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なぜ寅さんは葛飾柴又に帰って来たのか|門井慶喜「この東京のかたち」#25

★前回の話はこちら。
※本連載は第25回です。最初から読む方はこちら。

 菊池寛が戯曲「父帰る」を書いたのは大正6年(1917)。3年後に初演。この芝居はたちまち大あたりを取り、それからは全国いたるところの劇場や芝居小屋で上演されたと思われる。

「思われる」などと曖昧な言いかたをせざるを得ないのは、実態がよくわからないからだ。当時はまだ現在のように著作権制度が整備されていなかったから、特に地方では、著者にも版元(新潮社)にも許可を得ないで巡業した例がそうとうあったにちがいない。著者および版元はそのぶん経済的損害をこうむったわけだ。いきなり余談で恐縮だけれども、第二次大戦後まもなく田村泰次郎の中篇小説『肉体の門』がベストセラーになり、それを脚色した演劇までもが東京で大人気になったことがある。

 この時期に、田村がたまたま九州のどこかへ旅行に出かけた。そうしたら旅一座の小屋があり、お客がたくさん入っていて、呼びこみ用のノボリには「肉体の閂」と演題が書かれていたとか。

 どんなカンヌキのお芝居だったのだろう。これももちろん田村や版元(風雪社)の許可を得ていない、粗悪なコピー商品だったわけだ。

 ともあれ菊池寛「父帰る」である。戦前を通じて最も成功した大衆演劇のひとつであることはまちがいないが、それは意外にも短い。一幕物の、文庫本でたった20ページくらいの物語。

 あらすじもシンプルだ。舞台は「南海道の海岸にある小都会」とあるから高松だろう。妻と三人の子供をすてて愛人といっしょに家を出た父・宗太郎が、20年ぶりに帰ってきた。

 宗太郎はすっかり落ちぶれていた。妻と次男と娘はよろこんで迎えようとしたけれども、長男・賢一郎だけは、

 あなたは20年前に父としての権利を自分で棄てている。今の私(わし)は自分で築き上げた私じゃ。私は誰にだって、世話になっておらん。

 と父に言いはなつ。

 そうして父を追い出してしまうのである。自分こそが一家をささえ、弟妹をここまで育てたのだという事実と、自負と、うらみの念。

 このとき妹はちょうどお見合いの話が進んでいたということも、話の全体に微妙な影を落としている。家庭の騒動はもっとも避けられるべき時期なのである。そんなわけで「父帰る」は、正味のところ、父帰れずの話なのだった。

 この「父帰る」のストーリーを、もしかしたら、あの映画『男はつらいよ』を製作するとき監督・山田洋次はそうとう意識したのではないか。私はかねてそんなふうに目をつけている。

 あるいは脚本担当の森崎東かもしれないが。何しろ昭和44年(1969)に公開された第一作の話の発端からして、車寅次郎(演者は渥美清)がふるさとの葛飾柴又へ帰って来たのは20年ぶり。

 くりかえすが20年ぶりだ。経済的には困窮していないようだが、しかし成功には遠い様子。妹のさくら(倍賞千恵子)は帝釈天門前の草団子屋に世話になっていて、お見合いの話が進んでいる。そう、『男はつらいよ』とは、つまり「兄帰る」の話にほかならないのだ。

 そうして寅次郎は、あの「父帰る」の父・宗一郎とはちがって、あっさり敷居をまたいだ。

 草団子屋のみんなに歓迎された。酔っ払ってさくらのお見合いをぶちこわしても追い出されないし、自分勝手な感傷から奈良へ旅に出たときも、またまた平然と帰って来た。ことほどさように『男はつらいよ』は、万事、ほどがいいのである。菊池寛「父帰る」をぬるま湯につけたような世界。

 結局、これは戦後で最も成功した大衆映画になる。ここでもやはり「父帰る」の正統的な後継者。最近出たリマスター版DVDの惹句は、

 堂々27年にわたる下町人情大河喜劇映画シリーズの記念すべき第1作!

 だ。

 そうして、その寅次郎の帰り先として、山田洋次があえて葛飾柴又をえらんだことは大成功だった。東京の人の目には地方じみて見え、地方の人の目には東京らしく見えるという絶妙の距離感が東京、地方それぞれの観客たちの複雑な自尊心に傷をつけることをしなかったという事情もさることながら、葛飾もまた、土地柄そのものが微温的なのである。あるいはいっそ、寅さん的であると言ってもいいかもしれないのだ。

 葛飾は、現在の行政用語では東京都葛飾区。

 皇居(江戸城)から見ると北東のほうにあり、千葉県と境を接するが、もともとは武蔵国ではない。

 全域が下総国に属していた。全域といっても古代においては文字どおり葛(かずら)の原がただひたすら広がるのみ。境界などはなかったろう。その範囲はどうやら現在の千葉県、茨城県、埼玉県にまで及んでいたらしいとだけは今日わかっているけれど、それにしても広すぎる、というより茫々としている。

 その茫々たる葛飾の大地の最西端、江戸川の西の部分のみが、徳川時代に入ってから切り取られ、武蔵国へ編入されたわけだ。

 編入の理由はさだかではないが、おそらく河川改修の関係ではないか。徳川時代の特に初頭は、水路の整備、および洪水の防止のため上流でひんぱんに川のつけかえがおこなわれており(そのうち最大のものは利根川東遷事業だった。これはもともと群馬の山中からI字状にながれて東京湾へそそいでいた利根川をL字状にねじまげて、こんにちのごとく鹿島灘へと向かわせる工事である)、その工事のあおりを受けて、下流の江戸川は水量が安定しなかった。それで住民たちが対岸へわたりづらくなり、人心の上での分断が起こり、片方がべつの国になったわけだ。

 とはいえ、所属国が変わったところで土地そのものは変わらない。

「武蔵葛飾」はやっぱり千葉県、茨城県、埼玉県のほうの「下総葛飾」と似たような風景でありつづけた。こんにちの私たちは要するに地平線まで緑の田んぼが広がるというような単調な絵を思い浮かべればよく、その農場の大規模ぶりは、たとえば渋谷や池袋のごとき近郊農村などはくらべものにならない。それはそうだ。直線距離で測るなら、江戸城から「武蔵葛飾」までのそれは、渋谷や池袋の2倍はあるのだもの。

 行政的なあつかいも「下総葛飾」と同様で、幕府直轄領ながら、その民政を担当するのは、

 ――関東郡代。

 という地方官だった(渋谷村と池袋村は大部分が江戸の旗本領)。ここでもまた「武蔵葛飾」は、東京23区よりも、千葉県浦安市、茨城県古河市、埼玉県幸手(さって)市のほうが性格的にはるかに近かったのである。

 例の柴又帝釈天、正式には日蓮宗経栄山題経寺というが、その帝釈天もおおむね上記の武蔵編入とおなじときに開創されたらしい。庚申信仰がさかんだったというけれども結局は地方の大寺(おおでら)という以上の何ものでもなく、江戸府内から物見遊山で来る人もいなかった。本格的に参詣客がふえたのは大正2年(1913)、京成金町線が開通してからではないか。電車でもなければ都心からの日帰りは無理だったのである。

 つまり葛飾という土地は、都会ではなく、郊外でもなく、地方の中心都市でもない。

 それらの空隙をうめる充填剤のような土地。ただのびのびと陽の光をあびて米をつくり、年貢をおさめさえすれば、

 ――万事よし。

 そんな大らかな土地だった。国家に対して、地域に対して、どういう責任を負うこともない場所なのだ。

 もちろん水害や干魃などで米がとれない年もあったろうが、それは自然災害のせいにできる。そういうのんびりした土地が近代に入ってそのまま東京府ないし東京都に組み込まれたというだけの話だから、葛飾は、いってみれば、東京でもっとも首都らしくない街になった。

 東京のなかの下総国、ともいえるだろうか。こういう土地のありように正確に、まことに正確に見合う人物として、あの『男はつらいよ』の車寅次郎は造形された。

 山田洋次監督以下の製作陣がどこまで意識したかはわからないにしろ、寅次郎とはすなわち葛飾であり、葛飾とはただちに寅次郎である。これはまちがいのないことなのだ。『男はつらいよ』のおもしろさとは、とどのつまり、無責任な兄が無責任な土地に帰って来ることの気安さである。そこのところが、おそらくは、ふだんは義務と責任で押しつぶされそうな日々を送っている大人の観客にとって一種のファンタジーになり得たのだ。

 ちなみに言う、葛飾の地は、じつはもうひとり「下町人情大河喜劇」シリーズの主人公を生んでいる。

 秋本治の漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の両津勘吉である。あの両さんもまた葛飾の地の制服警官でありながら勤務中に酒を飲んだり、競馬場へ行ったり、ところかまわず発砲したりと無責任のかぎりをつくす、その点では車寅次郎と同一人物であることは興味ぶかい。典型的な葛飾的人物。これに対して菊池寛「父帰る」の舞台は、くりかえすが高松だった。香川県の県庁所在地であり、徳川時代には高松城にお殿様がましましていた街。

 そのお殿様とは、松平家の人々だった。水戸徳川家の分家の血すじ。彼らは高松藩12万石を統治しつつもつねに四国の代表という意識があったし、江戸城へ行けば国家の趨勢ともつながりがある。

 その風(ふう)は、おのずから町人等もまきこんで街全体の風となっていただろう。そんな責任まみれの街に見合うのは『男はつらいよ』のぬるま湯ではない。「父帰る」のきびしい秋霜のほうだった。

 ――男は、つらいよ。

 とほんとうに言いたいのは、あの父を追い出した長男・賢一郎のほうだったろう。大正当時の日本を支配していた、親への「孝」は絶対的道徳であるという同調圧力にさからってまで母や弟や妹をまもらなければならなかった事実上の家長。

(連載第25回)
★第26回を読む。

■門井慶喜(かどい・よしのぶ)
1971年群馬県生まれ。同志社大学文学部卒業。2003年「キッドナッパーズ」でオール讀物推理小説新人賞を受賞しデビュー。08年『人形の部屋』、09年『パラドックス実践』で日本推理作家協会賞候補、15年『東京帝大叡古教授』、16年『家康、江戸を建てる』で直木賞候補になる。16年『マジカル・ヒストリー・ツアー』で日本推理作家協会賞(評論その他の部門)、18年『銀河鉄道の父』で直木賞受賞。その他の著書に『定価のない本』『新選組の料理人』『屋根をかける人』『ゆけ、おりょう』『注文の多い美術館 美術探偵・神永美有』『こちら警視庁美術犯罪捜査班』『かまさん』『シュンスケ!』など。
新刊に、東京駅を建てた建築家・辰野金吾をモデルに、江戸から東京へと移り変わる首都の姿を描いた小説『東京、はじまる』。
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