学者にできることはまだあるかい|與那覇潤

文・與那覇潤(元・公立大学准教授)

コロナ禍にすっかり埋もれてしまったが、5月にDVDが発売された『天気の子』というアニメがある。昨年の一番の話題作で、実際に大ヒットしたから、ご覧になった方も多いだろう。2016年の『君の名は。』に続く、新海誠監督の劇場映画である。

『君の名は。』は、誰の目にも11年の東日本大震災を連想させる小彗星の墜落事故を描きつつ、しかし最後は犠牲者をほとんど出さないハッピーエンドを迎える。この結末に対しては「震災の悲惨さを風化させ、カタルシスで記憶を美化するものだ」という批判も多かった。『天気の子』は、そうした批評にも応えるつもりで作った――そんな監督の言が、公開前に多くのメディアで流れていた。

だから今回はきっと、ちょっとビターな終わり方をするんだろうな。昨夏にはそう思って、劇場に足を運んだ。たとえば主人公の男の子は、ヒロインにはもう会えなくなってしまうけど、一緒に過ごした思い出をずっと大切にしながら生きていく。そうしたほろ苦い幕切れになるのかなと、予想したわけである。

もちろん間違っていた。

セカイ系とも呼ばれる新海監督の、批判への応答はまったく逆だった。この世で大事なのは僕(主人公)と、僕の愛する人(ヒロイン)だけ。だから彼女を救うためなら、容赦なく世界を滅ぼし、大水害で日本の過半が沈没するのも厭わない。今回はしっかり「エキストラには血を流させるハッピーエンド」にしたから、前作とは違うでしょ、という趣旨だったのだ。

幼く未熟な幻想だと笑うのは、たやすい。社会不適応で頭でっかち、しかも脳内には好きな異性のことしかない。そうした「満たされない永遠の思春期」に留まっている、現実感覚に乏しいおとな子どものおもちゃがセカイ系だとする悪口は、以前からありふれたものになっている。

しかしこの春に私が驚かされたのは、そうした監督の世界観こそが、「リアル」な日本の実像だったことだ。

コロナウィルスに向きあうとき、徹底して「自分と家族は罹りたくない」ということしか考えない。だから国際比較のデータも冷静に吟味せず、とにかく世界で一番強硬な対策を導入せよと叫ぶ。結果として駅前の個人商店や飲食店が潰れ、ゴーストタウンと化しても、自分と大切な人さえ助かれば気にしない。

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