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佐藤優のベストセラーで読む日本の近現代史 『政治的なものの概念』カール・シュミット

「友・敵理論」で日本学術会議問題を読み解く

日本学術会議が推薦した会員候補6人が菅義偉首相によって任命されなかった問題は、政争の具になってしまった。この問題が、日本学術会議と首相官邸の間で、閉ざされた扉の中で静かに話し合われたならば、軟着陸は可能だったと思う。現に2016年と17年の人事に関しては、日本学術会議の大西隆会長(当時)が首相官邸幹部とよく言えば大人の交渉、悪く言えば「ボス交」を行うことで軟着陸した経緯がある。

今回それができなかったのは、本件が10月1日の日本共産党中央委員会機関紙「しんぶん赤旗」のスクープとして報じられたからだ。共産党は革命政党だ。その適否についてはさまざまな見解があるが、〈共産党は、第5回全国協議会(昭和26年〔1951年〕)で採択した「51年綱領」と「われわれは武装の準備と行動を開始しなければならない」とする「軍事方針」に基づいて武装闘争の戦術を採用し、各地で殺人事件や騒擾(騒乱)事件などを引き起こしました。/その後、共産党は、武装闘争を唯一とする戦術を自己批判しましたが、革命の形態が平和的になるか非平和的になるかは敵の出方によるとする「いわゆる敵の出方論」を採用し、暴力革命の可能性を否定することなく、現在に至っています。/こうしたことに鑑み、当庁は、共産党を破壊活動防止法に基づく調査対象団体としています〉(公安調査庁HP)というのが政府の共産党に対する公式見解だ。

公安調査庁だけでなく警察庁も共産党を監視している。共産党が、菅首相が認めなかった候補者6人を学術会議会員にせよと要求した瞬間に本件は政争の具となり、政府にとって妥協の余地がなくなった。

政府の内在的論理を理解するために初期ナチスの理論家であったカール・シュミットの「友・敵理論」で補助線を引いてみよう。

政治的なものの概念は、善悪、美醜、利害などの二項対立でとらえることはできないとシュミットは考える。

〈政治的なものという概念規定は、とくに政治的な諸範疇をみいだし確定することによって獲得されうる。すなわち、政治的なものには、それに特有の標識――人間の思考や行動のさまざまな、相対的に独立した領域、とくに道徳的、美的、経済的なものに対して独自の仕方で作用する――があるのである。したがって、政治的なものは、特有の意味で、政治的な行動がすべてそこに帰着しうるような、それに固有の究極的な区別のなかに求められなければならない。道徳的なものの領域においては、究極的区別とは、善と悪とであり、美的なものにおいては美と醜、経済的なものにおいては利と害、たとえば採算がとれる、とれない、であるとしよう。そのさい問題なのは、このような他の諸区別と、同種でも類似でもないが、しかもそれらに依存せずに独立であって、さらにそれ自身ただちに分明であるような特殊な区別が、政治的なものの単純な標識として存在するかどうか、またそれはどういう点なのか、ということである〉

「政治上の敵」=「悪」でない

政治的なものの概念は、「友」と「敵」の二項対立によってしか成立し得ないとシュミットは強調する。

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