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#野球

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5月31日、「文藝春秋digital」はクローズいたします。 これまで「文藝春秋digital」をご愛読いただきまして、誠にありがとうございました。 先にもお知らせした通り、月刊文藝春秋のサブスクリプションは「文藝春秋 電子版」に一本化します。これまで「文藝春秋digital」をご愛読いただいた皆さまには、突然のお知らせになったことを、改めてお詫び申し上げます。 「文藝春秋digital」のサービスが終了しますと、6月から皆さまに最新記事をお届けできなくなってしまいます

柳川悠二 明徳・馬淵監督の30年

文・柳川悠二(ノンフィクションライター) 米国・フロリダで開催されたU-18野球W杯で3位に輝いた高校日本代表を指揮したのは、高知・明徳義塾監督の馬淵史郎だった。悲願である初の世界一には届かなかったが、大会後、「日本の野球が通用することは証明できた」と総括してみせた。 甲子園の歴史上、最も嫌われた監督が馬淵だろう。無論、それは1992年夏、星稜(石川)の松井秀喜(元巨人ほか)に対する5打席連続敬遠に端を発する。スタンドからメガホンが投げ込まれ、勝利した馬淵とナインは「帰れ

村上宗隆 三冠への原点を見た 鷲田康

鬼コーチの説教に悔し涙を流した。/文・鷲田康(ジャーナリスト) 「自己啓発力が本当にすごい」 東京ヤクルトスワローズのGMを務める小川淳司は、村上宗隆の涙を一度だけ見たことがある。村上がプロ2年目、小川がヤクルト監督だった2019年のシーズン終盤を迎えた9月の広島遠征のときだった。 この年、村上は開幕から1軍スタートで36本塁打をマーク。規格外のホームラン打者として、覚醒したと言われた。しかしその一方で、まだまだプロ野球選手としての課題も多く三振数は実に184を数えた。守

西川美和 ハコウマに乗って19 みるはたのし

みるはたのし少し前の話だが、福岡のPayPayドームに野球観戦に行った。私は広島出身で、地元広島東洋カープを応援しているのだが、交流戦でパ・リーグの福岡ソフトバンクホークスと三連戦があり、三試合ともめちゃめちゃに負けた(7-0、11-1、8-0)。広島の主軸投手が日替わりでバッティング投手のように打ち込まれ、最後はホークスの選手も心なしか申し訳なさげに長打を放っていた。わかっちゃいたけど、そこまでかい。 しかし歴史的にも外との交流が盛んで転居者も多い福岡の土地柄か、他社携帯

千葉一郎「父が流した血の跡」

文・千葉一郎(ちばあきおプロダクション取締役社長) 父・ちばあきおの代表作『キャプテン』の連載開始から50周年となる今年、生前の父を知る多くの方々に取材して『ちばあきおを憶えていますか』(集英社)を上梓することができました。父が亡くなったのは、ぼくが小学3年で、9歳の誕生日を祝ってもらった直後のこと。ですから、長男でありながら、ぼくのなかにある父の思い出は僅かなもので、伯父であるちばてつやをはじめ、多くの関係者からの証言を集めなければ“ちばあきおの思い出”を1冊にまとめるこ

ミズノ「夏の甲子園」を生んだ野球愛 ニッポンの100年企業⑧ 樽谷哲也

スポーツを軸に健康寿命の延長にも挑む。/文・樽谷哲也(ノンフィクション作家) 平和でなければ成り立たない 一面のガラス窓から大阪湾を見下ろす大阪・住之江のミズノ大阪本社ビル上層階の応接室で、社長の水野明人に話を聞き始めてまもなく、軽妙な関西弁の語り口も相まって、その場にいる人たちの表情を和らげずにおかないパーソナリティーが伝わってきた。会話に笑いが絶えない。 新型コロナの感染拡大が社会問題となって以後、スイムウエアの生地で作ったマウスカバーが大ヒットしたことを挙げ、「まさ

消えるバッセン カルロス矢吹(ライター)

文・カルロス矢吹(ライター) 今年の2月に『日本バッティングセンター考』という本を上梓した。バッティングセンター(以下、「バッセン」と略す)は、日本では極めて一般的な施設だ。米国など、野球が盛んな国にもあることはあるのだが、あくまで練習施設として建てられている。日本の様に大衆向けの娯楽施設ではない。 なのに、メディアに取り上げられる時は「ホームランを打つおじいちゃん」など、お客さんしか取り上げられない。それなら、なぜバッセンは建てられ、そしてなぜ日本に定着したのか? その

新庄剛志「薬物使用」の過去 抜き打ち検査で「陽性」も、詳細は伏せられ、その年に引退―― 鷲田康(ジャーナリスト)+本誌取材班

文・鷲田康(ジャーナリスト)+本誌取材班 “球界の常識”を打ち破るビッグボス 5月25日、神宮球場でのヤクルトとの交流戦。2夜連続でサヨナラ負けを喫した北海道日本ハムファイターズ・新庄剛志監督は、珍しく怒りを露わにした。試合後、ベンチからレフト側の出口へと向かう道中、ブルペンのマウンドを蹴り上げる。 「ある? こんなゲーム。あんなミスしていたら一生上に上がっていけないよね」 囲み取材でも、走塁ミスの清宮幸太郎内野手に苦言を呈し、「まあでも、終わってしまったことは仕方な

佐々木朗希 「怪物」を育てた男たち 柳川悠二

「お前には投げさせない」。佐々木はボロボロ涙を流した。/文・柳川悠二(ノンフィクションライター) 「球速も、変化の幅も別次元」 「令和の怪物」こと千葉ロッテの佐々木朗希にとって、プロ3年目の4月は、無双状態にあった。 10日のオリックス戦で、史上最年少の20歳で完全試合を達成し、さらに13者連続三振の新記録も樹立した。緊迫の最終回、颯爽とマウンドに上がり、27個目のアウトを簡単に奪う姿を見て、高田野球スポーツ少年団の監督だった村上知幸は、12年前の記憶が蘇った。 「小学

渡辺勘郎 名スカウトが遺した言葉

文・渡辺勘郎(ジャーナリスト) いよいよ開幕したプロ野球。だが、それを楽しみにしていた野球人の姿が今季はない。昨年12月に亡くなった片岡宏雄さん(享年85)だ。古田敦也、石井一久、広澤克実、池山隆寛、宮本慎也、石川雅規……ヤクルトを代表する選手たちを見出した名スカウトで、昨季、日本一となったチームを率いた高津臣吾監督も、その一人だ。一方で、黄金期の監督だった故・野村克也氏との確執も根深かった。 「野村監督の“ID野球”はデータを野球に活かすってことだけど、負けた言い訳(の

新聞エンマ帖 戦争報道の「国際格差」、甲子園誤審、検察批判を恐れるな

★戦争報道における「国際格差」ロシア軍の戦車隊が市街地を驀進する光景が鮮明に映ったかと思えば、ウクライナのゼレンスキー大統領が各国議会でリモート演説を行う様が流れる。まさに新旧の「戦争」がせめぎあう状況だ。 これをどう読み解けば良いか、新旧の戦いの帰趨を決めるポイントは何か。そうした補助線を引く仕事を新聞には期待するが、その点では日経が月、水、金曜付朝刊に掲載する英フィナンシャル・タイムズのコラムや記事が頭抜けている。 例えば「兵器になるネットワーク」と題された3月11日

落合博満への緊張感 鈴木忠平

文・鈴木忠平(ノンフィクションライター) なぜ、落合博満という人物を描こうと思ったのか? 拙著『嫌われた監督』が刊行されて以降、人からこう問われることがある。 落合は2003年の秋に、プロ球団中日ドラゴンズの監督に就任すると2011年まで指揮を執った。私はスポーツ新聞の記者としてその8年間を取材したのだが、番記者の仕事を終えてからも、なぜか落合に対する関心が消えなかった。「いつか、自分が死ぬまでに落合について書いてみよう」という気持ちがずっと心にあった。 その理由をあ

斎藤佑樹 涙に濡れたハンカチ 石田雄太

最後の登板で涙腺を崩壊させた栗山監督の言葉。/文・石田雄太(スポーツジャーナリスト) 最後のピッチング斎藤佑樹は溢れる涙を拭おうともせず、ベンチに座っていた。 2021年10月17日、札幌ドーム。すでに今シーズン限りでの引退を表明していた斎藤は、この日、現役最後のマウンドへ上がった。プロ11年、これが89試合目の登板だった。右ヒジと右肩を痛めて思うように投げられずにいた斎藤が1軍の試合で投げたのは2年ぶりのこと。1人の打者を相手に7球を投げて、彼のプロ野球人生は幕を下ろし

西川美和 ハコウマに乗って8 スウィングきらり

スウィングきらりなんにせよスポーツについて考える機会の多い夏だったが、私は先日、野球選手を目指す小学6年生という設定で、一人の少女をテレビCMに起用した。 同級生が中学受験に備えて塾に通ったり夜遅くまで勉強するのをよそに、プロを目指してひたすら練習している。父親は娘の夢を応援しつつ、現実は甘くないと内心葛藤している——父が放り上げる球を、少女のバットが鋭くミートする場面を書いた。これをごまかしなしにやれるのは、野球経験のある子しかいない。 けれど子役のオーディションは骨が