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文藝春秋digital

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#平松洋子

文藝春秋digital読者の皆さまへ、編集長より最後のお願い【「文藝春秋 電子版」1年無料プランのご案内】

5月31日、「文藝春秋digital」はクローズいたします。 これまで「文藝春秋digital」をご愛読いただきまして、誠にありがとうございました。 先にもお知らせした通り、月刊文藝春秋のサブスクリプションは「文藝春秋 電子版」に一本化します。これまで「文藝春秋digital」をご愛読いただいた皆さまには、突然のお知らせになったことを、改めてお詫び申し上げます。 「文藝春秋digital」のサービスが終了しますと、6月から皆さまに最新記事をお届けできなくなってしまいます

川上未映子「黄色い家」

「金銭」と「赦し」 美術史を語るとき、「黄色い家」は忘れがたい。1888年、ゴッホとゴーギャンがともに暮らしたアルルの家は、陽光を浴びると黄色に染まった。「ひまわり」を始め、ゴッホは多くの名画をここで生み出すのだが、錯乱ののち自分の耳を切り落とす事件によって破綻を迎える。  いっぽう、長編小説「黄色い家」では、疑似家族を思わせる女4人が共同生活を営む。黄色は、彼女らを翻弄する金銭のメタファー。キラキラ、チャリンチャリンと金が動くたび、スリリングな疾走感に煽られてページを繰る

失われた味を求めて 平松洋子

 終わってしまった。  今年1月19日、港区虎ノ門で長く愛された立ち食いそば「峠そば」の扉が閉じた。1月中旬、「最後のごま油の一斗缶を使い切ったら閉店」の告知が出ると、名残を惜しむお客が引きも切らず。私が駆けつけたのは20日昼だったが、ひと足遅かった。  呆然と立ちすくみ、扉に貼られた手書きの挨拶文を読む。閉店の理由は、界隈の地域再開発。汐留、神保町、虎ノ門それぞれの土地で親子二代が「育てて」もらった感謝が綴られ、さらに末尾。 「心残りはいつもお世話戴いてますご常連様が

長島有里枝「テント日記/『縫うこと、着ること、語ること。』日記」

2人の母とのこと。 写真。インスタレーション。言葉。  異なるベクトルの表現行為が交わるとき、何が浮かび上がるのか。テーマは母、家族。著者は長年、母娘の関係に縛られ、苦しんできた。

平松洋子 混乱の時代を書き継ぐ 続100年後まで読み継ぎたい100冊

ヤマザキマリ著「リ・アルティジャーニ」 カラーマンガで描かれる巨匠たちの群像劇 評者・原田マハ

カラーマンガで描かれる巨匠たちの群像劇2009年は日本のマンガ界において特筆すべき年になった。ヤマザキマリ著『テルマエ・ロマエ』第1巻が発売されたからだ。のちに爆発的ヒットを記録した同作だが、発売当初は海外在住のマンガ家が手がけた、「ローマ風呂」がテーマの一風変わった内容のマンガということで、じわじわと話題になり、まもなく人気に火がついた。私が同作を手に取ったのは発売2ヶ月後のことで、あまりの面白さに文字通り爆笑したことをよく覚えている。 アートであれ小説であれマンガであれ

星野博美著「世界は五反田から始まった」 東京の片隅で歴史が交叉する 評者・平松洋子

東京の片隅で歴史が交叉する地面の下に層をなす夥しい骨灰を訪ね歩き、『東京骨灰紀行』を著したのは作家、小沢信男。いっぽう、自分が生まれ育った五反田に照準を合わせ、ひとつの土地の深層を能うかぎり掘り起こすのは本書の著者、星野博美。東京の片隅に強く思い入れ、ローカルな土地に据えた立脚点が、日本近代史のうねりを呼び覚ます。 五反田を読み解く手掛かりは、30年前に父から手渡された祖父、量太郎の手記。便箋には、房総半島の海岸沿いの町で漁師の6男として生まれ、戦前の五反田に移り住んだ祖父

宇佐見りん「くるまの娘」“正しさ”で割り切れないもの 評者・平松洋子

“正しさ”で割り切れないもの小説でなければ伝え切れないものが、明確な輪郭と質量とともに存在している――読後、まっさきに脳裏に浮かんだ感情だ。『くるまの娘』が浮き上がらせるものの正体、それは、とかく「正しさ」を言い募り合う個人や社会のありさまでもある。 ある家族の壮絶な修羅が描かれる。ふだんは穏やかだが、スイッチが入ると残酷さを丸出しにして言葉と力の暴力をふるう父。かつては気丈だったが、脳梗塞を患い、健忘の後遺症とアルコール依存に苦しみ、しばしば錯乱する母。兄は家を去り、弟は

平松洋子さんの「今月の必読書」……「フォンターネ 山小屋の生活」パオロ・コニェッティ

人生の深淵を見つめて生きる活力を失い、いわれのない虚無感とともにスランプに陥った30歳の春。「僕」は人間関係を断ち、すがる思いで山へ向かう。標高1900メートルのアルプス山中、ひとり籠もったのは、渓谷に建つ小さな山小屋だった。集落の名前はフォンターネ。 「山」をテーマに描くイタリア人作家パオロ・コニェッティが、みずからの葛藤を描く魂の再生の物語。1978年、ミラノ生まれのコニェッティは、40近い言語に訳された長編小説『帰れない山』(新潮クレスト・ブックス)で大きな評価を得る

平松洋子さんの「今月の必読書」…『東京ルポルタージュ』石戸諭

あの頃の“首都”を剔出する先日、あるオリンピック関係者と話したときのこと。“次にオリンピックが巡ってくるとしても半世紀も先だから、終わったオリンピックの細部を検証するカネも時間も無駄”と言うのを聞いて唖然とし、現実の細部にこそ見る/知るべきものがあるのに、と唇を噛んだ。 本書は、副題が示す通り「疫病とオリンピックの街」を歩き、耳を澄まし、目を凝らしながら2020~21年の東京を描くルポルタージュだ。初出が週刊誌だと知れば、かつて1963~64年、つまり東京オリンピック前後、

100年後まで読み継ぎたい100冊 平松洋子「日本人の精神にふれる」

文・平松洋子(作家、エッセイスト) 日本人の精神にふれる読み継ぎながら私が探りたいのは、“日本をつくってきたのはどういうひとたちか”ということ。その前提を踏まえ、まず宮本常一『忘れられた日本人』を挙げたい。宮本常一は昭和14年から全国津々浦々を歩いて常民の語りに耳を傾け、つぶさに記録した。本書に集積されるのは、西日本の村々に生きる古老の言葉と営み。明治・大正・昭和を通じ、日本人はこのようにして社会を形成、文化を継承してきた。そのなまなましいありさまによって、読む者は日本人の

平松洋子さんの「今月の必読書」…『百間、まだ死なざるや 内田百間伝』

稀代の随筆家、知られざる実像虎視眈々、手練れの「日記読み」が、作家、内田百閒の姿を追う。日記という“歴史と人物の証言”に耳を澄ませ、糸目を細かく縫うようにして綴る気迫や執念。567ページにおよぶ大著に惹きつけられ、数日かけて一気に読み通した。 まず、すわ誤植か!? と一瞬ぎくりとさせるタイトル「百間」の表記について。一般には「百閒」と表記されるが、著者によれば、作家みずから「閒」の字を使い始めたのは昭和19年以降で、戦後から「閒」の字に変えた。著者が軸足を置くのは戦前・戦中

平松洋子さんの「今月の必読書」…『もう一つの衣服、ホームウエア 家で着るアパレル史』

もっとも素肌に近いファッションの変遷トレンドより、着心地のよさ。コロナ禍中、外出がままならず、家にいる時間が増えた。自宅で長く過ごすようになれば、おのずと快適さを意識するようになるのは当然のなりゆきだろう。私にしても、この1年余り、新たに買い求めたのは家で着るものばかりだ。 本書の著者は、世界中のファッション動向を見続けてきたアパレル専門の記者。「ファッションや衣服から見落とされている」衣服として「ホームウェア」を位置づけ、光を当てる。確かに、ファッションの歴史や文化は熱心

平松洋子さんの「今月の必読書」…『小池一子の現場』

アートをつうじ社会を揺さぶり続ける開拓者の足跡日本には小池一子がいる。 時代を切り拓いてきた女性を挙げるとき、まず小池一子の名前は外せない。一貫してクリエイティブの現場を歩みながら、ジェンダーを超え、仕事のジャンルを超え、アートや言葉をつうじて社会そのものに影響を与え続けてきた人物。85歳を迎える今年、「東京ビエンナーレ2020/2021」総合ディレクターを務め、さらに現役を更新する。 本書は、小池の全仕事を俯瞰するものだが、自伝やアーカイブとは一線を画する異色の出来映え