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宿敵|田中慎弥

宿敵|田中慎弥

著名人が母親との思い出を回顧します。今回の語り手は、田中慎弥さん(作家)です。 宿敵いまに至るまで、母は私の小説を、なんだか難しい、よく分らない、と言うばかりで一度も誉めたことがない。考えてみれば、難しい、というのはいわゆる純文学に対する世間一般の、感想でもあり批判でもあるだろう。母はそういう、世間一般の人間だ。ごく若い頃から世の中に出て、真面目に、まともに働き、自分の人生を作り上げてきた。その母から見れば、高校を卒業して以降、進学も就職もせずにぶらぶらし、親の金で本を買っ

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印象的な父の姿|小島よしお

印象的な父の姿|小島よしお

著名人が父親との思い出を回顧します。今回の語り手は、小島よしお(お笑いタレント)です。 印象的な父の姿久しぶりに実家に帰って当時の父の選挙ポスターを見て驚いた。 父はまだ35歳だった。今の自分の5つも下。ポスターの父の満面の笑み。 そういえば、思い出す父の顔はいつも笑っている気がする。 父は国会議員選挙に計6回立候補しているが全て落選している。言葉にするとあっけないけど毎回相当な労力があったと思う。母が僕を里帰り出産(久米島)したのも選挙運動が忙しい影響だ。ストレスか

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2つの祖国|冨山和彦「私の父、冨山久二は昭和6年に和歌山からの日系移民2世としてカナダ、バンクーバーに生まれた」

2つの祖国|冨山和彦「私の父、冨山久二は昭和6年に和歌山からの日系移民2世としてカナダ、バンクーバーに生まれた」

著名人が父親との思い出を回顧します。今回の語り手は、冨山和彦(経営共創基盤グループ会長)です。 2つの祖国 私の父、冨山久二は昭和6年に和歌山からの日系移民2世としてカナダ、バンクーバーに生まれた。やがて日本と米英両国の関係が悪化する中、昭和16年の夏、10歳の時に家族とともに日本に戻っている。 戦後、父は神戸大学を卒業して名門商社、江商に就職する。単身での海外勤務が多かった父と長く一緒に過ごす最初の機会が、昭和41年、西オーストラリアのパースに家族で駐在したときのこと。

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自分のことは自分で|谷川俊太郎

自分のことは自分で|谷川俊太郎

著名人が母親との思い出を回顧します。今回の語り手は、谷川俊太郎さん(詩人)です。 自分のことは自分で母をおふくろと呼んだことはない。友人との会話で呼んだことはあったが、どこか不自然だった。ずっとお母さんと呼んでいて、変わったのは私に子どもが生まれてからで、それから母はおばあちゃんになった。 一人っ子だったせいもあって母との結びつきは強かったが、私がそれを意識したのは、20代のはじめに結婚してからだ。私が子ども時代と同じに当然のように母と風呂に入るのを、妻がひどく嫌がったの

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父との距離感|杉山愛

父との距離感|杉山愛

著名人が父親との思い出を回顧します。今回の語り手は、杉山愛(元プロテニスプレーヤー)です。 父との距離感私は、母よりも父に似ている。 母は発想や行動が柔軟なタイプで、新しいこともすぐにキャッチアップして自分のものにしてしまう人だ。常に前へ前へ行こうという、大きなエネルギーに満ち溢れている。一方の父は真面目にコツコツと頑張るタイプ。現在は引退しているが、父は歯科医だった。自身の歯科医院を開業後も専門知識の勉強を絶やさず、医師向けの講習を受けにいったりしていた。常に自分を磨い

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私の応援団長|はな

私の応援団長|はな

著名人が母親との思い出を回顧します。今回の語り手は、はなさん(タレント・モデル)です。 私の応援団長5人姉妹の4番目に産まれた母。父親が中国人、母親が日本人のハーフで、子供の頃は「中華街の美人5人姉妹」と呼ばれていたそう。娘の私から見ても、おばも母もみんな美人でスタイル抜群。今年74歳になる母は週3回、近所のバレエ教室に通っています。トウシューズを履いてクルクルと回っている動画を見せてくれたり、実家に帰ると180度の開脚スタイルで迎えてくれる母は、いくつになっても元気で陽気

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仕事と母と|柴崎友香

仕事と母と|柴崎友香

著名人が母親との思い出を回顧します。今回の語り手は、柴崎友香さん(作家)です。 仕事と母と今、BSで「あぐり」の再放送をしている。90歳を過ぎても美容師の仕事を続けていた吉行あぐりさんの姿をテレビで見るたび、あぐりさんみたいに何歳になっても美容師を続けるのが夢だと母は言っていた。 広島生まれの母は、中学卒業後からずっと美容院で働き、結婚を機に大阪に移ってからも仕事を続けた。わたしと2つ下の弟は、創設1年目の保育園に入った。ときどき、時間を過ぎても迎えの来ない子供が何人かい

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2つの教え|ウスビ・サコ

2つの教え|ウスビ・サコ

著名人が父親との思い出を回顧します。今回の語り手は、ウスビ・サコさん(京都精華大学学長)です。 2つの教えアフリカのマリ共和国で生まれた私は、幼少期を首都・バマコで過ごした。税関職員の父、専業主婦の母、妹と弟と私という5人家族だったが、当時の実家には他にも大勢の人間がいた。父方の祖母、伯母、従兄弟のような近い親戚から、親戚の知り合いの知り合いというよく分からない人まで、20~30人ほどの人間が我が家で生活をしていたのだ。これはマリでは珍しいことではない。 家では父は寡黙

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父との距離感|壇蜜

父との距離感|壇蜜

著名人が父親との思い出を回顧します。今回の語り手は、壇蜜さん(タレント・女優)です。 父との距離感 先日、亭主の清野さんと眼鏡を新調しに行った。眼鏡店で検査やフィッティングを行い、最終的に決めた眼鏡をかけて亭主にみせたら、彼はくすくすと笑った。どうしたのかと聞くと、「お父さんが見えるよ」と言った。つまり、眼鏡姿の私に我が父の面影を見たらしい。亭主と父は仲が良く、連絡も取り合うし飲みにも行く。酒の強い父にタジタジになりながらも、上手く関係を作っているようでありがたい。ちなみ

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感謝しかない|石川直樹

感謝しかない|石川直樹

著名人が母親との思い出を回顧します。今回の語り手は、石川直樹さん(写真家)です。 感謝しかない ぼく自身は、地球上のあちこちに出かけているというのに、東京出身の母はつい最近まで飛行機に乗ったことがなかった。本州から出たことがないどころか、長野や福島あたりに家族旅行で出かけたのが、家から離れた最長距離だった。どうしてそんな母親から、こんな放蕩息子が生まれてしまったのか、と本気で思う。 ただ、おそらくぼくは、父よりも母の影響を多分に受けている。自分が幼い頃は盛んに折り紙やぬ

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