
【35-国際】45年ぶりに死者 印中の武力衝突は戦争に発展するのか|笠井亮平
文・笠井亮平(南アジア研究者)
衝突のレベルが上がっている
世界が依然としてコロナ禍に喘いでいた2020年6月中旬。ヒマラヤ山脈西部では、前月から国境地域で続いていた中国人民解放軍とインド軍によるにらみ合いが武力衝突に発展し、インド側20人の死者が出る事態となった(中国側は自軍の死者の有無について言及していない)。インド国内では反中感情が急激な高まりを見せ、政府はTikTokはじめ中国系のスマートフォン向けアプリを禁止する措置を講じるなどした。
印中はともに核兵器を保有するアジアの二大軍事大国だけに、事態がエスカレートするのではないかと世界の耳目が集まった。両国の対立はさらに激化するのか、それとも緊張緩和解決に向かう可能性はあるのか。そして、日本にとって今回の事態はいかなる意味を持つのだろうか。
今回の対峙事案を理解するためには、「これまでと変わらない側面」と「新たな局面」に分けて考えることが有効だ。印中国境は全長約3500㎞に及ぶが、西部・中部・東部すべてのセクターで境界線は画定していない。代わりにLACと呼ばれる実効支配線があり両国の文書で度々言及されているものの、これとて明確なラインが合意されているわけではない。実効支配線についてすら両国が一致していないのだから、それぞれが自らの認識する境界線に基づいて行動する結果、相手の実効支配地域への侵入は当然発生しうる。実際、LACをめぐる越境事案は毎年多数発生しており、2008年の中国軍による越境は280件にも上ったというインド軍の集計もある。両国は1993年以降、LACでの不測の事態の拡大防止を目的とした協定を複数結んでおり、現場の司令官レベルで協議するメカニズムがある。越境事案自体は珍しいことではないのである。
問題は、中国側が意図的と思われる行動に出て、インド側とのにらみ合いが長期化する事態だ。こうしたケースが近年目立ってきていることには注意を要する。2013年と14年には西部のラダック地方で、17年には中国・ブータン国境のドクラムで印中が対峙した。2020年はそれがさらに大規模に展開された恰好だと言える。今回は45年ぶりに死者が出たことに加え、9月には空中への発砲とはいえ禁止されているはずの火器が使用されるなど、衝突のレベルが上がっていることも大きな懸念材料だ。
今回の事態は、中国は領土・領海問題をめぐり日本や南シナ海などで拡張主義的な姿勢を強めており、インドに対しても攻勢に出ていることの現れだといえる。一方のインドとしても、モディ政権のもとで2019年2月にカシミールでテロが発生した際にはパキスタンに対して報復攻撃に出るなど、外からの脅威に断固とした姿勢をとっている。とくに20年はコロナ禍を受けて長期にわたる「世界最大のロックダウン」が行われ、経済情勢が悪化し社会に閉塞感が漂うなか、国民から「弱腰」と見られることは避けたいという判断もあっただろう。