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#スポーツ

文藝春秋digital読者の皆さまへ、編集長より最後のお願い【「文藝春秋 電子版」1年無料プランのご案内】

5月31日、「文藝春秋digital」はクローズいたします。 これまで「文藝春秋digital」をご愛読いただきまして、誠にありがとうございました。 先にもお知らせした通り、月刊文藝春秋のサブスクリプションは「文藝春秋 電子版」に一本化します。これまで「文藝春秋digital」をご愛読いただいた皆さまには、突然のお知らせになったことを、改めてお詫び申し上げます。 「文藝春秋digital」のサービスが終了しますと、6月から皆さまに最新記事をお届けできなくなってしまいます

村上宗隆 三冠への原点を見た 鷲田康

鬼コーチの説教に悔し涙を流した。/文・鷲田康(ジャーナリスト) 「自己啓発力が本当にすごい」 東京ヤクルトスワローズのGMを務める小川淳司は、村上宗隆の涙を一度だけ見たことがある。村上がプロ2年目、小川がヤクルト監督だった2019年のシーズン終盤を迎えた9月の広島遠征のときだった。 この年、村上は開幕から1軍スタートで36本塁打をマーク。規格外のホームラン打者として、覚醒したと言われた。しかしその一方で、まだまだプロ野球選手としての課題も多く三振数は実に184を数えた。守

高橋治之・治則「バブル兄弟」の虚栄 司直の手に落ちた「五輪招致のキーマン」と「長銀を潰した男」 西﨑伸彦

文・西﨑伸彦(ジャーナリスト) 「安倍さんは約束してくれた」東京都が2016年五輪の招致に敗れ、再び次の2020年五輪招致に向けて正式に立候補を表明した約1年3カ月後。12年12月に、それまで下野していた自民党が再び政権に返り咲き、第二次安倍晋三内閣がスタートした。 安倍政権が肝煎りで推進した五輪招致のキーマンとなる男は、当時の状況について知人にこう話している。 「最初は五輪招致に関わるつもりはなかった。安倍さんから直接電話を貰って、『中心になってやって欲しい』とお願い

ミズノ「夏の甲子園」を生んだ野球愛 ニッポンの100年企業⑧ 樽谷哲也

スポーツを軸に健康寿命の延長にも挑む。/文・樽谷哲也(ノンフィクション作家) 平和でなければ成り立たない 一面のガラス窓から大阪湾を見下ろす大阪・住之江のミズノ大阪本社ビル上層階の応接室で、社長の水野明人に話を聞き始めてまもなく、軽妙な関西弁の語り口も相まって、その場にいる人たちの表情を和らげずにおかないパーソナリティーが伝わってきた。会話に笑いが絶えない。 新型コロナの感染拡大が社会問題となって以後、スイムウエアの生地で作ったマウスカバーが大ヒットしたことを挙げ、「まさ

長嶋茂雄初告白「天覧試合」秘録 陛下と皇后さまの姿を見た時、「野球をやっていてよかった」と 鷲田康(ジャーナリスト)

文・鷲田康(ジャーナリスト) プロ野球がスポーツ振興の土台だった2021年11月3日。皇居・宮殿で文化勲章の親授式が行われ、巨人軍終身名誉監督・長嶋茂雄ら6人の出席者に天皇陛下から直接、勲章が贈られた。 当日、親授式に同席した長嶋の次女・三奈が取材に答えたところによると、陛下は長嶋に「野球を長い間やってこられたので、良かったと思います。実際に私も野球の経験があるので嬉しいです」と親しく語りかけたという。 実は陛下と長嶋には野球を巡りちょっとした縁がある。 陛下は子供時

新庄剛志「薬物使用」の過去 抜き打ち検査で「陽性」も、詳細は伏せられ、その年に引退―― 鷲田康(ジャーナリスト)+本誌取材班

文・鷲田康(ジャーナリスト)+本誌取材班 “球界の常識”を打ち破るビッグボス 5月25日、神宮球場でのヤクルトとの交流戦。2夜連続でサヨナラ負けを喫した北海道日本ハムファイターズ・新庄剛志監督は、珍しく怒りを露わにした。試合後、ベンチからレフト側の出口へと向かう道中、ブルペンのマウンドを蹴り上げる。 「ある? こんなゲーム。あんなミスしていたら一生上に上がっていけないよね」 囲み取材でも、走塁ミスの清宮幸太郎内野手に苦言を呈し、「まあでも、終わってしまったことは仕方な

野茂、カズ、岡本綾子、川上哲治、大松博文、人見絹枝…文藝春秋が報じたスポーツの肉声|生島淳

野茂、カズ、岡本綾子、川上哲治、大松博文、人見絹枝……。スポーツの言葉は時代を映す鏡だ。/文・生島淳(スポーツジャーナリスト) スポーツの勃興期から 文藝春秋の100年は、日本のスポーツの発展とほぼ軌を一にする。 日本が初めて参加したオリンピックは1912年のストックホルム大会。最初の夏の甲子園は1915年。箱根駅伝は1920年に始まり、そして文藝春秋の創刊号が発売された1922年には、ラグビーの第1回早慶戦が開催されている。 神奈川大学の人間科学部教授で、指導者として

ボクだけが知る新庄剛志 亀山つとむ

阪神入団時は角刈りパンチパーマでした。/文・亀山つとむ(野球解説者) 亀山氏 選手を見る目は確か(笑) いま振り返ると、あの日がBIGBOSSへの“第一歩”だったのかもしれません。 2021年2月12日、沖縄・宜野座村野球場。解説者としての仕事で、僕は阪神タイガースの春季キャンプの視察をしていました。バックネット裏のスタンド席から練習を観ていると、いつにも増して報道陣の数が多い。それを見て、数日前、アイツが宜野座にやって来るのではと噂になっていたのを思い出しました。

長嶋茂雄「東京五輪のアスリートたちへ」競技場で気兼ねはいらない! スポーツには人間を感動させる力がある

取材・構成=鷲田康(ジャーナリスト) 「競技場では気兼ねはいらない!」「新型コロナウイルスは、世界中の政治や経済を混乱に陥れてきました。そして、このたびは我々の夢と希望である東京オリンピック・パラリンピックを前例のない、新しい様式へと変化させようとしています。 しかしながら出場するアスリートの皆さんには、この混乱に動じることなく、日頃の成果を思う存分、出し切って欲しいと思っています。日の丸を背負っているという誇りを忘れずに、大会までの残されたわずかな日々を競技活動に打ち込

ミスターが感じた「銅メダルの重み」|短期集中連載「長嶋茂雄と五輪の真実」最終回

短期集中連載「長嶋茂雄と五輪の真実」の最終回。悲願の金メダルではなかったが──。苦痛で一瞬、顔が歪んだ。/文・鷲田康(ジャーナリスト) ※第2回を読む。 エースを襲ったアクシデント 「思ったよりボールが(自分の身体の)内側に入って目を離してしまいました」 西武・松坂大輔はその瞬間をこう振り返った。 2004年8月17日。アテネ五輪野球の日本代表は、アテネ郊外にあるエリニコ・オリンピック・コンプレックス内のメイン球場で、金メダルへの最大のライバルとなるキューバとの試合を

大相撲新風録 遠藤|佐藤祥子

遠藤(石川県鳳珠郡穴水町出身、追手風部屋、30歳) 寡黙な業師の大殊勲大関照ノ富士の連覇で幕を閉じた五月場所。優勝争いを独走する照ノ富士を脅かしたのが、前頭八枚目の遠藤だった。13日目に大関貴景勝に土を付けた遠藤は、14日目、成績の振るわない大関正代に代わって照ノ富士戦を組まれた。 土俵際で下手投げを打って照ノ富士の巨体をひっくり返し、際どい勝負となる。軍配は照ノ富士に上がったものの、行司差し違えで遠藤が勝ち星を拾った。マスク着用で声援も禁止されているはずの観客たちが

大相撲新風録 宇良|佐藤祥子

宇良(大阪府寝屋川市出身、木瀬部屋、28歳) 異能力士の復活。好敵手と土俵を沸かす3度目の優勝を果たし、大関に復帰した照ノ富士が話題となった、3月の春場所。その裏で、十両の土俵ではファン待望の注目の一戦があった。身長176センチの小兵の業師である宇良と、同じく168センチの小兵で、甘いマスクでも人気を博す炎鵬の“初顔合わせ”だ。 2017年3月から幕内の土俵に上がった宇良は、その小さな体で居反りなどのアクロバティックな大技を見せる。技能力士ならぬ“異能”力士として“宇

バッハIOC会長「ぼったくり男爵」の正体――五輪商業化の道を開いた挫折なき男

金メダリストから頂点に昇りつめた男はオリンピック商業化の尖兵だった。/文・熊谷徹(在独ジャーナリスト) <summary> ▶バッハの戦略は牡蠣のように固く口を閉ざして、強行突破することだ。こうした強引さは、華々しい成功を収めてきた彼の人生とつながっている ▶近年の五輪は「あまりにも商業化の傾向が強い」と嘆く人が多い。ドイツでは「バッハが五輪の商業化に拍車をかけた」という主張がある ▶バッハのこれまでの人生で目を引くのは、挫折がないことだ。フェンシング選手、ビジネスマン、ス

脳梗塞──ミスターが託した日の丸|連載「長嶋茂雄と五輪の真実」#2

短期集中連載「長嶋茂雄と五輪の真実」の第2回。日の丸には、細いサインペンで「3」という数字が記されていた——。/文・鷲田康(ジャーナリスト) ※第1回を読む 緊急入院した長嶋茂雄 2004年3月4日、アテネ五輪野球日本代表監督の長嶋茂雄は東京・大田区田園調布の自宅で倒れ、新宿区河田町にある東京女子医大病院に緊急入院した。 日本代表ヘッドコーチの中畑清がその一報を聞いたのは、知り合いのスポーツ紙記者からの電話だった。 「大変なことが起こりました。長嶋さんが倒れて入院した