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iPS細胞に立ちはだかる3つの壁

文・森健(ジャーナリスト)

 iPS細胞(人工多能性幹細胞)の臨床研究が成果を出しつつある。

 2019年8月末、大阪大学はiPS細胞でつくった角膜を2018年に患者に移植、成功したと発表した。

「移植した組織はきれいに生着して角膜表面が透明に再建でき、視力についても改善している」(同大・西田幸二教授)

 同年4月にも、理化学研究所らが2年前に行った加齢黄斑変性の網膜へのiPS細胞の投与で安全性が確認できたと報告していた。理研の高橋政代プロジェクトリーダーはこう述べた。

「目的は達成された。これで他人のiPS細胞の安全性は確認できた」

 2019年現在、京都大学でパーキンソン病、慶應義塾大学で亜急性期脊髄損傷、大阪大学で虚血性心筋症と複数のiPS細胞の臨床研究が進んでいる。

払拭されない腫瘍化の懸念

 こうした臨床研究は発表のたびに新聞1面などで大きく扱われてきた。それだけ期待が高いということだろう。だが、このiPS細胞がどれだけ現実の医療に近いのかと問われれば、どうか。

 そもそもiPS細胞には発見当初からの懸念があり、いまも完全に払拭されたわけではない。その懸念とは腫瘍化だ。

 iPS細胞は、皮膚など完全に分化した体細胞に4つの遺伝子を導入することで、再び多様な組織に分化するよう初期化された細胞である。この細胞を特定の組織や臓器に適するように分化させ、医療や薬剤に役立てるのが目的だ。だが、組織内に未分化のままiPS細胞が残ると腫瘍をつくる可能性がある。当初に比べて、昨今は腫瘍化リスクが減ったと報じられているが、まだ完全ではない。

 その上でなお、iPS細胞の医療の実現には課題が3点ある。

 第1に、現状の見込みではiPS細胞を適用できる人は日本人の3〜5割程度に止まるとされる点だ。

 京都大学の「再生医療用iPS細胞ストックプロジェクト」は他人のiPS細胞を大量に培養し、そのストックから医療用に応用するプロジェクトだ。だが、細胞には免疫型があり、人によって合う合わないがある。その免疫型で3〜5割しか実現できないと発表されている。

 筆者は2019年4月に山中伸弥京都大学教授にその点を尋ねた。山中氏は合致する比率を上げようとすれば、何十倍もの費用がかかると語った。

「だとすれば、ゲノム編集の技術を使って、拒否反応が出ないように編集すれば全人類をカバーできるiPS細胞がつくれる。安全性の検証は必要ですが」

 第2に、実際の医療への適用ははるかに先という点だ。多くの報道で現実の医療も近いと考える人も多いかもしれないが、現在行われている大半は「臨床研究」である。臨床研究の目的は病因の解明など医学的な学術研究。いわば論文のための研究だ。一方、治療を兼ねて有効性や安全性を調べるのは「臨床試験」だ。また、臨床試験のうち、新しい薬剤などの製造販売の承認を得る試験を「治験」という。これらは似た響きだが、規模も異なり、臨床試験や治験では10年近い時間がかかるのも一般的だ。

 第3に、薬価がいくらになるのかという問題だ。2019年春に認可された白血病の薬「キムリア」は3,349万円、米国で2017年に認められた網膜疾患の遺伝子治療は85万ドル。国内外で薬剤は高騰化の流れにある。

 iPS細胞の細胞製剤は患者それぞれに合わせて調整するオーダーメイドが主体だ。そのため、均一に大量生産できる薬より手間がかかる。さらに投入された開発コストを考えると、薬価は相当な高額化が見込まれている。つまり、今後iPS細胞の細胞製剤ができたとして、高額化した場合、誰がどこまで利用できるのか、あるいは医療保険として適用できるのかという懸念がある。

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