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#中森明菜

中森明菜「元山口組組員の暴力と長い沈黙」(4) 西﨑伸彦

暗黒の90年代を乗り越えた彼女は……。/文・西﨑伸彦(ジャーナリスト) ★①を読む。 ★②を読む。 ★③を読む。 レコード会社の移籍話 1989年の自殺未遂から約2年。中森明菜は、歌手としての本格復帰が見通せないなか、ニューヨークで無為な日々を過ごしていた。 シングルを3枚出したものの、アルバムの制作は未定。デビュー以来所属してきたワーナー・ミュージックとは契約上の繋がりのみで、もはや決裂状態にあった。テレビ番組の撮影で、ニューヨークに同行していたワーナーの宣伝スタッフ

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中森明菜「自殺未遂と金屏風会見の怪」(3) 西﨑伸彦

自殺未遂騒動の収拾に乗り出したのはジャニーズ事務所だった。/文・西﨑伸彦(ジャーナリスト) ★①を読む。 ★②を読む。 「メリーさんは怒り心頭で」 中森明菜が、六本木の近藤真彦のマンションで自殺を図ったのは1989年7月11日のことだった。 仕事を終えて自宅に戻った近藤が、浴室で血を流して倒れている明菜を発見し、119番通報。左ひじの内側をカミソリで真一文字に切った明菜は慈恵医大病院に運ばれ、6時間に及ぶ緊急手術が施された。 2日後に明菜は24歳の誕生日を、そして近藤

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中森明菜「近藤真彦との深夜ドライブ」(2) 西﨑伸彦

人気絶頂の2人は映画共演をきっかけに──。/文・西﨑伸彦(ジャーナリスト) ★①を読む。 「絶対に唄いたくない!」 中森明菜のセカンドシングル「少女A」は、1982年7月に発売されると評判を呼び、彼女にとって初めてのヒット曲となった。 しかし、担当ディレクターだったワーナー・パイオニア(現・ワーナーミュージック)の島田雄三は、発売から1カ月近く、明菜とはまともに口を利いていなかった。彼女が不満を募らせていたことは明らかだった。 「明菜に初めて『少女A』のデモテープを聴

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中森明菜「消えた歌姫とバブルの時代」(1) 西﨑伸彦

不世出のアイドル誕生秘話。/文・西﨑伸彦(ジャーナリスト) 混沌と狂乱の80年代中森明菜が、表舞台から姿を消して4年が経つ。今年は彼女のデビュー40周年目に入る。これを記念して6月には1980年代を中心とした初期の全シングルを収めたボックスセットも発売された。 明菜の長きにわたる“沈黙”は、その才能が開花した80年代への郷愁をいやが上にも誘う。 80年代は、熱に浮かされた時代だった。 校内暴力の嵐が吹き荒れ、若者はブランドブームを先取りした小説「なんとなく、クリスタル

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