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“元安美錦”安治川親方の「けっぱれ! 大相撲」——2021年5月場所総評

■元安美錦(安治川親方)
1978年、青森県西津軽郡深浦町生まれ、伊勢ヶ濱部屋。師匠の伊勢ヶ濱親方(元横綱・旭富士)は親戚、父は元青森県相撲連盟会長、兄は元幕内の安壮富士という相撲一族。
小1から相撲を始め、青森・鰺ヶ沢高から、兄と同じ安治川部屋に入門。97年初場所で初土俵を踏む。
右ひざの靱帯断裂という大ケガを乗り越え、2007年に自己最高位となる関脇に昇進。
37歳で迎えた2016年には左アキレス腱を断裂し、十両へ陥落するも、2017年には史上最年長の39歳で再入幕を果たす。
2019年7月場所、40歳で22年を超える力士生活に別れを告げた。3賞受賞は歴代10位の12回(殊勲4、敢闘2、技能6)。獲得金星は8個。
2021年に早大大学院スポーツ科学研究科の修士課程1年制に入学。

安治川親方_写真

元安美錦(安治川親方)

「けっぱれ」とは私の故郷青森県の言葉、津軽弁で「頑張れ、踏ん張れ」という意味です。

まだ断髪式もできない、髷も切っていない新米親方に、場所の総括などできるのか、していいのかと……3分程悩みましたが断る理由もない。何事も経験だと思い、やらせていただきます。

緊急事態宣言が発令された中、無観客で迎えた初日。開催できるだけでもありがたいことです。

やはり注目は、大関に返り咲いた照ノ富士。今回は、同じ伊勢ヶ濱部屋の弟弟子にあたる照ノ富士を中心に話を進めてみようと思います。

先場所の3月にも優勝しましたが、この時、後半戦は膝の状態が厳しかった。部屋まで朝稽古に来ても、痛みで歩くのもやっとでした。

私も現役時代に膝のケガで苦労しましたが、傍らで見ていた私の膝も疼くぐらいに痛そう。膝の痛みは気まぐれで、まるでやんちゃな子猫です。おとなしくしていると思った瞬間、急に暴れ出す。疲れが溜まると痛みが出て、歩いているだけで膝がガクッとなる。なかなか難しいものなのです。

1度目の大関時代も稽古はよくしていましたが、ここ最近の照ノ富士は、稽古に対しての真剣さが格段に違う。大関から序二段まで落ち、復帰してきたことは各方面で記事になっていますが、近くで見ていて、この頃はかける言葉もなかったほどです。心も体もボロボロ……。

正直、私も「もう照ノ富士はダメかもしれない」と思っていました。しかし稽古は裏切らなかった。毎日毎日積み上げてきたことが、今、力になっていることを照ノ富士も実感していると思います。

本当によく稽古をしているんです。キツいぶつかり稽古も嫌がらない。砂にまみれることを厭わない。私がまわしを締めて照ノ富士に胸を出すと、1週間は胸が痛い。胸を出す身にもなってほしい。少しは遠慮してくれ! と思っていました。このままだと「親方の私が初日を迎えられない。5月の夏場所にたどり着けない……」と。

1621854699257 トリム前

照ノ富士(右)と

話を戻しますが、照ノ富士のことを話すと止まらなくて。

彼は大好きなお酒も断ち、時間があればトレーニング。ストイックによく頑張っていました。一緒にお酒を飲んでいた頃が懐かしいです。昔は「やんちゃな大関」と言われていましたが、私にとっては、ずっと変わらずに「素直で繊細な弟」でしかないのです。

苦しい経験が照ノ富士を磨き上げました。まさに「艱難辛苦汝を玉にす」ということでしょう。

照ノ富士は初日から無傷の8連勝で勝ち越しを決め、相撲内容も非常に良かった。体を丸めて立ち合いからしっかり当たり、まわしを取れば「勝負あり」。丁寧に、考えながら相撲を取っていました。力をつけてきた若手の明生や若隆景を一蹴し、御嶽海や大栄翔にも押されず問題にしなかった。元横綱朝青龍を叔父さんに持つという注目の豊昇龍との対戦は、力の差を見せつけて圧勝しました。

優勝に向けての最大の山場と見ていた関脇高安との一番は、全勝のまま9日目に組まれました。立ち合いから高安ペースで、この一番は高安が自信をもって取っていました。動きを止めず、照ノ富士攻略のお手本のような攻めでしたね。横から攻められ、照ノ富士も片足で残す。負けたと思ったのですが、土俵際でのはたき込みで、照ノ富士の9連勝。

毎朝、稽古場で「お蔭様で勝ちました」(照)「大関だから当たり前だ」(安)と一種のゲン担ぎのように話していましたけど、「もうこのまま独走して優勝かな?」と思った11日目の妙義龍戦。相手の髷をつかんだとのことで、まさかの反則負け。

ニュースになったアミメニシキヘビ逃亡と同じくらい驚きました。こんなこともあるのだな、と。(ちなみに元関脇アミニシキはずっと国技館にいました)

反則負けを引きずっていないか心配もあり、次の日の朝稽古で声をかけました。「今日は髷を掴むなよ?」と言うと、照ノ富士は笑っていて「精神的に大きくなったな」と感じたものです。その日は負けを引きずる様子もなく、今場所一番の相撲で阿武咲を下しました。

星2つ差で追い掛ける大関貴景勝と前頭遠藤の2人。「誰が優勝するのかな?」との思いを抱いた14日目。照ノ富士は遠藤との一番です。勝てば照ノ富士の優勝でしたが、遠藤の上手い攻めに際どい相撲になりました。

軍配は照ノ富士に上がったものの、行司軍配差し違えで遠藤の勝ち。

やれやれ、神様は随分と試練を与えるものです。——乗り越えられる人には。

迎えた千秋楽。ありがたいことに4日目から観客を入れての開催で、たくさんのお客様に国技館まで足を運んでいただきました。場所中に発覚した某大関の行動には、あえて触れませんが、力士たちは精一杯に土俵を務めたと思います。

本当にお疲れ様。

大関照ノ富士の連続優勝で、5月の夏場所は幕を閉じました。

本割で貴景勝に負けての優勝決定戦となり、照ノ富士が土俵に向かう途中、「膝、どうだ?」と声をかけたら「痛いっす」と一言。でも、目は生きていた。「ケガなく終わってくれ」と祈っていましたが、照ノ富士は気持ちだけで取り切ったのだと思えます。

支度部屋に帰る途中、また言葉を交わしたのですが、自然と涙が出てしまいました。

「ガナ(愛称です)本当におめでとう」。

今場所の収穫は、明生と若隆景の存在でもありますか。

力を付けて来たこの若手に、上位陣もうかうかしていられない。

そして3役で連続2桁白星の関脇高安は、来場所、大関復帰に向けての挑戦となります。

お子さんも生まれ、家族も増えて一段と気合も入っているでしょう。私の場合もそうでしたが、家族の支えは大きいものです。頑張れ! いや、「けっぱれ!」。

そして、十両優勝をひっさげて来場所は幕内の土俵に戻ってくる宇良。

待っていたよ。思いっきり頑張って! いや、ここでは「けっぱれ!!」ですね。

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宇良

7月の来場所は名古屋場所開催の予定です。久しぶりの名古屋は、どれだけ暑いのか想像がつかないし、この連載も続くのかわからないのですが、こうして書いていて、とても楽しいです。

ようやく終わりが見えてきたので、お気に入りのワインでも開けますね。つまみは国技館の焼き鳥で、マリアージュを楽しみながら。

それでは、来場所まで「へば」!(青森の方言。津軽弁で“さようなら”の意味)

あっ、言い忘れましたが、飲むのはもちろん家で、ですよ。

来場所もみんなで「けっぱれ!!」。  

(元安美錦 安治川)

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