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『万葉集』(後編)|福田和也「最強の教養書10」

★前編を読む 

 人類の栄光と悲惨、叡智と愚かさを鮮烈に刻み付けた書物を、ひとは「古典」と呼ぶ。知性の可能性と限界をわきまえ、身に浸み込ませることを「教養」という。こんな時代だからこそ、あらためて読みたい10冊を博覧強記の批評家、福田和也がピックアップ。第2回は、新元号の出典元として再び注目を集めている、この一冊。(後編)

 恐らく『万葉集』は一人の人間が一つの意図を持って整理したのではなく、長い年月をかけて歌の増減を繰り返しながら、現在の形にたどりついたのだろう。

 しかし、成立や編者などというものは、はっきり言って、どうでもいい。

 そんな周辺知識を得るよりもまず、『万葉集』を手に取って開き、歌を読んでみることが肝心だ。いきなり漢字ばかりの原書を読めというのではない。『万葉集』ブームとなった今、分かりやすい読み下し文になった『万葉集』はたくさん出ているので、その中から好きなものを選べばいい。

 第一巻の巻頭を飾るのは雄略天皇の長歌だ。

 籠もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち この丘に 菜摘ます兒 家聞かな 名告らせね そらみつ やまとの國は おしなべて 吾こそをれ しきなべて 吾こそませ 我こそはは 告らめ 家をも名をも

 籠よ 美しい籠を持ち 箆よ 美しい箆を手に この岡に菜を摘む娘よ。 あなたはどこの家の娘か。 名は何という。 そらみつ大和の国は、すべてわたしが従えているのだ。 すべてわたしが支配しているのだ。 わたしこそ明かそう。 家がらも、わが名も。
                                  (中西進訳)

 言葉通りにとれば、次のようになる。

 春のある日、岡で菜を摘んでいる娘たちの中の一人を、そこを通りかかった雄略天皇がみそめ、声をかける。『家と名前を申しなさい。この大和の国は全て私がおさめている。まず私から名乗ろう』といったことになるが、単に声をかけているのではなく、天皇は娘に求愛をしているのである。

 実はこの歌は雄略天皇自身の歌ではなく、昔から春の農耕始めのときに豊作を祈って舞い歌われていた歌と考えられている。天皇と娘の結婚の後には子孫繁栄がある。それを五穀豊穣と重ね、祈りの歌とした。雄略天皇としているのは、彼が数々の武勇と恋愛の伝説を持つ古代の帝王だからだろう。

 つまり、巻頭のこの歌は天皇の歌というよりは民心の歌なのである。

 この巻頭の歌に『万葉集』の存在が象徴されている。

『万葉集』二十巻には四千五百余首の歌が収められているが、天皇や皇族の歌ばかりでなく、防人や防人の妻の歌、庶民の歌が収録されている。というより、半数以上が作者未詳の歌なのである。当時から普通の庶民があまねく歌を詠めたわけではないだろうが、特権的なエリート層や専門家に限定されることなく広い層の作品が収められていることは事実である。

 有名歌人たちの歌にしても個人的な主張をしているわけではなく、その時代の民心を反映している。

 前に挙げた柿本人麿の歌をもう一度見てみよう。

淡海の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ

 淡海の海の夕波に飛ぶ千鳥を見て昔を思い出すのは柿本人麿ばかりではない。多くの人が同じような思いを抱いていて、その心を人麿が歌に詠んだのだ。

 人麿はいってみれば多くの人々の代弁者であり、人々の共感を得て賞賛されたのであるこうした文芸のあり方は、『万葉集』の時代に限らず、ずっと後、現代にまで続いている。

 今、日本で文芸作品を作っている人はどれだけいるのだろうか。短歌と俳句の人口だけで、軽く一千万人を超えるのではないだろうか。昔から小説や評論を書いて雑誌に投稿したり賞に応募する人たちも多かったが、今やインターネットという場を得てその数はさらに拡大している。これは異様なことであると同時に素晴らしいことでもある。日本はまさに言霊の咲き栄える国だということになる。

 日本の文芸、文化において、もっとも貴重な性格の一つが、誰もが文化を創る側にたてるということにあり、その文化の基本的なあり方を決めたのが『万葉集』なのである。

 さて、『万葉集』の半分を占める作者未詳の歌にどんなものがあるのかみてみよう。

 摂津にして作れる

 命を 幸くよけむと 石そそく
 垂水の水を むすびて飲みつ
                  読み人知らず(『万葉集巻七』)

「命を 幸くよけむと」というのは、自らの命、生命の無事、つまり健康と平安を祈ってということなのだろうが、より真剣な、自分の生命と向き合っているようなさしせまった感じが窺える。「石そそく」は「垂水」、滝の枕詞であり、「むすびて」は、手を結ぶということ。両手を合わせて滝の水を汲んで飲んだということだ。

 この「むすびて」が魅力的だ。滝に向かって、自らの命に向かって合掌をしているような、同時に自分の身体そのものと対しているような感じがある。獏とした、振るい難い不安の中に、毅然と立っている。

『万葉集』の歌は率直であるといわれる。この歌も要するに健康を祈って滝の水を手でくんで飲んだというだけのことだ。複雑な状態でもなんでもない。しかしまた同時に、今日にいたるまで私たちが日常に繰り返している動作や行為の本質を示し、時間や環境の差異などものともしない力強さがある。その魅力は単純素朴というような言葉ではとらえられるものではない。
「ますらおぶり」という言葉がある。賀茂真淵が古今和歌集の「たおやめぶり」に対し、万葉集の特質に対して名付けたものだが、比喩を用いたり、空想の情景を描いたりすることなく、ありのままを率直に描くことを意味する。ただし率直だからといって、荒っぽいというわけではなく、そこには格調と充実感が溢れている。

『万葉集』は相聞歌、つまり恋の歌もまた率直である。好きな歌はいくつかあるが、時にあまりの生々しさに噎せるような感じを覚えることがある。

 遠妻と 手枕交へて 寝たる夜は
 鶏がねな鳴き 明けば明くとも
                           作者未詳 巻十

「遠妻」は、七夕の織姫のことで、要するになかなか会えない妻のたとえなのだろう。

「手枕交へて」というのが、いい。一言で全ての状況をいいあてている、男が女の頭の下に腕を貸して、体をぴったりとくつつけて寝ている。ずっと、ずっと、そうやって寝ている。

「鶏がねな鳴き 明けば明くとも」というのは、朝よ来ないでくれ、といっているのではない。来ないほうがいいのだけれど、そうはいかないことはよく分かっている。だから、朝が来るのは仕方がないけれど、せめて鶏は鳴かないでもらいたい、そうすれば寝ていられるから、というのだ。この細やかな心の動きが、かえって思いの深さを伝えている。

『万葉集』は雑歌、相聞、挽歌の三大部立てになっている。相聞は前述した通り恋の歌であり、挽歌は死者を悼む歌、雑歌は相聞、挽歌以外の全ての歌である。先に挙げた「摂津にして作れる」の歌は雑歌に入る。

 さらに表現方法を見てみると、『万葉集』の四千五百首には、長歌、短歌、旋頭歌、仏足石歌など様々な歌体の歌がある。

 歌の種類も多ければ、歌を詠んだ層も広い。この寛容さが後の日本の文学に大きく影響していくのである。

 例えば、「むかし、をとこありけり」で始まる『伊勢物語』。これは在原業平のエピソードを集めた物語である。業平は今でいうイケメンの代表であり、色好みでもあったため、女性関係のトラブルが絶えず、そのため流浪の生活を強いられた。

『伊勢物語』は日本の物語文学の源流とされているが、はじめは物語でなく業平の歌集という形だった。業平の歌の一首一首に後世の人が詞書を書き加えていくうちに、物語の比重のほうが大きくなり、今のような『伊勢物語』が成立したのである。

 要するに『伊勢物語』は、単独の作者になるのではなく、複数の手になるものだった。そして重要なのは、その制作が業平の歌の享受、つまりはその歌を味わい、楽しむことと物語が生まれることが直接につながっている、何のへだてもない。

 これはまさに『万葉集』の寛容からつながるものではないだろうか。そしてさらにそれは後世において、様々なジャンルがつながり、関係し、影響し合い、相互に響き合うような日本の文芸の形を形成していったのだ。

『万葉集』の歌を読み味わうことは、寛容から広がっていく情感に身を委ね、上下左右の立場や身分のみならず、人と生き物、山河と風水の境目も、今と昔、今日と明日の敷居をも超えて、楽しさに浮かれ、哀しみに沈み、とめどなく纏綿していく経験にほかならない。

『万葉集』の最後は、新春の宴で未来を祝福する大伴家持の歌でしめくくられている。

 新しき年の始めの初春の今日ふる雪のいやしけ吉事

(完)

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