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隣人への想い|藤原正彦「古風堂々」

文・藤原正彦(作家・数学者)

芭蕉の最晩年の句に、「秋深き隣は何をする人ぞ」というのがある。晩秋の夜、誰かも分からない隣の人に想いを馳せる、という人間的ぬくもりのこもった名句である。日本の生んだ大数学者の岡潔先生は、この句に表われた「自分以外のものへのそこはかとないなつかしさ」こそが西洋人と違う日本人の情緒であり、彼の創造した画期的な不定域イデアル理論はこの句そのもの、と仰った。

岡先生の深遠さには及ぶべくもないが、隣の人に想いを馳せることにかけては、私も人後に落ちない。

20代後半の頃、私は理学部の助手をしていたが、研究に行き詰まると1週間ほど地方に逗留し、朝から晩まで毎日考え続ける、ということをしていた。うまく進まないのを自らの能力でなくすべて他のせいにした。東京にいて問題が解けないのは、東京の空気が汚いから、街が騒々しくうるおいがないから、美しい自然がないから、父や母の作る家の雰囲気が悪いから、といった具合である。思い出すだけでも九十九里、伊良湖、犬山、金沢、蒲郡、津和野、瀬戸内海の本島、鞆の浦などが挙げられるから、行き詰まってばかりいたのだろう。

琵琶湖畔の風光明媚な近江舞子の国民宿舎に泊まった時のことだった。何日目だったか、隣室から女性のかすかな声が聞こえてきた。国民宿舎の部屋は、廊下に面して最下部に格子のドアがあり、その内側にふすまがある。この日はふすまが開いていたのか隣室からかすかな声が、いや歌声が洩れてきたのだった。母親が幼い娘に、「ぞうさん ぞうさん おはながながいのね そうよ かあさんもながいのよ」、とやさしい声でくり返し歌っている。私と同じ年恰好の和服の母親が、膝にのせた愛くるしい娘のせがむままに歌ってやっている。私は勝手にそんな想像をした。

翌日も「ぞうさん」は一日中続いた。幼い娘を心からいつくしむ声に感動さえ覚えた。すっかり魅せられた私は、母子の声に耳を澄ませながら小声で唱和していた。ほぼ1日中、唱和していた。いつしか、この女性が竹久夢二の絵に出てくるような日本美人に違いないと思い込んだ。ついには、淡い恋心まで抱いた。

翌朝、この夢のような母子を一目でも見たいと、朝食時の食堂に下りて行った。私は倹約のため朝食抜きだったから食堂は初めてだった。何度か下りたが、それらしき姿はどこにもなかった。早朝に宿を出たようだった。その翌日、懸案の問題は解決せぬまま私は宿を後にした。帰京の新幹線の中で、私はずっと「ぞうさん」を口ずさんでいた。

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