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ウソをつく脳 中野信子「脳と美意識」

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※本連載は第16回です。最初から読む方はこちら。

 ウソつきは美しいか、美しくないか、と問われれば、多くの人は美しいとは答えないだろう。

 不都合な事実が明るみに出た時、それを素直に認めて謝る人に対して、人々は寛容だ。一方、「この人はウソをつく人だ」という印象を一度でも与えてしまうと、いつまでもそれは人々の記憶に残ってしまう。何年経っても、そのこと自体が攻撃の口火となり、積極的にウソをつくわけでなくとも、この人は不都合な真実をなかったことにしてしまう人だ、と失望と落胆の気持ちを強めたり、支持する気持ちを萎えさせたりしてしまう。

 京都大学の阿部修士准教授が、ウソつきに見られる特徴的な脳の活動について報告している。報酬が期待される、言い換えれば、自分にとって望ましい何かが起きそうだ、というときに側坐核の活動がより高くなる人ほど、ウソをつく割合が高いという傾向がわかったのだ。

 研究では、金銭報酬遅延課題およびコイントス課題が用いられている。
金銭報酬遅延課題では、モニターに正方形が表示される。が、それはごくわずかの間だけで、表示されているそのほんの一瞬の間にボタンを押すことができれば、被験者はポイントがもらえる。どことなくe-スポーツ的な感じのする、ゲーム性のあるタスクである。側坐核はこうしたゲーム性のある作業を行う時、報酬への期待が高まって活発になることが知られている。タスク遂行時に側坐核の活動が活発であるほど、報酬への欲求が大きい人だということになる。コイントス課題は、コインの裏表を当てるゲームのような単純なタスクである。あらかじめ裏と表どちらが出るかを被験者に予想してもらい、実際にコインを投げ、当たればポイントがもらえる。

 このコイントス課題で、被験者のウソつき度が試される。

 被験者には、ウソをつくことができないように、予想を紙に書いてからコインを投げる、という方式と、ウソをつくことが可能な、予想は紙に書かない方式の両方でコイントス課題をやってもらう。後者では、紙にも書かず、口にも出さないわけだから、ウソをついたのかどうか、証拠は残らない。ただ、その人の正解率がチャンスレベル(偶然の確率)以上になっていれば、その被験者は一定の水準以上にウソをついている、ということが明らかとなる。

 さて、これらの実験を被験者にやってもらった結果、金銭報酬遅延課題(瞬間ボタン押しの課題)で側坐核の活動の高かった人ほど、コイントス課題でウソをついていたという傾向が見られた。

 側坐核というのは、脳における“快楽中枢”といわれる領域である。1950年代にオールズとミルナーが行った実験で、ラットの脳に電極を刺し、レバーを押すことで電気刺激が入るようにしておくと、ラットは飲食を忘れてレバーを押し続けたという行動がみられたことから、このように呼ばれている。

 この領域は、食事やセックスといった、脳にとって報酬となる多くの行為に関連している。依存症の病態にも関与している。定期的にスクープされる、派手な性行動が記事になってしまうタイプの人の中には、適切な投薬や心理社会的治療が必要な人もいるだろう。興味深いものでは、ある種のドラッグによって惹き起こされる快感と、音楽の快感とがほとんど同じだと指摘する研究もある。

 ところで、側坐核の活動が高くても、ウソをつかなかった場合には、またさらに特徴的な脳の活動パターンが見られ、背外側前頭前野の活動が高くなったという。この領域は、理性的な判断、また行動の抑制に重要な領域であると考えられている。

 わかりやすく噛み砕いて言えば、ウソつきの脳内には、ウソをつきたい欲求が人よりも強く存在する。しかしその欲求を背外側前頭前野が強く抑えることで、ようやく正直な言動ができる、ということになるだろうか。

 ただ、ウソをついているのかどうか、完全に見抜くことは難しい(だからこそ私たちは証拠を必要とする)。側坐核が活発に活動しているかどうかも、他人からはわからないし、活動が高くても必ずしもその人がウソつきということにもならないということは明記しておかなくてはならないだろう。

 ある雑誌(文春WOMAN)の人生相談のコーナーで、自分は公務員の職にあるが、ウソをつくことがやめられない、他人をだまそうとか迷惑を掛けようとかいう意図はないのだが、つい息をするようにウソをついてしまう、どうしたらいいのか、という相談を受けたことがある。ウソを自然についてしまう自分を恥じているような文面だった。

 もし、そもそも脳の傾向としてそんな性質を持っていると自覚があるのなら、ウソをつくことが基本的には推奨されない職をなぜ、高い障壁を自らに課すようにして選んでしまったのだろう。美しい虚構を創造したり優しいウソを使いこなして人々を楽しませる仕事を精力的に行う人もいる。それは一つの才でもあるのだから、人を貶めたり騙して搾取するために使うのではなく、人を癒やし、喜ばせるためにその能力を活用する方向に持っていくのが人間の美意識、真の知性というものではないだろうか。

(連載第16回)
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■中野信子(なかの・のぶこ)
脳科学者。東日本国際大学特任教授。1975年生まれ。東京大学工学部応用化学科卒業、同大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。医学博士。2008年から10年まで、フランス国立研究所ニューロスピン(高磁場MRI研究センター)に勤務。脳科学、認知科学の最先端の研究業績を一般向けにわかりやすく紹介することで定評がある。17年、著書『サイコパス』(文春新書)がベストセラーに。他の著書に『ヒトは「いじめ」をやめられない』(小学館新書)、『シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感』(幻冬舎新書)など。※この連載は隔週土曜日に配信します。
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