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中森明菜「近藤真彦との深夜ドライブ」② 西﨑伸彦
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中森明菜「近藤真彦との深夜ドライブ」② 西﨑伸彦

人気絶頂の2人は映画共演をきっかけに──。/文・西﨑伸彦(ジャーナリスト) ★①を読む。 「絶対に唄いたくない!」 中森明菜のセカンドシングル「少女A」は、1982年7月に発売されると評判を呼び、彼女にとって初めてのヒット曲となった。 しかし、担当ディレクターだったワーナー・パイオニア(現・ワーナーミュージック)の島田雄三は、発売から1カ月近く、明菜とはまともに口を利いていなかった。彼女が不満を募らせていたことは明らかだった。 「明菜に初めて『少女A』のデモテープを聴

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中森明菜「消えた歌姫とバブルの時代」① 西﨑伸彦
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中森明菜「消えた歌姫とバブルの時代」① 西﨑伸彦

不世出のアイドル誕生秘話。/文・西﨑伸彦(ジャーナリスト) 混沌と狂乱の80年代中森明菜が、表舞台から姿を消して4年が経つ。今年は彼女のデビュー40周年目に入る。これを記念して6月には1980年代を中心とした初期の全シングルを収めたボックスセットも発売された。 明菜の長きにわたる“沈黙”は、その才能が開花した80年代への郷愁をいやが上にも誘う。 80年代は、熱に浮かされた時代だった。 校内暴力の嵐が吹き荒れ、若者はブランドブームを先取りした小説「なんとなく、クリスタル

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