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文藝春秋digital

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#石原慎太郎

『文藝春秋digital』2022年6月ラインナップ

■会員限定イベント●6月8日(水) ・新庄剛志「薬物使用」の過去 抜き打ち検査で「陽性」も、詳細は伏せられ、その年に引退―― 鷲田康(ジャーナリスト)+本誌取材班 ●6月10日(金) ・プーチンが最も殺したい男の告白 M・ホドルコフスキー(オリガルヒ・石油会社「ユコス」元代表)「ウクライナ侵攻は彼の個人的な動機から始まった」 ・「性暴力」私は負けなかった 卜田素代香(仮名)「暴行後『証拠が残るからシャワーを』と男が強いてきました」 ・新連載 外事警察秘録②「日本赤軍との闘い

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石原延啓 父・慎太郎と母・典子「この写真が一番可愛いだろ」父は古いアルバムを取り出し……

文・石原延啓(画家) 石原氏 母の生涯は「父がすべて」母の葬儀の際に印象深い出来事がありました。 棺に入った母の姿を見た姪が「マーちゃん(おばあちゃん)はいつも前髪を気にしていて、綺麗に整えていたのではなかったかしら」と言い出したのです。兄嫁たちも、そうだそうだと同調し、改めて前髪をおろしてもらい馴染のある姿に整えてからお別れをいたしました。 随分と前に父から前髪をおろした方が好みだとでも言われたのでしょうか、いつも父が望む姿でいたくて前髪を整えていた。男兄弟なんてが

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藤原正彦「生意気な小僧だよ」石原慎太郎の芥川賞授賞式 古風堂々35

文・藤原正彦(作家・数学者) 父の小説で初めて本になったのは、昭和30年に出版された『強力伝』だった。ぺらぺらの表紙の本だったが、父はそれをうれしそうに枕元に置いて寝た。年が明けた1月のある日、父は勤め先の中央気象台から帰宅するや、新聞をカバンから出し家族の前でヒラヒラとさせ、「どうだ参ったか、直木賞候補になったぞ」と言った。そして私に、10篇ほどの候補作の中から新田次郎『強力伝』に赤鉛筆で丸をつけるよう命じた。前にサンデー毎日賞の候補になった時、同じことをしたら1等賞に選

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【石原慎太郎追悼】亀井静香「三途の川で待ってろよ」

「政治家じゃなくて文人だ」。兄弟分からの弔辞。/文・亀井静香(元衆議院議員) 亀井氏 ディーゼル排ガス規制、羽田空港…石原が死んで、もう何日になるのかな。いまも思い出すたびに、ため息が出るよ。さびしいなあ。 彼は宇宙からやってきた「異星人」のような男だった。歴史をさかのぼってみても、石原のような業績を残した人物は他に思い当たらない。 彼は小説家や文化人という枠には収まらない。日本の文化を代表していた男だよ。俺からすれば「文人」という表現がふさわしいな。文明を見とおす鋭

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【石原慎太郎追悼】父は最期まで「我」を貫いた 四男・石原延啓

看取った四男が明かす、父・慎太郎が遺した言葉/文・石原延啓(画家) 石原氏 生と死を書いてきた「最後まで足掻いて、オレは思いっきり女々しく死んでいくんだ」 昨年12月半ば頃、病床の父はいつもより強い調子で言いました。 その日、親友の高橋宏さん(日本郵船元副社長、2021年6月逝去)の思い出話をしていたときのことです。高橋さんは幕末の剣豪で禅に通じた山岡鉄舟が大好きでした。そこで私は、こういう人もいるんだねえ、と山岡の最期について父に話を振ってみました。 胃がんを患っ

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絶筆 石原慎太郎「死への道程」

「いつかは沈む太陽だから…」余命宣告を受けて|文・石原慎太郎(作家) 石原氏

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社会が震えた芥川賞作家の肉声 鵜飼哲夫 創刊100周年記念企画

既成の価値観をぶち壊し、文学の枠を超えて世に衝撃を与えた。/文・鵜飼哲夫(読売新聞編集委員) 「新人」たちの言葉慎太郎刈りの太陽族とスター石原裕次郎を生んだ「太陽の季節」。フツーの価値観を転倒させ、世界30ヶ国以上に訳された村田沙耶香「コンビニ人間」……。紙とペンさえあれば老若男女誰もが候補になりうる新人賞の芥川賞が、文学の枠を超えて社会に衝撃を与えてきたのは、ベテランの域にあってもなお新しい文学を拓こうとする作家たちが、新しい戦慄をもたらす作品を徹底して議論し、見出そうと

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石原慎太郎 文藝春秋と私の青春時代

私は文藝春秋の揺籃で生まれた「文春子」だ。/文・石原慎太郎(作家) 石原氏 野蛮な寮での生活 青春時代という人生の花の季節を何をもって規定するかは、やはり自我が形成され、自意識が芽生え、俺は俺なんだという意識の自立が形成される大学生の頃がその発端に違いない。 それは人によってまちまちだろう。しかし多くの優れた友人や学問による啓発、貧しい中での放歌高吟の快楽。それらは貧乏なるが故に高揚され、思えば他愛なくとも、濃く深い快楽をもたらしてくれたものだ。 そしてこれから迎える

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ワーストヨットレース 石原慎太郎

60年前のあの夜、多くの仲間が狂った海で死んでいった。/文・石原慎太郎 (作家) 石原氏 その年最後を飾るにふさわしいレース西暦1962年の11月最初の土曜日に運輸省管轄の任意団体『日本外洋帆走協会』通称NORCが主催しての初島ヨットレースが行われた。 日本でオーシャンレースも恒例になり、各艇の技量も上がり島をまわる初島回りも食傷されだしていて、協会の権威で行う島回りのレースもさらに南進して、やがては憧れの八丈島レースもという気負いが横溢した頃でもあった。合わせて32艇

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【石原慎太郎・特別寄稿】晩節における「死」との対峙

——『老衰は死の育成である』ジャンケレビッチ——。米寿を迎えた今、私は「死」という「最後の未知」と向き合うことにした。 <summary> ▶私は人間の人生の平均値なるものをあずかり知らぬが、相対的にはかなりの波乱続きだった我が人生の終局に、肉体の衰弱に伴ってのさまざまな未練がかもしだされる晩節のふがいない有様に戸惑っている ▶私は政治家を勤めた事で命の危うさを感じたことはなかった。政治という猥雑な作業は人間の個性を摩滅させはしても死を予感させる肉体的な危機感をもたらすこと

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「割腹自殺」から50年…三島由紀夫の「滑稽な肉体信仰」|石原慎太郎・特別寄稿

鍛え上げた身体も、兵隊ごっこもナルシズムだった——。/文・石原慎太郎(作家) <この記事のポイント> ●あの事件自体は、馬鹿馬鹿しいとしか言いようがない ●三島さんはどんどんおかしくなっていった。川端康成、大岡昇平…みんなが「見損なった」という思いを持ち始めていた ●鍛え上げた身体も、楯の会も、一種のナルシズムでしかなかった。三島さんもそれをわかっていたと思う 石原氏 川端さんはあの日からおかしくなった あの日、三島さんの首を見なくて本当に良かったと思い返しています。事

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予期せぬ出来事─私の闘癌記─|作家・石原慎太郎 特別寄稿

作家で元東京都知事の石原慎太郎氏(87)が、“難治がん”のすい臓がんから奇跡の生還を果たしていた。そんな石原氏が、『文藝春秋』に闘病の様子などを綴った手記を寄せた。これは、地獄の底から予期せず這い上がった男の国への最後の建言である──。/文・石原慎太郎(作家) 石原氏 芥川賞で有名になった訳ではない振り返って見れば私の人生は予期せぬ出来事の連続だった。 学生時代に復刊させたかつての『一橋文芸』の原稿がいざとなるとどうしても足りずにその穴埋めを頼まれて書いた小説が文學界の

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