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仕事と母と|柴崎友香

仕事と母と|柴崎友香

著名人が母親との思い出を回顧します。今回の語り手は、柴崎友香さん(作家)です。 仕事と母と今、BSで「あぐり」の再放送をしている。90歳を過ぎても美容師の仕事を続けていた吉行あぐりさんの姿をテレビで見るたび、あぐりさんみたいに何歳になっても美容師を続けるのが夢だと母は言っていた。 広島生まれの母は、中学卒業後からずっと美容院で働き、結婚を機に大阪に移ってからも仕事を続けた。わたしと2つ下の弟は、創設1年目の保育園に入った。ときどき、時間を過ぎても迎えの来ない子供が何人かい

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感謝しかない|石川直樹

感謝しかない|石川直樹

著名人が母親との思い出を回顧します。今回の語り手は、石川直樹さん(写真家)です。 感謝しかない ぼく自身は、地球上のあちこちに出かけているというのに、東京出身の母はつい最近まで飛行機に乗ったことがなかった。本州から出たことがないどころか、長野や福島あたりに家族旅行で出かけたのが、家から離れた最長距離だった。どうしてそんな母親から、こんな放蕩息子が生まれてしまったのか、と本気で思う。 ただ、おそらくぼくは、父よりも母の影響を多分に受けている。自分が幼い頃は盛んに折り紙やぬ

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ただただ申し訳ない|釈徹宗

ただただ申し訳ない|釈徹宗

著名人が母親との思い出を回顧します。今回の語り手は、釈徹宗さん(僧侶)です。 私の母は平成30年の12月に今生の息を引き取りました。満81歳でした。60歳を過ぎたあたりから、次第に自らの死への準備を始めていましたね。当時はまだ終活などという言葉もありませんでしたが、自身の身仕舞いについてはよく考えていたようです。母が往生した日、久しぶりに母の部屋へ入ると、実にきちんと整理されており、納棺装束や遺影も準備されていました。 母が息を引き取る前夜のことです。肺の機能が落ちて入院

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私の安全基地|田中ウルヴェ京

私の安全基地|田中ウルヴェ京

著名人が母親との思い出を回顧します。今回の語り手は、田中ウルヴェ京さん(五輪メダリスト・IOCマーケティング委員)です。 私の安全基地 私の母は今年84歳。ここ数年は肺や甲状腺の手術を受けたので、陽気な母でもさすがに気弱になるかなと思いきや、コロナ禍の自粛生活や父の介護といった心疲れることにも明るく「今できること」を工夫する母です。 母の思い出といえば、やはり選手時代のことが浮かびます。私は10歳の時に競泳からシンクロナイズドスイミングに転向、ほぼ毎日練習に行き始めまし

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母とエリザベス女王|リシャール・コラス

母とエリザベス女王|リシャール・コラス

著名人が母親との思い出を回顧します。今回の語り手は、リシャール・コラスさん(シャネル合同会社会長)です。 母とエリザベス女王 母は父と同じ南仏プロヴァンスのオランジュという小さな町で生まれ育った。幼ななじみのふたりは戦争で離ればなれになったが、数年後にパリで偶然再会。結婚して私と妹が生まれた。 とにかく母はタフ。若いころに病気で片方の肺を失いながら、毎日プールで1キロは泳いでいた記憶がある。 「人に頼らず、自分の人生は自分で切り開く」が口癖。家族で10年過ごしたモロッ

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稲泉連さんのおふくろの話。

稲泉連さんのおふくろの話。

著名人が母親との思い出を回顧します。今回の語り手は、稲泉連さん(ノンフィクション作家)です。 サーカスで働いた理由 母は周囲からいつも、行動が唐突な人だと言われてきたらしい。確かに数年前も突然、「私は那須で暮らすことにした」と言い出し、同世代の知人が共同生活を営む高齢者向けサービス付の住宅地に引っ越していった。何事にも慎重な僕とは違い、物事を決めてからの行動がとにかく早い。その辺りは雑誌ライターやノンフィクション作家として、様々な現場を渡り歩いてきた習性みたいなものなのか

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恵み深く高潔であれ|松尾貴史

恵み深く高潔であれ|松尾貴史

著名人が母親との思い出を回顧します。今回の語り手は、松尾貴史(タレント・コラムニスト)です。 幼稚園の頃、神戸のフラワーロードから三宮センター街、元町の南京町をくねくねと通園していた。帰りは百貨店やら本屋、玩具屋などに寄り道をするので、行きの3倍の時間がかかっていた。しかし土曜日だけはどこにもよらず、一目散にトアロードと商店街のぶつかる角にある「ドンク」というパン屋の2階の喫茶店で、母と待ち合わせてカツサンドとクリームソーダのマリアージュを楽しむ習わしがあった。 母は英語

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馬場あき子さんのおふくろの話

馬場あき子さんのおふくろの話

著名人が母親との思い出を回顧します。今回の語り手は、馬場あき子(歌人)です。 2人の母をもつゆたかさ 私の生みの母の記憶は、ほとんど写真に残されたものから構成されている。昭和3年、私を生んだ母はやがて結核を病んだ。当時結核はまだ不治の病とされ、その家の前を通るのも嫌がられていたらしい。母はそのことを自覚していて、私を祖母の手に委ね、ほとんど私を抱こうとしなかったと聞く。 いま写真として残っている母は、小康を得ていた時の記念に撮ったものという。いかにも繊細で知的な神経質そ

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石内都さんのおふくろの話。

石内都さんのおふくろの話。

著名人が母親との思い出を回顧します。今回の語り手は、石内都さん(写真家)です。 母から女へ 母は18歳で自動車免許を取得した。1934年(昭和9年)である。その当時、地方の女性の仕事は女中か、針子が般的だったが、母は手に職をつける為にドライバーを選んだのである。バス、トラック、タクシー、ジープ、宣伝カー……もちろんセダンやスポーツカーも。あらゆる自動車を84歳の生涯の中で運転していた。 そんな母の影響を受けて育った私は、女も働くのはあたり前だと思っていた。一方で母は地味

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ほどよく離れて|小島慶子

ほどよく離れて|小島慶子

著名人が母親との思い出を回顧します。今回の語り手は、小島慶子さん(エッセイスト・タレント)です。 ほどよく離れて お互いに良くしてあげたいと思っていても、近くにいるとしんどいので、適度に離れている方が良い関係というのがあります。母と私はそれです。占い好きな母に言わせればそれは私が一白水星で母が九紫火星の「正反対の星」だからで、占いに不誠実な私に言わせればそれは母の思い込みが激しくて、他者を持たないからです。 母は11歳の内気で無邪気な少女のまま大人になったような人で、想

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