『存在と時間』 マルティン・ハイデガー(前編)|福田和也「最強の教養書10」#10
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『存在と時間』 マルティン・ハイデガー(前編)|福田和也「最強の教養書10」#10

人類の栄光と悲惨、叡智と愚かさを鮮烈に刻み付けた書物を、ひとは「古典」と呼ぶ。人間知性の可能性と限界をわきまえ、身に浸み込ませることを「教養」という。こんな時代だからこそ、あらためて読みたい10冊を博覧強記の批評家、福田和也がピックアップ。今回は、ハイデガーによる、この1冊。(前編)

私は眠れない子供であった。

ベッドに入って、目をつぶっても、意識が覚醒していて、眠りの世界に入っていけない。

仕方がないので、枕元に小さなスタンドを置いて、夜通し本を読んでいた。

中学生になると不眠に死の恐怖が加わった。

死について考え始めると、どうしようもなくなった。死というのは、死ぬのが怖いと思っているこの自分がなくなってしまうことだ、と考える自分がなくなってしまうことだ、……という無限の連鎖。

その恐怖を紛らわせるために、酒を飲むようになった。父は酒飲みではなく、あちこちから贈られてきたブランデーやウイスキーの多くは口を切っても長い間リビングのキャビネットの中に放置されていたので、それをこっそり飲んだ。

高校に入ると、同級生たちが公然と酒を飲んでいるので、私も外では公然と飲んだ。家ではさすがにそうもいかないので、学校からの帰途、酒屋でサントリーのいちばん安いウォッカを買い、カバンに押し込んで帰宅した。

そして、自室でストレートのウォッカを呷りながら聴くのはいつの間にか、イギー・ポップ、デッド・ケネディーズ、ジョニー・サンダース、ザ・ジャム、バズコックス、セックス・ピストルズといった、パンクロックになっていった。

酒を呑み、彼らの知的な匂いの全くない音楽を聴いている限り、私は死の恐怖から逃れることができた。

Now I wanna be your dog

Now I wanna be your dog

(『I wanna be your dog』Iggy Pop)

マルティン・ハイデガーは、1889年9月26日、ドイツ南部の町メスキルヒに生まれた。

「メス」は「ミサ」、「キルヒ」は「教会」を意味するように、この町では教会が大きな力を持っていた。

ハイデガーの父親は教会の家屋を管理する堂守で一家は教会に隣接する家に住んでいた。また父親はその仕事とは別に、果実酒やワイン用の桶を作る仕事をしていて、マルティン、妹のマリー、弟のフリッツはこの桶作りを手伝っていた。

自動車も走っていなければ、電気も通っていない。そんな辺鄙なところではあったが、町は人でいっぱいで、どの家も子だくさんであり、子供たちは夕方になるまで路上で遊んでいた。

安息日の日曜日には、男の子たちは教会の掃除をし、女の子たちは花を飾った。彼らはそうした中でラテン語の応答やミサの秘蹟を学んだ。

ハイデガーの父は堂守としての定収入に加えて桶細工の副収入もあったので、家は貧しいわけではなかったが、子供たちを高等小学校の上の学校にやるほどの余裕はなかった。

しかし、優秀な子供には救いの手が差し伸べられた。メスキルヒにおいて、それはもちろん教会によるものだった。教会は優秀な子供たちが上の学校に行き、いずれ神学を学んで聖職者になってくれることを期待したのだ。

ハイデガーは町村司祭カミロ・ブラントフーバー神父からラテン語のレッスンを受け、1903年、14歳のときに教会の援助でコンスタンツのハインリッヒ・ズーゾ高等学校に入った。過程終了後に、フライブルグのベルトホルト高等学校に転校して、そこを卒業。1909年9月、20歳でイエズス会の修練士用宿舎に入った。教会の期待に見事応えたのである。

ところが、たった2週間で除籍されてしまった。ハイデガーには心臓疾患があり、度々心臓発作を起こしていたからだ。

聖職者の道を断たれたハイデガーは同年、フライブルク大学に入学。最初は神学を専攻したが、2年後には哲学に転じた。

彼の病気は厄介なもので、ひどい発作が起きて死にかけても死なずに復活し、生きようと思うとまた発作が起きる。

ハイデガーが子供の頃から死を恐れていたかどうかは分からないが、「死」というものに対して早くから意識的であったことは確かである。彼は「死」を通じて「生」を考えるようになり、「生」は「存在」へとつながった。

ハイデガーは「死」から「存在」へと向かっていったのである。

古代以来、哲学の根本的努力は、存在者の存在を理解し、これを概念的に表現することをめざしている。その存在理解のカテゴリー的解釈は、普遍的存在論としての学的哲学の理念を実現するものにほかならない。

「存在」は、存在者についてのいかなる経験においても、表立たずにではあるが、あわせて了解されている。かような存在了解は、われわれ自身がそれであるところの存在者、すなわち現存在にそなわっている。すべて、存在を主題とする存在論的考究を具体的になしとげるためには、まず、漠然とした通俗的な存在了解の水準を脱却していなければならない。そのためには、いったい存在というようなものがどこから理解できるようになるのかということを解明する必要がある。あらゆる存在理解のための地平が、このようにあらかじめ解明されていなくては、存在論は確実な歩みをたどることができない。存在了解の地平をあらわにするこの基礎存在論的課題こそ、すなわちここに述べる『存在と時間』についての論考が自ら課した課題である。                        (『存在と時間』細谷貞雄 訳)

「序に代えて」の冒頭である。

1927年、『存在と時間』はハイデガーの師であるフッサールの現象学研究年報の第8巻に掲載され、公表された。

当時、ハイデガーは38歳。マールブルク大学の教授であり、彼にとっての初めての主著であった。

この本は、ドイツの若きインテリたちに衝撃を与え、瞬く間に当時の思想界の形勢を変革し、その影響はドイツにとどまらず、ヨーロッパ哲学全般にまで及んだと言われている。

何故それほどの衝撃があったのかといえば、まず時期ということがある。『存在と時間』が刊行されたのは第一次世界大戦が終結して9年後。

第一次世界大戦は、4年3か月の長期間、25か国という参加国の多さ、毒ガス、戦車、航空機などの大量殺戮が可能な新兵器、その結果としての約1000万人に近い戦死者……とどの要素をとってみても、これまでの戦争の常識を根底から覆すものだった。

戦争によって国家体制は崩壊し、キリスト教は無力化し、アメリカの台頭でヨーロッパの没落が意識され、とくに戦敗国のドイツでは悪性インフレによって金の価値が無となっていた。

信頼していたもの全てが崩壊するなか、人々は新たな生の基盤を求めていたのである。

またこの本が思想界に激震を引き起こしたのは、ハイデガーが「存在」を究明していくために、伝統的哲学の解体という手法をとったからである。

例えばデカルトについて彼はこう述べる。

《cogito sum》(われ思う、われあり)によってデカルトが果たそうとしたことは、哲学のために新しい確実な地盤をすえつけるということであった。ところが、彼のこの「根底的」な開始にあたって無規定のままに放置したものは、res cogitans(思惟する物)の存在様式、いっそう正確に言えば、sum(われあり)の存在意味であった。《cogito sum》というテーゼを支えている表だたない存在論的基礎を明らかにとりだすことに、存在論の歴史のなかへ解体的にさかのぼる道程における第二の宿駅での滞在期間があてられる。その解釈は、デカルトが一般に存在への問いを閉却せざるをえなかったことを立証するだけでなく、彼がcogito(われ思う)の絶対的「確実知」を得ることによってこの存在者の存在意味への問いを免除されたという見解に走った理由も示す。

デカルトは「われ思う、ゆえにわれあり」で、哲学に新しい地平を開いた。しかし、そもそも「われあり」とはどういうことなのか。

ハイデガーはデカルトの思想に深く入り込み、本意を問い詰め、内部からの解体をはかった。アリストテレスに対してもカントに対しても同じことを行った。

そして伝統的哲学を踏襲しない独創的な方法で「存在」を究明していったのである。

まずは自分や物が「存在している」と理解できるのは人間だけであるとし、人間の存在(ありかた)を問うことから始める。ここでハイデガーは人間に「現存在」という名称を与える。人間は一人として同じ人間はおらず、一人一人がそれぞれ自分だけの「現実」に直面して生存している。ゆえに「現存在」なのである。人間の存在がはっきりしてくれば、そこから「存在にせまっていくことができると考えたのだ。

次に、人間がいかに「存在」を了解しているのかを問う。人間は「~がある」という時、漠然とその状態を了解している。その平均的な了解が何なのかをはっきりさせるということだ。

ここで重要なのは、「存在」は根源的、絶対的なものであると想定されるが、その由来について、神話や輪廻転生といった「おとぎ話」を持ち出してはならないということ。そうしたものに頼ってしまっては、結局「存在」は曖昧なものになってしまうからだ。

さらに、単に人間存在の存在了解を推し進めていくだけでは「存在」の本質にたどりつくことは難しい。人間が存在というものを暗々裏に了解しているもとには「時間」があるので、「現存在」の「存在」を「時間性」という観点に向かって解釈していかなければならない。

最後に、「存在」についての分析を進めるためには現象学の方法を用いる必要があるとした。現象学の道を大きく打開させたのはフッサールだが、ハイデガーはフッサールの現象学の志向性や説を発展させ、独自の現象学を構想した。その本義は、「自分自身が自らの内で生じる意味の生起を見る」ということだ。

ハイデガーは言う。「現象学とは、存在論の主題となるべきものへの近づき方であり、そしてそれを証示的に規定する様式である。存在論はただ現象学としてのみ可能である」。

★後編に続く

5月18日、本連載をまとめた新書『教養脳 自分を鍛える最強の10冊』が刊行されます。ご期待ください!

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