘する好意的な報道も見られた。

しかし、2005(平成17)年に支えだった侑子が脳出血で亡くなる。07年には自身が脳出血で倒れた。翌年、唯一の関取だった若ノ鵬が大麻所持で逮捕され、相撲協会理事を辞任するなどトラブルが続く。13年に部屋は閉じられ、姿を消したとの報道もあった。晩年は介護付き住宅に入っていたという。

(7月16日没、肺癌、69歳)

★山本コウタロー

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シンガーソングライターの山本(やまもと)コウタロー(本名・厚太郎)は軽快なフォークソングで登場し、環境学を大学で講義して注目された。

1970(昭和45)年、学生バンド「ソルティー・シュガー」の『走れコウタロー』が大ヒットする。競馬を舞台にしているのに、公営ギャンブル廃止を唱えた当時の美濃部亮吉都知事が登場するなど、パロディに満ちた歌だった。

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