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#演劇

蜷川幸雄 灰皿飛ぶ稽古場へようこそ 松重豊 100周年記念企画「100年の100人」

世界的な名声を博した演出家の蜷川幸雄(1935~2016)。師事していた松重豊氏が出会いを綴る。/文・松重豊(俳優) 松重さん 水戸黄門を観ていると、あくどい代官に騙される気弱な町人役などで時時出てくる人がいた。子供ながらにお芝居がさほど上手くないのがみてとれて、私は「下手クソな藤田まこと」と名づけていた。その後CMで見かけた時は、「演出家の~」と呼ばれていたから転職でもされたのかと思ったのが当時の率直な印象だ。 時を経てバブル前夜の卒業間近、まだ遊び足りないのでお芝居

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寺山修司 殴れなかった、あの顔 麿赤兒 100周年記念企画「100年の100人」

劇団「天井桟敷」や映画制作などで、前衛的な作品を数多く残した寺山修司(1935~1983)。同時代を並走した麿赤兒氏が秘話を語る。/文・麿赤兒(舞踏家) 麿赤兒氏 私が寺山さんに最も“近づいた”瞬間は、「天井桟敷」と私が所属していた唐十郎率いる「状況劇場」との乱闘事件のときです。1969年、私たちが渋谷の金王八幡宮でテントを張って公演をしたとき、寺山さんから葬式用の花輪が贈られたことがありました。当時の私たちには意味が分からず、酒の勢いもあって天井桟敷の稽古場まで押しかけ

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コロナ禍と演劇 吉田智誉樹

文・吉田智誉樹(劇団四季社長) 劇団四季は昨年から今年にかけて、首都圏に三軒の新劇場をオープンしました。竹芝のJR東日本四季劇場[春][秋]、そして有明四季劇場です。[春]では、『アナと雪の女王』をロングランし、[秋]では来年1月まで『オペラ座の怪人』を、有明では、四季劇場[夏](大井町)のクローズに伴い、『ライオンキング』を移設して上演しています。観劇にいらした知人からは、「コロナ禍の中で新しい劇場を次々に開けるなんて、四季さんも強気ですね」という、半ば同情のニュアンスが

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中島岳志さんの「今月の必読書」…『テアトロン 社会と演劇をつなぐもの』

ブレヒト教育劇を現代に更新する試み2019年に開催された「あいちトリエンナーレ」では、「表現の不自由展・その後」をめぐって賛否が渦巻き、「電凸」といわれる電話での抗議運動がおこった。抗議がエスカレートし、脅迫的な内容が含まれるようになると、主催者は展覧会の中止を発表。すると、不自由展以外の参加アーティストが反発し、出展のボイコットに至った。 その渦中で誕生したのが「Jアート・コールセンター」だ。電凸をアーティストが受け、抗議をする人と直接会話をする試みがなされた。これを主導

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クイズ「私は誰でしょう?」小さな大物|デビューは1歳7か月! 紅白に出場もした舞台役者は?

【ヒント】 デビューは1歳7か月! 紅白に出場もした舞台役者は? 大衆演劇の旅一座の座長だった父母のもと、8人きょうだいの7番目の子として生まれた。 「子役デビューは1歳7か月。ある日、舞台の合間の休憩時間に客席が騒がしいので母が見に行くと、おしめをした僕がBGMに合せて花道で踊っていたとか。すぐに着物とかつらを作ってデビューしたそうです」 役者も教育をという父の方針で小学校時代は祖母の家に預けられたが、中学卒業後、兄が座長となった劇団に戻り、一から役者修行を始める。

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クイズ「私は誰でしょう?」小さな大物

【ヒント】 2004年、東洋人で初めてオン・ブロードウェイの公演を手掛けた演出家は?* 舞台への関心は、幼稚園児の頃から芽生えていた。 「宗家藤間流家元の藤間勘十郎さんの下で日本舞踊を習い、歌舞伎役者たちが真剣に稽古する姿を見て『大人の世界だ』と大興奮していました。発表会は歌舞伎座。『お夏狂乱』の演目で、僕が指さす方(扉頁)には、花道を通る藤間紫さんがいました」 演出家を志し、大学を中退。ダンサーや振付師として歩み始めた。 「母が亡くなった当日も舞台に立ちました。

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