距離 「おはよう、ぼくだよ」と真夜中電話をかけたら、そうね、 わかってる、どこかにつれていってもあなたはすぐ消える、 ともかくわたしの手をつないでいなければだめだよ、 手さえ繋いでいたらいいから、と電話でいった。けれど、 次の日になるともう会えないことも多かった。 好きな窓辺をいつも…
田舎の月 わたしの郷里ではわけても十五夜、 よそでは見られぬ大きな大きな月がのぼる。 子供たちは藁鉄砲を持ち ――大麦小麦、三角畠の蕎麦(そば)あたれ と唱えながら 農家の庭先の土を打って回る。 穀物や蔬菜(そさい)を育ててくれた土へのお礼と 子供ながらに来年の収穫への願いをこめて………
自然同士? ヒトの体とウイルスは自然同士? 月や星も生きてないけど自然同士 庭のアジサイが朝日を浴びて咲き誇り ココロはアタマより先に目覚めて 言葉なく自然のスゴさに呆れている ココロは意味がなくても死にはしない でもアタマは意味がないと生きていけない この世は意味と無意味のせめぎ合い…
草陰 もう少しだけ見ていたい あなたの姿 あなたの話すこと あなたはどういう人で 何をしようとしているのか あなたは私をどうしたいの 私はあなたをどうしたいの あなたを知ろうと思うことはきっと 私をもっと知ることになる だから怖いことだけど そうしたいと思ったの (202…
冬の底で どこまでも 眼をとじていた、とどかない胸に触れながら 親しく砕かれてゆく日々の 瞬きのたびに零れる音符 うなずけば 風が生まれて どの書物にもない母語のように しんしんとひかりつづける あなたの胸、あなたの窓、あなたの雪 【編集部よりお知らせ】 文藝春秋は、皆さんの投稿を募集…
ときめき狂 いつも居心地が悪いのです、愛はどこにもないし、恋もどこにもない、ひとのこころを裂くようにして、向こう側まで探しに行けば見つかる気がしているとき、とても瞳はキラキラして、かかとは浮いて、空まで飛んで行きそうだった。天使になれる可能性、息を潜めている女の子が、家から出てき…
静かな木 かれは眠っている 坐ったまま眠っている 喉を締め上げられて 漆を少しずつ流し込まれて かれは眠りながら声を失っていた 夏が終わる また夏が来る 雉の鳴く声と雨粒が葉を打つ音を聴きながら 廃寺の隅にじっとして かれはやはり眠っている 長大な体躯に刺青のような 黒く深い裂け…
隣 この世が終わって あの世に行くのではなく 目を閉じて歩いてゆくとあの世に入っている いつも化繊のスカートを引きずってた隣のお婆さんがそうだ (顔を洗うのも 忘れちゃったわよ 何て気持ちのよいお天気) 宇宙には途切れている箇所などなく 互いにひっぱり合っていて ひたすらつながっている…
汽水域 母の舟が時の川霧を押し分けて現れた 空ろな刳り舟のようだったが まっすぐ流れてきたので その日から 私は死んだ母の舟に乗って生きている ――無理に生きようとしなくても 舟に乗って進むだけの日を過ごしてもかまわない 泳ぎの得意な人だったので 物語の海も達者に泳いでいた 汽水域…