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【蓋棺録】益川敏英、サトウサンペイ、千葉真一、江田五月、笑福亭仁鶴〈他界した偉大な人々〉
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【蓋棺録】益川敏英、サトウサンペイ、千葉真一、江田五月、笑福亭仁鶴〈他界した偉大な人々〉

偉大な業績を残し、世を去った5名の人生を振り返る追悼コラム。 ★益川敏英 素粒子物理学者の益川敏英(ますかわとしひで)は、宇宙の起源を解明する「CP対称性の破れ」を理論化しノーベル賞を受賞した。 2008(平成20)年、ノーベル賞受賞が決まったとき感想を聞かれ「たいしてうれしくないです」と答えた。このとき舌を出す様子が報じられると世界中が驚いた。 1940(昭和15)年、名古屋市に生まれる。父は家具職人だったが、戦後、砂糖問屋を始め、益川も重い砂糖袋を担いだ。電気技師

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【蓋棺録】辻久子、酒井政利、藤田紘一郎、李麗仙、ドナルド・ラムズフェルド〈他界した偉大な人々〉
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【蓋棺録】辻久子、酒井政利、藤田紘一郎、李麗仙、ドナルド・ラムズフェルド〈他界した偉大な人々〉

偉大な業績を残し、世を去った5名の人生を振り返る追悼コラム。 ★辻久子バイオリニスト辻久子(つじひさこ)(本名・坂田久子)は、天才少女として注目され、戦前から戦後にかけて日本のクラシック音楽を支えた。 1973(昭和48)年、久子の演奏会が普段以上の大盛況となった。直前、3500万円のストラディバリウスを買うため自宅を売ったと報じられ、その音色を少しでも聴きたいと、聴衆が殺到したからだった。もちろん、客寄せに使おうなどとは思わなかったが、「展示会で弾かせてもらったら欲しく

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【蓋棺録】小林亜星、根岸英一、寺内タケシ、若山弦蔵、エドワード・デ・ボノ〈他界した偉大な人々〉

【蓋棺録】小林亜星、根岸英一、寺内タケシ、若山弦蔵、エドワード・デ・ボノ〈他界した偉大な人々〉

偉大な業績を残し、世を去った5名の人生を振り返る追悼コラム。 ★小林亜星 作曲家で俳優の小林亜星(こばやしあせい)は、斬新なメロディを生み出すいっぽう、頑固で古風な日本の親父を生き生きと演じた。 1974(昭和49)年から始まったテレビドラマ『寺内貫太郎一家』は平均視聴率31.3%を記録する。ディレクターの久世光彦が「小林でやりたい」と言うと、脚本の向田邦子は難色を示した。当時、小林は長髪にサングラス。そこで小林を坊主刈りにし、法被を着せて引き合わせたところ、向田は「こ

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蓋棺録<他界した偉大な人々>

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偉大な業績を残し、世を去った5名の人生を振り返る追悼コラム。 ★河合雅雄 霊長類研究者の河合雅雄(かわいまさを)は、ニホンザルやゴリラの観察を手掛かりに、人間が誕生した秘密に挑戦し続けた。 1950年代、宮崎県沖の幸島に生息するニホンザルの観察に参加する。いくつも発見があったが、最も驚いたのは餌を水で洗う「イモ洗い」をするサルが登場し、その行為が他のサルにも普及したことだった。「私たちはサル文化と呼んでいました」。 24(大正13)年、兵庫県の篠山町(現・丹波篠山市)

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蓋棺録<他界した偉大な人々>

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偉大な業績を残し、世を去った5名の人生を振り返る追悼コラム。 ★橋田壽賀子 脚本家の橋田壽賀子(はしだすがこ)(本名・岩崎壽賀子)は家族の情念を生き生きと描き出した。 1983(昭和58)年4月、『おしん』がNHKテレビでスタートする。20歳の時に山形県を旅行した際の見聞を温めてきたテーマで、民放に持ち込んだときには「暗い」と言われ採用されなかった。予想外の反響で「私自身がとまどうほどだった」。 25(大正14)年、現在の韓国・ソウルで生まれる。父は鉱山経営者。堺高等

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蓋棺録<他界した偉大な人々>

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偉大な業績を残し、世を去った5名の人生を振り返る追悼コラム。 ★篠田桃紅美術家の篠田桃紅(しのだとうこう)(本名・満洲子)は書道家として出発したが、抽象芸術の領域に大胆に踏み込み衝撃を与えた。 1956(昭和31)年、渡米しニューヨークなどで個展をひらく。鋭い線によって内面を表現する作品は、美術評論家たちに絶賛された。「伝統に基づくモダニズムなのに、そのいずれでもない」。 13(大正2)年、満洲の大連に生まれた。7人兄弟の5番目。従弟に映画監督の篠田正浩がいる。父は岐阜

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蓋棺録<他界した偉大な人々>

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偉大な業績を残し、世を去った5名の人生を振り返る追悼コラム。 ★巽外夫元住友銀行会長の巽外夫(たつみそとお)は、危機の時代に頭取を務め、時宜を得た決断で乗り切り、次世代につないだ。 1990(平成2)年10月、当時の磯田一郎会長が、退任を表明する。しかし巨額の融資が焦げ付いた伊藤萬(後にイトマン)を放置したまま、実際に退く様子はなかった。そこで常務だった西川善文が緊急部長会を開いて磯田の退任要望を決議する。頭取だった巽は、その要望書を携えて磯田に退任を迫った。 23(大

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偉大な業績を残し、世を去った5名の人生を振り返る追悼コラム。 ★なかにし礼 作詞家で作家のなかにし礼(れい)(本名・中西禮三)はレコード大賞受賞曲を3度作詞し、小説でも読者を魅了した。 新婚旅行で下田のホテルに泊まったときロビーにいた石原裕次郎に声を掛けられる。「新婚の品定めをしていたけど、君たちが一番恰好よかった。君何しているの」。シャンソンの訳詞と答えると「それより流行り歌を書きなよ」。 1938(昭和13)年、満洲の牡丹江市で生まれる。父は酒造業を営み、ホテルや

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蓋棺録<他界した偉大な人々>

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偉大な業績を残し、世を去った5名の人生を振り返る追悼コラム。 ★一龍齋貞水講談師の六代目一龍齋貞水(いちりゅうさいていすい)(本名・浅野清太郎)は、若いときから講談界のホープとして期待され、講談の隆盛のために奮闘した。 2002(平成14)年、人間国宝に認定されたとき、「ちょっと困った」という。まだ62歳、これからだと考えていた。しかし、「これを機会にもっと挑戦しよう」と気持ちをすぐに切り替える。 1939(昭和14)年、東京の湯島に生まれた。父親は浅野宇晴と名乗る日本

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蓋棺録<他界した偉大な人々>

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偉大な業績を残し、世を去った5名の人生を振り返る追悼コラム。 ★小柴昌俊 ノーベル物理学賞受賞者の小柴昌俊(こしばまさとし)は日本の実験物理学をリードして、世界で初めて超新星のニュートリノを把捉するのに成功した。 2002(平成14)年、ノーベル財団からの電話がありノーベル賞授賞を告げられる。受話器に向かって「サンキュー・ベリー・マッチ」と小柴が礼を言うと、集まっていた記者たちが一斉に拍手した。15回目の待機だった。 1926(大正15)年、愛知県に生まれる。父親は陸

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