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蓋棺録<他界した偉大な人々>

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偉大な業績を残し、世を去った5名の人生を振り返る追悼コラム。 ★橋田壽賀子 脚本家の橋田壽賀子(はしだすがこ)(本名・岩崎壽賀子)は家族の情念を生き生きと描き出した。 1983(昭和58)年4月、『おしん』がNHKテレビでスタートする。20歳の時に山形県を旅行した際の見聞を温めてきたテーマで、民放に持ち込んだときには「暗い」と言われ採用されなかった。予想外の反響で「私自身がとまどうほどだった」。 25(大正14)年、現在の韓国・ソウルで生まれる。父は鉱山経営者。堺高等

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偉大な業績を残し、世を去った5名の人生を振り返る追悼コラム。 ★篠田桃紅美術家の篠田桃紅(しのだとうこう)(本名・満洲子)は書道家として出発したが、抽象芸術の領域に大胆に踏み込み衝撃を与えた。 1956(昭和31)年、渡米しニューヨークなどで個展をひらく。鋭い線によって内面を表現する作品は、美術評論家たちに絶賛された。「伝統に基づくモダニズムなのに、そのいずれでもない」。 13(大正2)年、満洲の大連に生まれた。7人兄弟の5番目。従弟に映画監督の篠田正浩がいる。父は岐阜

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偉大な業績を残し、世を去った5名の人生を振り返る追悼コラム。 ★巽外夫 元住友銀行会長の巽外夫(たつみそとお)は、危機の時代に頭取を務め、時宜を得た決断で乗り切り、次世代につないだ。 1990(平成2)年10月、当時の磯田一郎会長が、退任を表明する。しかし巨額の融資が焦げ付いた伊藤萬(後にイトマン)を放置したまま、実際に退く様子はなかった。そこで常務だった西川善文が緊急部長会を開いて磯田の退任要望を決議する。頭取だった巽は、その要望書を携えて磯田に退任を迫った。 23

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偉大な業績を残し、世を去った5名の人生を振り返る追悼コラム。 ★なかにし礼 作詞家で作家のなかにし礼(れい)(本名・中西禮三)はレコード大賞受賞曲を3度作詞し、小説でも読者を魅了した。 新婚旅行で下田のホテルに泊まったときロビーにいた石原裕次郎に声を掛けられる。「新婚の品定めをしていたけど、君たちが一番恰好よかった。君何しているの」。シャンソンの訳詞と答えると「それより流行り歌を書きなよ」。 1938(昭和13)年、満洲の牡丹江市で生まれる。父は酒造業を営み、ホテルや

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偉大な業績を残し、世を去った5名の人生を振り返る追悼コラム。 ★一龍齋貞水 講談師の六代目一龍齋貞水(いちりゅうさいていすい)(本名・浅野清太郎)は、若いときから講談界のホープとして期待され、講談の隆盛のために奮闘した。 2002(平成14)年、人間国宝に認定されたとき、「ちょっと困った」という。まだ62歳、これからだと考えていた。しかし、「これを機会にもっと挑戦しよう」と気持ちをすぐに切り替える。 1939(昭和14)年、東京の湯島に生まれた。父親は浅野宇晴と名乗る

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偉大な業績を残し、世を去った5名の人生を振り返る追悼コラム。 ★小柴昌俊 ノーベル物理学賞受賞者の小柴昌俊(こしばまさとし)は日本の実験物理学をリードして、世界で初めて超新星のニュートリノを把捉するのに成功した。 2002(平成14)年、ノーベル財団からの電話がありノーベル賞授賞を告げられる。受話器に向かって「サンキュー・ベリー・マッチ」と小柴が礼を言うと、集まっていた記者たちが一斉に拍手した。15回目の待機だった。 1926(大正15)年、愛知県に生まれる。父親は陸

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偉大な業績を残し、世を去った5名の人生を振り返る追悼コラム。 ★筒美京平 作曲家の筒美京平(つつみきようへい)(本名・渡辺栄吉)は、時代への感覚を研ぎ澄まし日本のポップミュージックをリードした。 訃報がメディアを駆けまわり、筒美が作曲した歌が次々に流れると、熟年以上の日本人は、そのメロディの多彩さに驚いた。同時に多くの曲が、自分の若かった日々の「バックミュージック」だったことに気づいた。 1940(昭和15)年、東京の神楽坂に生まれる。母の影響で霊南坂幼稚園に通ってい

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偉大な業績を残し、世を去った5名の人生を振り返る追悼コラム。 ★内海桂子 漫才師の内海桂子(うつみけいこ)(本名・安藤良子)は、16歳のときに漫才の世界に入り、観客を笑いの渦に巻き込んで、八十余年にわたり現役を続けた。 1950(昭和25)年、内海桂子・好江を結成。ネタは時事から芸能まで、好江が突っ込んで桂子が呆けたところで三味線を弾き、洒落た寸評を入れて拍手喝采を浴びた。82年に漫才初の芸術選奨文部大臣賞、89(平成元)年には紫綬褒章を受けた。 22(大正11)年、

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偉大な業績を残し、世を去った5名の人生を振り返る追悼コラム。 ★石橋政嗣  元日本社会党委員長の石橋政嗣(いしばしまさし)は、同党の「現実路線」を推進して苦闘した。  1980(昭和55)年刊行の『非武装中立論』は反響が大きかった。他国から攻撃された場合について、「私は誤解を恐れず、思い切って『降伏した方がよい場合だってあるのではないか』ということにしています」と述べた部分には賛否が渦を巻いた。  24(大正13)年、台湾の台北に生まれる。父親は総督府の官吏で、台北高

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偉大な業績を残し、世を去った5名の人生を振り返る追悼コラム。 ★八千草薫  女優の八千草薫(やちぐさかおる)(本名・谷口瞳)は、可憐な娘役でデビューして以来、さまざまな役に挑戦したが、楚々とした美しさは変わらなかった。  1977(昭和52)年、山田太一脚本の『岸辺のアルバム』では不倫をする主婦を演じて衝撃を与えた。話がきたとき最初は断ったが、山田が「本気で夫以外を好きになってしまう女性を演じていいのです」と再度頼むと、「それなら」と引き受けたという。  31年、大阪

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