文藝春秋digital

将棋短歌|先崎学

文・先崎学(棋士) なにかできないかな、と思った。今年のお正月過ぎのことである。東京はコロナ患者の急増で緊急事態宣言の再発令が決っており、暗いムードにつつまれていた。 別に面倒なことをしなくてもよいのだが、おりからの将棋ブームで、ファンは情報を欲している。対局以外の活動はほぼ止っ…

短歌|飯田有子

春と校正者 「悔しがる人は伸びるよ」新人われを慰めし言葉新人に言う 折り紙の指示の誤植の(あしびきの)やまありたにあり・やまありたにあり 残業のつづく後輩の机には日々増えていく推しの笑む顔 晴れた日は意味無きことば連ねたし半濁音だけの鳥の鳴き声 病み上がりの作家の痛み思いつつ震え…

短歌|俵万智

領収書 シャンパーニュ君と飲みしはどの冬か原美術館の閉館を知る オンライン授業垣間見してみれば源氏が女を垣間見ており 正しさが大暴落をする時代マスクの中に何か隠して もらい事故のように出てくるキスシーン息子と見ているテレビドラマに 二人に一人は癌の時代と聞きながらならないほうに自…

短歌|井上法子

孤高 顔のない鴎がきみを連れてゆく夕まぐれ もう泣き止んでいる にんげんは自分をせいいっぱいに好き。母父(おもちち)の小火のような微笑み 水はひかりに追い詰められて耀けり(気がするだけの賢さだ、まだ) 夕映えにひそむさみどりおもかげはおぼつかなくてあまりに無力 記憶はいつだって好…

短歌|野口あや子

水煙草 見つめたるのちのあなたの目のゆらぎ 風に混じるがごとく光って 水煙草ゆっくり吸って吐き出せばうすもののごとたゆたう煙 クッションをいくつも積んで膝頭緩めて語る小説のこと ココナッツの炭をトングで返すときの短く切った爪のセクシャル ロングシャツ揺らがせなびかせ揺蕩わせまだど…

短歌|鈴木晴香

言ってしまえよ 青色のコンビニエンスストアへ花火を買いにずっと海沿い ライターの冷えてゆく夜じゃんけんをしないほうの手ぶらさげている ろうそくが溶ける はじめの一滴のそれはあまりに静かな合図 くちびるを離せば話すしかなくて夢中にならないように刺す釘 引き合いに出されることの悲しみ…

短歌|木下龍也

はな、ればなれ 染み込んだつゆに衣をうばわれる痩身の海老のように起床 空き缶の日の空き缶に早朝のごみ捨て場まで連れて行かれる こころっていつもからだについてきて歩行の邪魔をするからきらい 花を嗅ぐひとときだけは許されたような気持ちでマスクを外す くちづけのたびに明度は低くなりあな…

短歌|永田和宏

この夏の死 限りなくこの夏に死にしクマゼミのなかのひとつが地にもがきゐる この辺でもういいだらうと現(うつ)し身(み)の抜けたる痕(あと)が幹にすがれる 九〇万とふ死の数とほうもなき数の その数だけの悲しみをこそ “It's people, not number”テドロスの言葉はすでにとほく忘れつ 笑…

短歌 / 小島なお【全文公開】

Cコード 冷蔵庫に貼るマグネットM・Oは死者のイニシャル白葡萄の絵 使わなかった傘を手すりに引っ掛けて余計さみしくなるのに待てり そのなかに自分が入っているようなギターケースの黒革に雪 コードならCの和音の雪降りて曲線帯びる木々の輪郭 それぞれに在れど群れつつ剥き出しの心のような海猫…

短歌ーー東直子【全文公開】

赤い猫 車掌さん、車掌さん、と呼んでみる ガスの炎や煮えたぎる湯を 寿歌(ほぎうた)はひとりひとりの花野なり二両列車が遠くでひかる 昆布だしの泡動きつつ消えゆきぬ勝ち気な人が落ち着いている 赤い猫かわいがっていたよねとささやかれつつゆく隅田川 地下室と屋根裏部屋を感情がつなげて安…