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中島岳志さんの「今月の必読書」…『洪水と水害をとらえなおす 自然観の転換と川との共生』

土木を再定義しなおす

近年、洪水によって老人ホームなどが水につかり、動けない老人が溺死するケースが増えている。河川工学を専門としてきた著者は、このような状況を目の当たりにし、「慙愧に堪えない」という。水が徐々に迫り来る中、逃げることが出来ずに溺れ死ぬ。「どんなに苦しいか、どんなに悔しいか、どんなに悲しいか、長く生きた人生をこんなかたちで息絶えねばならないのである。こんな地獄を誰が出現させてしまったのか?」

大きな問題は、土地の来歴を無視した開発にある。著者は地質学者・小出博の災害観に基づいて、「本家の災害」と「分家の災害」という概念を提示する。「本家」は長い年月の経験によって災害に遭いにくいところに立地している。一方、「分家」は後発であるが故に自由な選択が出来ず、災害に遭う可能性がある場所に立地している。「本家の災害」は天災であるが、「分家の災害」は人災である。

「本家の災害」を完全に避けることは難しい。しかし、近代の工学は、災害を克服の対象とし、自然と闘うことを目指してきた。かつて東大工学部の土木工学科出身者たちは「地球の彫刻家になりたい」「地形図に刻印される仕事をしたい」と口々に語り合ったという。著者曰く、これは「国家の自然観」であり、決定的な限界にぶつかる。

重要なのは、「荒ぶる自然」との付き合い方を歴史から学ぶことである。「すべての洪水を河道の中に押し込めることは不可能であり、いつかは洪水が堤防を越えて溢れることは免れられない」。大切なのは、越流場所を特定し、破堤をさせないこと。越流氾濫量は破堤氾濫量よりも圧倒的に少なく、被害が大幅に軽減される。まずは越流しても破堤しにくい堤防を作ることが重要である。

それでもやはり堤防は崩れる。そこで重要なのは「堤防が崩れるにしても、ぐずぐずゆっくり壊れるか、急に壊れるかで被害程度が全く異なる」ことを認識することである。そして、氾濫を起こしても被害が大きくならない場所を確保しておくことである。

洪水氾濫は、肥料となる新たな土壌をもたらす。かつては、10年に1度ぐらいの氾濫は、その年に収穫が得られなくても、翌年以降に収量が高くなり、採算が合うと見なされてきた。しかし、歴史を無視した宅地開発によって、あらゆる場所が「洪水を溢れさせてはならない地域に変貌していった」。ここに問題がある。

著者は、無名の死者達が継承してきた経験値や自然観を見直すべきと説く。日本における「民衆の自然観」は、仏教思想と連続する。

日本の土木の原点には、行基や空海といった仏教僧が深く関わっていた。土木を宗教的コスモロジーから再定義し直すべき時期なのだろう。大熊河川工学のエッセンスが凝縮された金字塔的著作だ。

(2020年9月号)

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