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#政治家

野中広務 票にもカネにもならぬ仕事 中川智子 100周年記念企画「100年の100人」

前宝塚市長の中川智子氏は、社民党の1年生代議士だった平成9年、自民党の重鎮・野中広務(1925~2018)と知り合う。以来、党派を超えた深い交流が続いた。/文・中川智子(元宝塚市長) 中川氏 米軍の土地使用に関する衆議院の特別委員会で、委員長を務めていた野中さんは「初めて沖縄を訪れたときに乗ったタクシーの運転手が『妹は日本軍に殺された』と泣く姿を見て、沖縄の人たちの悲しみに寄り添うと決心した」と語りました。私は面識もないのに事務所へ押しかけて「あなたみたいな政治家に会えて

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金丸信 金塊は北朝鮮からではない 金丸信吾 100周年記念企画「100年の100人」

金丸信(1914~1996)は、1987年に盟友・竹下登と共に経世会を設立。「キングメーカー」として時の政権を動かしてきた。だが、92年に発覚した東京佐川急便事件で議員辞職に追い込まれ、逮捕から3年後に逝去。波乱の政治人生を、次男で秘書だった信吾氏が振り返る。/文・金丸信吾(元秘書) 金丸氏 未だに多くの人が信じているんじゃないですか、金丸信は北朝鮮から金塊をもらったって。事実無根です。たしかに自宅に金塊はあったけれど、金丸夫人(悦子氏)が財テクとして田中貴金属から購入し

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田中角栄 キング・オブ・政治家 朝賀昭 100周年記念企画「100年の100人」

「リーダーに相応しい人」として必ず名前が挙がる田中角栄元首相(1918~1993)。23年間秘書として田中を支え、長く政治を見てきた朝賀昭氏も、「オヤジを超える政治家はいない」と断言する。/文・朝賀昭(元秘書) 朝賀氏 スポーツの世界でたとえると、オヤジは「キング・オブ・アスリート」と呼ばれる、10種競技のチャンピオンでしょう。演説力、リーダー力、政策立案力など、政治家に必要なあらゆる素養を兼ね備えた人でした。 その一丁目一番地にあたるのが「愛と情念」です。 何といっ

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原敬 平民宰相は鉄道と私学の父 小沢一郎 100周年記念企画「100年の100人」

100年前の11月、反感を抱く国鉄職員に刃物で暗殺されたのが「平民宰相」原敬(1856~1921)だ。衆議院議員、小沢一郎氏が郷土の英雄の非業の死を惜しむ。/文・小沢一郎(衆議院議員) 小沢氏 「白河以北一山百文」と馬鹿にされた賊軍、南部藩出身だった原だが、長州最大の政治指導者である伊藤博文が創設した立憲政友会の中で力をつけて総裁になり、1918年に首相の座についた。時の長州閥の領袖として敵対した山縣有朋をして「原で行くしかない」と言わしめたほどの政治技量を持ち合わせてい

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岸信介 後継総理の密約 安倍晋三 100周年記念企画「100年の100人」

戦前は満州国で辣腕を振るい、戦後は首相として日米安保条約改定に尽力した岸信介(1896~1987)。孫である安倍晋三元首相が、祖父としての素顔を語る。/文・安倍晋三(元総理大臣) 安倍氏 祖父が首相のとき、私は2~5歳でした。やはり孫には甘かったですね。私は男3人兄弟で、父・晋太郎の次男ですが、岸家に養子に入った弟の岸信夫(現防衛相)が生まれるまでは、場合によっては、私が養子に入ることもあったかもしれません。それで、しょっちゅう母の実家の岸家に連れて行かれました。 祖父

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吉田茂 小村と松岡の話 麻生太郎 100周年記念企画「100年の100人」

戦後日本を牽引し、復興の礎を築いた宰相・吉田茂(1878~1967)。孫であり自身も首相を務めた麻生太郎氏が、吉田の政治家としての手腕を率直に評価する。/文・麻生太郎(元総理大臣) 麻生氏 吉田茂の何がすごかったか。後世に名を残す理由を改めて考えてみると、真っ先に思い浮かぶのは、彼の決断力ですね。 例えば、1947年の第1次吉田内閣の時の選挙で、自由党(現自民党)は社会党に大敗しています。この時、社会党は自分の党から首相を出すつもりはなく、吉田に首相続投の話を持ちかけた

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クイズ「私は誰でしょう?」小さな大物|小学校時代の夢「政治家と芸人」を、見事達成した人物は?

【ヒント】 小学校時代の夢「政治家と芸人」を、見事達成した人物は?小学校の卒業文集で書いた将来の夢は「政治家と芸人」。 「実の父は林業を営む傍らサーカスなどの興行も手掛けていた。家には市長や議員さんがよく飲みにきてたし、家の2階にはサーカスの団員が寝泊まり。両方身近な職業でした」 漫才ブームのさなか芸人を目指し大学入学のため上京。浅草演芸場に前座で出ていた当時無名のビートたけしに惚れ込み、1番弟子になる。 お笑い芸人として順風満帆だった98年、たまたま行った風俗店の

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