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インチキ免疫療法の陥穽 岩澤倫彦

末期患者を騙し、大金を巻き上げる──そんな自由診療クリニックにご用心!/文・岩澤倫彦(ジャーナリスト)

金沢先進医学センター

科学的事実を隠している

日本のがん医療には、無法地帯というべき闇が存在する。数多くの臨床試験で有効性がないことが証明された免疫療法のことだ。効かないと分かっていながら、自由診療として法の網をくぐり、がん患者から多額の治療費を奪っている。

一体なぜ、このような行為がまかり通るのか。背景を探ると、モラルなき一部の医師やクリニックの実態、そして大学の名前を利用して患者を誤解させる構造が見えてきた。

「抗がん剤は、がんの子分に効くが、親分には効きにくい。再発するのは、親分が暴れ出すから。がんの親分を殺せるのは、ANKだけ。私のクリニックに大学病院の教授が、こそっと身内の治療に来ています」

今年1月、東京・銀座で行われた免疫細胞療法・ANKのセミナーで、講師役の医師は秘密を打ち明けるかのように話した。治療費について、参加者が質問すると――。

「1クールで450万円〜500万円。がんのステージによって、3クールから5クールが必要です。ANKをやると運命が変わりますよ」

このようにセミナーで患者を集めるのが定番だった自由診療クリニックは、新型コロナの影響を受けてインターネットに軸足を移している。それに伴って、以前より巧妙に、がん患者を誘い込むウェブサイトが増えていると、国立がん研究センターの若尾文彦医師は警鐘を鳴らす。

「厚生労働大臣が指定した病院の公的な『がん相談支援センター』に名称を似せたサイトや支援団体を装ったサイトが増えています。相談を受ける体裁をとりながら、がんの自由診療に誘導する恐れがあるので注意して下さい。最近の傾向として、有効性が証明された“標準治療”に自由診療の免疫細胞療法を加える方式が増えました。“上乗せ効果”をアピールしていますが、そのような効果は確認されていません」

がんの標準治療とは、臨床試験で有効性が確認されて保険診療に承認された治療を指す。日本の場合、現時点で最も優れた治療法が標準治療となる。

一方、自由診療の免疫細胞療法とは、がん患者から採取した血液中に含まれる免疫細胞を、培養・増殖させて体内に戻す治療法だ。免疫を強化してがんを退治する、というメカニズムに多くの医療者が注目して、1990年代から大学病院などで多くの臨床試験が実施された。しかし、どれも有効性が証明できず、保険診療に承認されなかった。

この科学的事実を患者に隠して、自由診療クリニックが高額な治療費をとっているのが、現在の免疫細胞療法の実態なのである。その具体的な事例をお伝えしたい。

最後にすがった免疫療法

2020年6月、がん患者の土谷和之さん(当時43)は、クリニックから出てくると、崩れるように路上に倒れた。顔色が異常に黄色い。胆管がんの終末期に特徴的な、黄疸症状だった。


亡くなった土谷和之さん(享年43)

近くに居合わせたタクシー運転手が救急車を呼び、土谷さんは国立がん研究センター中央病院に搬送された。だが、手の施しようがなく、その夜に息を引き取った。

土谷さんは東京大学大学院で社会基盤工学を修了後、三菱総合研究所に入社。主任研究員を務めながら、環境や格差問題の社会貢献活動にも関わっていた。その彼に胆管がんが見つかったのは、亡くなる約1ヶ月前だったと友人は語る。

「お腹がとても痛いので、総合病院で検査を受けたところ、胆管がんが発見されました。膵臓と肝臓に転移したステージ4で治療できない状態です。すぐに緩和ケアを受けるように医師から勧められました」

胆管は、肝臓から十二指腸に胆汁が通過する管だ。胆管がんステージ4の5年生存率は、2.9%(遠隔転移)。膵臓がんと並んで予後が悪い。

緩和ケア病棟の入院予約をとった翌日、土谷さんから友人に「自由診療クリニックを訪ねた」というメールが届いた。

「ネットで、彼と同じ東大出身の医師のクリニックを探したそうです。その医師から『東大の後輩のため特別に頑張る。緩和ケア病棟には待ってもらい、免疫細胞療法をやってみよう』と言われて希望が持てたと喜んでいました」(友人)

「胆管がん ステージ4」とネットで検索すると、上位にこのクリニックが表示される。「心と体に優しい希望の胆管癌治療」というタイトルの上には、小さく「広告」とあった。これは検索内容に即して表示されるクリニックの宣伝で、本来の検索結果ではない。

クリニックのHPには「患者様ご自身の血液を採取し、増殖・活性化するため副作用の心配はほとんどありません」など、がん患者の心を引き寄せるフレーズが並ぶ。

「土谷さんは、生命保険からまとまった額の生前給付金を受け取ったので、高額な自由診療を受ける気になったようです。クリニックの医師のアドバイスに従って、緩和ケア病棟への入院は延期して免疫細胞療法を受けることになりました」(同前)

患者を騙す“偽りの希望”

土谷さんは、免疫細胞療法の準備として温熱療法を受けた後、友人に「これからゆっくりお休みします」とメッセージを送り、クリニックを出た。だが、もう彼には歩き続ける力さえ残っていなかった。

がん治療の専門医である勝俣範之教授(日本医科大学・腫瘍内科)は、土谷さんの血液検査データを見て、こう指摘する。

「数値的には、終末期に近い状態です。ひどい黄疸で肝不全ですから、立っていることさえ辛かったでしょう。この検査値を知っていながら、積極的な治療を勧めるなんて、犯罪レベルだと思います」

終末期の土谷さんに、あえて免疫細胞療法を勧めたのはなぜか。医師に取材を求める文書を送ったところ、本人が電話をかけてきた。

――治療はどの段階だった?

医師「えっとですね、血液は採らせていただいて、培養中に亡くなってしまったという感じですね」

――黄疸が出ていても免疫細胞療法はできるのか?

医師「できますね、全然。実際にうちでは黄疸の患者さんが何人も免疫細胞療法をやっています。保険診療は、要するに安くて美味しい定食屋。自由診療で少しお金がかかっても、もうちょっとなんかないの? という方もいらっしゃるわけです」

――土谷さんは、かなり治療に期待していたようだが。

医師「全員を助けられるわけじゃないけど、道がないように見えて、よく目をこらすと細い畦道が一本あるんですよ。私が叱咤激励して、そこを何とか渡りきると、広い道が広がっていたりする」

――お会いして話を伺いたい。

医師「別にね、怪しげなことをやっているから報道して欲しくないわけじゃないんですけど。やっぱり免疫療法は、まだまだ不完全な治療なんですよ、全然」

電話では饒舌だったが、この医師は対面取材を頑なに拒んだ。

「最後まで希望を与える」と主張する自由診療のクリニックは多いが、前出の勝俣教授はこれを一蹴した。

「それは偽りの希望です。がん免疫細胞療法は明確な有効性が証明できなかった『効かない医療』です。土谷さんが緩和ケアを受けていれば、仕事や社会貢献活動の整理、大切な人との別れの挨拶もできたでしょう。路上に倒れてしまう悲劇も避けられた。偽りの希望で多額の治療費をとり、彼から大切な時間を奪ったことは許し難い」

脱法広告で患者を引き寄せる

「がんは切っても捨てないでください。それが自分のがんと闘う武器になります!」。こんな奇抜な謳い文句で宣伝しているのが「自家がんワクチン」という自由診療の免疫療法である。外科手術で摘出した患者自身のがん組織からワクチンを製造し、「がん細胞を除去する免疫細胞を活性化して治療する」という触れ込みだ。

このワクチンを開発・製造している、セルメディシン社の大野忠夫社長は、理化学研究所の出身で同社は理研ベンチャー、および筑波大学発ベンチャーにも認定されていた。

同社のHPは、目を惹く作りになっている。「がん治療の専門医も驚いた症例の数々」として、骨転移の乳がん、重い脳腫瘍などの治療前後を比較したCT画像がふんだんに掲載されているのだ。そこに「治った!」「骨転移があっても効いた!」「劇的な延命効果」などのフレーズまで添えられている。このHPを見た人は、奇跡が起きるかもしれない、という希望を抱いてしまうだろう。

だが、医療広告規制の審査に関わってきた中川素充弁護士によると、同社のHPは違法性が高いという。

「患者に誤解を与える内容が多く、『治った』『効いた』という表記は虚偽、又は誇大広告の可能性が高い。掲載が禁止されている症例画像も随所に使われている。医療法が改正され、医療広告は厳しく規制されている中で、このHPは度が過ぎていますね。なぜ、放置されているのか不思議なくらいです」

150万円を全額前払い

そんな同社のサイトに引き寄せられた被害者がいる。栃木県の日光街道で人気のラーメン店の経営者だった男性(当時70代)は、2014年に遠位胆管がんの摘出手術を済生会宇都宮病院で受けた。2年後、肝臓への転移が見つかり、標準治療として抗がん剤治療を受けたが効果はなかった。主治医から緩和ケアに切り替える方針が告げられた時、男性がネットで見つけたのが「自家がんワクチン」のHPだった。

「この免疫療法なら転移した胆管がんも治せるらしい!」と妻に目を輝かせて語り、石橋総合病院(栃木・下野市)で治療を受けることを決めた。この病院は栃木県のがん診療機能を担う医療機関に指定され、地域の基幹病院でもある。担当医は男性にこう告げたという。

「あなたのようなケースでも人によっては効果があって、数年生き延びた人も何人かいます」(注・後の裁判で外科医はこの発言を否定)

男性は、同意書にサインして治療費150万円を全額前払いした。

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