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小説「観月 KANGETSU」#76 麻生幾

第76話
スナップ写真(3)

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※本連載は第76 話です。最初から読む方はこちら。

「2、3年前だったか……。親戚が集まって上野の桜を観に行った時のものです」

 そこには、真田夫婦のほか、10人の男女が写っていた。

 萩原はその一人一人について橋本から説明を受けた。すべてが親戚関係にある者たちだった。

「最後のこの方は?」

 荻原が訊いた。

「ああ、この人だけは親戚ではないんです」

「親戚じゃない?」

 そう訊いたのは砂川だった。

「確か、和彦の近所に住んでいる釣り仲間だとか──」

「御名前は?」

 萩原が先を促した。

「写真を裏返してみてください」

 写真に写る10人の姿の輪郭がそれぞれ一本線で書き込まれ、その一つ一つに名前が振られていた。

 写真に映る10人の姿のフレームをそれぞれ一本線で書き込まれ、その1つ1つに名前が振られていた。

「すると、この方は──」

 萩原は写真とその裏を何度も見比べた。

「山岸隆(やまぎしたかし)さん……」

 萩原はそう口にして、メモ帳を用意していた砂川に記録させた。

「どうしてこの方がご参加を?」

 萩原が尋ねた。

「その時、和彦は、奥さんの次に信頼している方だと紹介していました。それも、長い間留守にする時は、大事なものを預かり合う仲だとも──」

 橋本のその言葉に、萩原と砂川は思わず目を見合わせた。

北台(きただい)武家屋敷 大原邸

 正面玄関である長屋門(ながやもん)を見据えたその時、スマートフォンが振動した。

 涼からの電話だった。

「今、忙しい?」

 涼が訊いた。

「少しならいいちゃ」

「今夜、久しぶりにメシ食わんか?」

 涼の弾んだ声が聞こえた。

 七海は、涼のタイミングの良さに感じ入った。

 すべての不安が消え、恐ろしいこともなくなり、そして足が治りかけている、そのタイミングで会えることは何より嬉しかった。

「いいなぁ」

 時間と場所を約束した七海が最後に言った。

「驚かせることがあるん」

「なんちゃ?」

 涼が訊いてきた。

「じゃあ、今夜ね」

 そう言って七海は先に電話を切った。

 長屋門から入り、そのすぐ先にある観音開(かんのんびら)きの大門(だいもん)を七海がくぐり抜けた時、真っ先に駆け寄ってきたのは、同僚の真弓だった。

「もう治ったん?」

 真弓は驚いた風に七海の全身へ忙しく視線を向けた。

「ちょっと痛みはあるんですけどね」

 そう言った時、痛みが走って七海は少し顔を歪めた。

「本当にしゃわねぇちゃ?」

 心配そうな表情で真弓が訊いた。

「ええ。それより、さっきそこで詩織さんと会ったんですが、間もなく回収された行灯が到着するそうです」

「それがね、予定より2時間以上も遅れちょんの」

 困ったような表情で真弓が言った。

「なにかご予定でも?」

 七海が訊いた。

「まあ……いや……」

 真弓が言い淀んだ。

「もし私が代わってできることでしたら何なりと──」

「あの~実はね、中学生の娘が夕方に大分市内で講習があって、で、その前にご飯食べさそうと思うちょったんだけど……このぶんじゃ行灯が届いてから掃除を始めたら間に合いそうにもねえかなっち……」

「真弓さん、どうせ行灯の掃除は今日全部できないんですし、どうぞ、いつもよりお早めにお家に帰ってあげてください」

「これから一番忙しくなるのに、本当にいいん? 足も大丈夫?」

「ええ、もちろん。昨日はほんとご迷惑をおかけしましたし、それから先週の土曜日、弟の命日でもわがままを聞いてくださって。ありがとうございました」

(続く)
★第77回を読む。

■麻生幾(あそう・いく) 大阪府生れ。作家。1996年、政府の危機管理の欠陥を衝いたノンフィクション『情報、官邸に達せず』を刊行。日本の危機管理をめぐる“真実”を小説で描いている。オウム事件など内外の事件を取材したノンフィクション作品も。主な小説に、『宣戦布告』『ZERO』『ケース・オフィサー』『外事警察』『奪還』など。「宣戦布告」「外事警察」などが、映画化、ドラマ化され反響を呼んだ。ノンフィクション作品に、『極秘捜査-警察・自衛隊の「対オウム事件ファイル」-』『前へ!-東日本大震災と戦った無名戦士たちの記録』などがある。※この連載は、毎週日曜と不定期平日に配信します。

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