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#西崎伸彦

『文藝春秋digital』2022年6月ラインナップ

■会員限定イベント●6月8日(水) ・新庄剛志「薬物使用」の過去 抜き打ち検査で「陽性」も、詳細は伏せられ、その年に引退―― 鷲田康(ジャーナリスト)+本誌取材班 ●6月10日(金) ・プーチンが最も殺したい男の告白 M・ホドルコフスキー(オリガルヒ・石油会社「ユコス」元代表)「ウクライナ侵攻は彼の個人的な動機から始まった」 ・「性暴力」私は負けなかった 卜田素代香(仮名)「暴行後『証拠が残るからシャワーを』と男が強いてきました」 ・新連載 外事警察秘録②「日本赤軍との闘い

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中森明菜「元山口組組員の暴力と長い沈黙」(4) 西﨑伸彦

暗黒の90年代を乗り越えた彼女は……。/文・西﨑伸彦(ジャーナリスト) ★①を読む。 ★②を読む。 ★③を読む。 レコード会社の移籍話 1989年の自殺未遂から約2年。中森明菜は、歌手としての本格復帰が見通せないなか、ニューヨークで無為な日々を過ごしていた。 シングルを3枚出したものの、アルバムの制作は未定。デビュー以来所属してきたワーナー・ミュージックとは契約上の繋がりのみで、もはや決裂状態にあった。テレビ番組の撮影で、ニューヨークに同行していたワーナーの宣伝スタッフ

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中森明菜「自殺未遂と金屏風会見の怪」(3) 西﨑伸彦

自殺未遂騒動の収拾に乗り出したのはジャニーズ事務所だった。/文・西﨑伸彦(ジャーナリスト) ★①を読む。 ★②を読む。 「メリーさんは怒り心頭で」 中森明菜が、六本木の近藤真彦のマンションで自殺を図ったのは1989年7月11日のことだった。 仕事を終えて自宅に戻った近藤が、浴室で血を流して倒れている明菜を発見し、119番通報。左ひじの内側をカミソリで真一文字に切った明菜は慈恵医大病院に運ばれ、6時間に及ぶ緊急手術が施された。 2日後に明菜は24歳の誕生日を、そして近藤

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日大「田中帝国」の土俵際 日本一のマンモス大学理事長に捜査の手が… 西﨑伸彦

文・西﨑伸彦(ジャーナリスト) 日大のドンの牙城東京・阿佐ケ谷駅から徒歩2分の場所に、知る人ぞ知る「ちゃんこ料理 たなか」はある。4階建てのビルで店舗は1階と2階、上階は住居となっている。ちゃんことふぐ料理が名物で、店内の仕切り壁の奥にある、掘り炬燵の小上がり席が、予約で埋まる日も少なくない。 ここに東京地検特捜部の係官が踏み込んだのは9月8日午前のことだった。特捜部は、背任容疑の関係先として家宅捜索した。 この家の主は、約7万人の学生数と約118万人の卒業生を誇る、日

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中森明菜「近藤真彦との深夜ドライブ」(2) 西﨑伸彦

人気絶頂の2人は映画共演をきっかけに──。/文・西﨑伸彦(ジャーナリスト) ★①を読む。 「絶対に唄いたくない!」 中森明菜のセカンドシングル「少女A」は、1982年7月に発売されると評判を呼び、彼女にとって初めてのヒット曲となった。 しかし、担当ディレクターだったワーナー・パイオニア(現・ワーナーミュージック)の島田雄三は、発売から1カ月近く、明菜とはまともに口を利いていなかった。彼女が不満を募らせていたことは明らかだった。 「明菜に初めて『少女A』のデモテープを聴

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【日産ゴーン】レバノン逃亡「検察との死闘」

「何でもありなのか」とゴーンは言った。/文・西崎伸彦(ジャーナリスト) <summary> ▶︎ゴーン事件を紐解くと、独裁者と化していたゴーン氏の強欲な姿だけでなく、権力闘争渦巻く日産の内情や検察当局の異例の捜査が浮かび上がってくる ▶︎日産内部の告発から始まった極秘調査の動機は、必ずしも正義感だけではなかった ▶︎ゴーン氏と検察との水面下の攻防は、今もまだ続いている 初めから異例尽くめの事件 保釈中にレバノンに無断出国し、世界中を驚愕させた“世紀の大脱走”から約1年5カ

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