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おそるべき「馬」の身体能力。99%の馬は泳ぐことができる!

文・蒲池明弘(かまち・あきひろ/歴史ライター)

日本の歴史を動かした「馬の伝来」

 長い間、強力な軍事兵器であり、輸送手段でありつづけた馬。5世紀、その馬が日本に伝わったことで、この国の「中心」が大きく動き、武士の誕生、武家政権の成立につながった――こうした観点から、私は『「馬」が動かした日本史』(文春新書)を執筆した。

 その取材の一環でお目にかかり、日本の馬に関することや、世界の馬の中での日本の馬の位置づけについて、多くの貴重な知見を提供していただいたのが、横浜市にある「馬の博物館」で学芸部長、副館長などを歴任し、現在は馬事文化財団の参与をつとめる末崎真澄氏だ。

馬の博物館_外観

「馬の博物館」とは、馬にまつわる歴史、民俗、美術から、馬の生態まで総合的に展示する、世界でも類例のない馬にかんする専門博物館である。日本中央競馬会(JRA)の文化事業を担う馬事文化財団が運営している。

 この博物館があるのは、横浜市中区の高台に広がる根岸森林公園の一画。この公園は、幕末に開設された日本で最初の本格的な洋式競馬場の跡という歴史を持つ。

 この博物館で、書籍『「馬」が動かした日本史』には盛り込めなかったものの、日本の馬に関する魅力的なお話を末崎氏からうかがった。その内容をここで公開する。

 まず前編では、あまり知られていない馬の身体能力について、末崎氏の解説を掲載する(聞き手・蒲池明弘)。

解説する末崎真澄氏

馬事文化財団参与の末崎氏

朝鮮半島から馬は泳いで日本に来た?

――『平家物語』に描かれている佐々木高綱と梶原景季の宇治川の先陣争いをはじめとして、軍記文学には武士が馬を泳がせる場面がいくつかあります。宇治川の先陣争いについては、『平家物語』の作者がひねりだしたフィクションという説もあるようですが、そもそも馬にはどの程度の水泳能力があるのでしょうか。

末崎 最初に申し上げておきたいのは、馬は泳ぐことのできる動物であるということです。

 滋賀県栗東市にJRA(日本中央競馬会)が運営する競走馬のトレーニングセンターがあるのですが、馬が泳ぐための一周50メートル、幅3メートルの円形のプールがあります。足の故障などで十分なトレーニングができない馬が、心肺機能を維持することなどを目的に泳いでいます。水中だと足に負担がかからないからです。

 特別な練習をしなくても、99パーセントの馬は泳ぐことができます。首をまっすぐ立てて、犬かきのように泳いでいる馬のプール調教を、ネット上の動画として見ることができると思います。


――末崎さんは論文や講演で、「馬は泳ぐことのできる動物」という事実は、古代の歴史を考えるうえでも重要な情報であることを繰り返し指摘されています。

末崎 紀元前9世紀のアッシリアの王、アッシュールナシルパルの遠征を記録した石製のレリーフが大英博物館に収蔵されているのですが、そこにユーフラテス川を渡る場面も描かれています(筆者注・レリーフはアッシリアの都だったニムルドで出土。現在のイラク領)。

 小さな舟に乗った御者が、手綱をかけた2頭の馬を泳がせ、大河を渡らせようとしている場面です。下あごを縛られているので口で呼吸することはできませんが、馬は鼻で呼吸するので、手綱によって誘導されながら泳ぐことができるのです。馬が鼻呼吸をすることは意外と知られていませんが、馬の歴史を考えるうえで忘れてはいけないことです。サラブレッドの世界でも、鼻が大きいことが名馬の条件とされています。

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ユーフラテス川を泳ぐ馬を描いた古代のレリーフ(大英博物館所蔵)
https://www.ancientworldmagazine.com/articles/crossing-river-example-assyrian-ingenuity/ (ANCIENT WORLD MAGAZINE)より

このレリーフからわかるのは、馬を載せることのできる立派な船がない時代であっても、馬の輸送は可能だったということです。

 日本の馬の歴史にあてはめると、筏(いかだ)、丸木舟のような簡易な舟であっても、馬の水泳能力をつかったこの方法であれば、朝鮮半島から、対馬、壱岐と島伝いに九州まで馬を運ぶこともできたのではないかという可能性に思い至りました。イノシシは島伝いに瀬戸内海を渡りきることが知られています。哺乳類は腸が長くて、水に浮きやすいのです。

 馬の飼育という新しい文化が朝鮮半島から日本に伝わったのは、古墳時代の5世紀ごろとされていますが、馬の骨の散発的な出土は3世紀ごろにも見うけられます。国と国の関係で馬の文化が伝来する以前にも、民間レベルの交流で馬は半島から九州に運ばれていたと思われます。

 輸送力に乏しい小さな舟であっても、冒険心、勇気にあふれた人たちが、馬を泳がせながら島伝いに海峡を渡った可能性はあると思うのです。

急斜面にも強い

――末崎さんの論文で面白いと思ったもうひとつのことは、日本の馬は傾斜地に強く、一部の武士はそのことをよく知っていたという指摘です。

 有名な話でいえば、源平の合戦のとき、源義経が、崖のような急斜面をものともせず、騎馬武者を率いて駆け下りたという「鵯越(ひよどりごえ)」の伝説があります。

 この逸話も『平家物語』に記されていますが、フィクションと見なす研究者も少なくない印象があります。

末崎 テレビや映画の時代劇でお馴染みなのは、義経の率いる騎馬武者が馬に乗ったまま急斜面の坂を駆け下るシーンです。それはありえないと思いますが、武士たちが馬を支え、誘導しながら急斜面を降りて、奇襲作戦を成功させた史実があった可能性はあるのではないでしょうか。

 私がそう考える根拠は、馬たちといっしょに富士山に登った体験にあります。

 1980年、日本固有の馬のひとつ北海道和種(道産子)50数頭で、5合目の登山口から富士山の頂上を目指しました。ふだん十分な運動をさせていない馬もいたのに、成人男性を乗せて、5時間ほどで富士山を登り切りました。

 たいへんだったのは下り斜面です。人が乗ったまま下山するのは不可能だとわかりました。馬たちは後ろ脚を曲げて、尻を地面につけるようにし、前脚は伸ばして突っ張るような姿勢で、なんとか斜面を降りてゆくという状態でした。苦労しながらも、北海道和種の馬たちは富士山の急斜面をのぼりくだりできたのです。日本の馬は傾斜地に強いということを実感しました。


日本固有の馬は傾斜地に強い

――日本の馬が傾斜地に強いというのは、身体的な特徴としてもあらわれているのでしょうか。

末崎 北海道和種だけでなく、長野県の木曾馬、宮崎県の御崎馬など日本固有の馬について言えることですが、前脚は開き気味で、後ろ脚はX字のような形になった馬がいます。こうした脚の形は、傾斜地に強い馬の特徴です。山や丘陵の多い日本列島で暮らしているうちに、こうした形質を持つ馬が増えたのだと思います。

日本の馬の後脚はX字に開き気味(宮崎県の御崎馬)

               X脚の馬


 ご存知のように、源義経は幼少期、奥州藤原氏の拠点地である平泉(岩手県)に身を潜めていた時期があります。当時の東北北部は日本で最大の馬産地でしたから、騎乗の技術だけでなく、馬の生態についても勉強する機会に恵まれていたはずです。義経は馬の能力や性質を知りつくした名将だったのではないかと考えてみると、腑に落ちることがいろいろとあります。

 一般論として日本の馬は傾斜地に強いと言えますが、一頭ごとに見ると、その特徴が顕著な馬もいえば、そうでもない馬もいます。それを踏まえたうえで、想像をたくましくして、鵯越の伝説を考えてみましょう。

 義経は、傾斜地に強い馬が持っている身体的な特徴を見抜く知識をもっており、そうした馬を選抜して、特殊な作戦に備えて用意していたのではないでしょうか。この馬の能力であれば、この程度の傾斜地なら大丈夫だと判断する知識もあったと思います。馬をコントロールしながら、急斜面を降りる特殊な方法があったのかもしれません。

 作戦としては、馬に乗るのは傾斜地を降りてからでも十分なのです。平家軍がまったく警戒していなかった方向から、突然のごとく、義経の率いる騎馬隊が出現し、平家軍は大混乱に陥った。みごとな勝利が当時の人たちの記憶に残ったということは十分にありうることです。


馬は環境適応能力に優れている

――末崎さんの監訳で昨年刊行された『世界の馬:伝統と文化』(スサンナ・コッティカ、ルカ・パパレッリ、緑書房)では、インド、アフリカなど高温地帯の馬から、雪に閉ざされた北欧やアイスランドの馬まで、世界各地の馬が紹介されており、その多様性に驚きました。

末崎 人間が馬の家畜化に成功したのは、ユーラシア大陸の乾燥した草原地帯だと考えられていますが、馬の飼育という文化が世界各地に広がるにつれ、それぞれの土地の風土や馬の使用目的によって、外見や性質の異なるさまざまな馬が誕生しました。現在、世界の馬の品種は150くらいだといわれています。

 サラブレッドの源流であるアラブ馬は、気温の高い風土に適応し、薄い皮膚になっています。汗をたくさん出して、体温を調整するためです。これと反対に、ロシアや北欧など寒い地域の馬は、脂肪が多く、フサフサした体毛を持っています。世界各地の多様な馬を見ると、馬という動物は、環境に適応する能力にすぐれていることがわかります。山がちで急峻な地形が目立つ日本に、傾斜地に強い馬がいるということもその一例なのです。

(後編に続く)

■末崎真澄(すえざき・ますみ)
(財)馬事文化財団参与。1977年の「馬の博物館」開館当初から運営にかかわり、学芸部長、副館長などを歴任。1948年、福岡県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。主な著書に『馬の博物誌』(河出書房新社)、『ハミの発明と歴史』(神奈川新聞社)、『馬具大鑑(近世編)』(共著、吉川弘文館)など。「日本騎兵の父」といわれる秋山好古の活躍が描かれる歴史小説『坂の上の雲』(司馬遼太郎)をNHKがドラマ化したとき、騎兵の考証を担当した。


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