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藤原正彦 線路は続くよ 古風堂々30

藤原正彦 線路は続くよ 古風堂々30

文・藤原正彦(作家・数学者) 1年半のコロナ禍を経て、人に会えないことがいかに辛いか、人と会って話すことこそが元気の源であることを思い知った者は多くいるだろう。私なども、長きにわたって築いてきた内密親密濃密な関係の女性達と、ソーシャル・ディスタンス保持不能のため、1年半も会えずすっかり参っている。もう私のことなどすっかり忘れているかも知れない、と考えると目の前が真っ暗になる。 子供や孫と会うのさえ最小限に抑えてきたが、私達夫婦がワクチン接種を終えたこの夏、藤原家全員集合を

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日本にもディベート教育を 久邇邦昭

日本にもディベート教育を 久邇邦昭

文・久邇邦昭(旧皇族・元伊勢神宮大宮司) 何年前だったか山手線に乗っていたところ、4〜5人の高校生と思しき一組がいた。 中の1人が「おい君、日本はアメリカと戦争したのかい」というと、他の1人が「そうらしいな」と返した。 その後、「そいでどっちが勝ったんだ」「さあ知らんな」などと話しているので耳を疑った。 皆さんは本当の話だと思うだろうか。明治以後の不都合な歴史こそ、国民全員が丁寧な考察の対象にする必要があるにもかかわらず、それが現代の教育からすっぽり抜け落ちていること

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千葉雅也 DXとAXの脱構築

千葉雅也 DXとAXの脱構築

文・千葉雅也(哲学者・作家) コロナ禍に後押しされて世の中では業務のデジタル化、いわゆるDXが進んでいるが、僕の執筆ではむしろAX(アナログトランスフォーメーション)が始まっている。たとえば、手書きで書くということである。 と、結局はパソコンのエディタで書き始めた。全面的に手書きに切り換えるのではない。手書きを部分的に復活させることで、デジタルでの執筆に変化をもたらしたいのだ。この5年ほどで僕の書き方は変わり、アウトライン・プロセッサを導入するなどデジタルツールを活用して

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岸惠子《一本の鉛筆があれば……》

岸惠子《一本の鉛筆があれば……》

文・岸惠子  (女優) 拙著『岸惠子自伝』を上梓する時、タイトルが面映ゆかった。『岩波書店』と編集にたずさわった旧友が決めて下さったのだが……。 《岸惠子なんて麗々しく名乗ったって、誰が知るかよ!》と羞恥心を募らせた。けれど、好意的な書評を沢山頂いて、こんどは嬉しくなるという生来のおめでたさでアタマがごちゃごちゃと忙しくなった。そうしたある日、私は書斎を出て、両親が住んだ築90年近い古びた母屋の茶の間へ行きTVの前にだらしなく座った。点けた画面に現れたのは美空ひばりさん。

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尾畠春夫 ワシの修業時代

尾畠春夫 ワシの修業時代

文・尾畠春夫(ボランティア活動家) 最近、ワシのことを書いた本(『お天道様は見てる 尾畠春夫のことば』白石あづさ著)が出たそうで、なんか照れるわぁ。ワシは、新聞は毎朝「大分合同新聞」を1時間半かけて隅から隅まで読むんやけど、本は時間ばっかり取られるんで、ほとんど読まんのです。でも、この本は信頼しとる白石の姐さんが、3年もかけて書いてくれたんで嬉しいですね。見たら、ワシの昔の話もいっぱい出てきます。 ワシは29の歳に地元の別府で魚屋を開業して、最初から65歳になったら閉める

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柳デザインは心になじむ 柳新一

柳デザインは心になじむ 柳新一

文・柳新一(柳工業デザイン研究会理事長) 工業デザイナーだった父・柳宗理が亡くなって、この年末で10年になります。 父は生前、「プロダクトデザインは100年以上あるべき」と語っていました。その言葉どおり、ニューヨーク近代美術館の永久収蔵品であるバタフライスツールのみならず、柳デザインの多くが今も生き続けています。 鍋などキッチンウェア関連の近年の売上を見ると、右肩上がりではないものの、下がりもしません。メーカーがメンテナンスもしていて、100年どころか200年でも使える

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坂上遼 介護のビーナス

坂上遼 介護のビーナス

文・坂上遼(探訪記者・介護人) 昨年7月、68歳にして介護施設で働き始めた。きっかけは94歳の母を亡くしたことだった。20年近く介護どころか孝行らしいことは何一つしてこなかった。「墓に布団は着せられぬ」の後悔から、3年喪に服したという斉の晏子に倣って、その期間くらいは続けてみようと思いたった。放送記者や大学教員、出版人の経験しかない老人が、過去の経歴を捨てて、徒手空拳で赤の他人の、それも一回り以上うえの「老老介護」のスタートだった。 一口に介護と言っても365日気の休まる

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土屋洸子 旧満州・公主嶺の記憶

土屋洸子 旧満州・公主嶺の記憶

文・土屋洸子(平和祈念展示資料館語り部) 毎年8月になると、私は暦の数字を読む。9日はソ連参戦の日、11日は走る列車から飛び降りた日、15日に乗った列車は駅に止まったまま動かなかった。 昭和20年8月9日午前0時、新京(現・長春)にあった敷島高等女学校の寄宿舎で寝ていた私は、ドーンドーンという大きな音で目を覚ました。ソ連軍の空襲だった。 寮生は11日に自宅へ帰ることを許され、私を含む公主嶺出身の3人は疎開列車に乗った。いつもは各駅で停車するのに、この日はどの駅も通過して

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西村京太郎 私の丸めた時刻表

西村京太郎 私の丸めた時刻表

文・西村京太郎(作家) 誰も最初から時刻表で旅はしない。 社会人になったばかりの私もひとり旅ばかりやっていたが、時刻表は無縁だった。旅は、行き当りばったりが本来のもので、時刻表の力を借りるなど、旅の堕落と思っていた。だから、明日、休日となると、その日の夕方、上野駅に出かけて行き、青森行の夜行列車に、飛び乗る。もちろん、寝台などはぜいたくだから、最低クラスの座席である。当時は、寝台、ボックス席、固い二人掛と、いろいろな客車を連ねた夜行列車が走っていたのである。金のない旅好き

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菅原進 ビリーバンバン、アニソンを歌う

菅原進 ビリーバンバン、アニソンを歌う

文・菅原進(ミュージシャン) 兄の孝と、「白いブランコ」でビリーバンバンとしてデビューしたのが1969年。それから50年以上フォークソングを歌ってきましたが、最近、アニメソングなどこれまでほとんど触れたことのない音楽に俄然興味が湧いてきました。 きっかけは2年前の秋、マネージャーが見つけてきた一本の動画です。「ビリーバンバンが歌う小早川紗枝『薄紅』」。「薄紅」とは、「アイドルマスター」というゲームの中のとあるキャラクターが歌うソロ曲です。様々な音源から僕の声を拾い、その曲

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