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西寺郷太 小説「'90s ナインティーズ」#12

第二章
BIRD SONG / 自由の小鳥


★前回の話はこちら。
※本連載は第12回です。最初から読む方はこちら。

 徹夜明け……。最寄りの東西線落合駅から朦朧としながら地下鉄に乗り、自分が生まれた東京警察病院がある飯田橋駅で乗り換える。津田沼行きの中央・総武線に乗って秋葉原駅へ。ゴールデン・ウィーク気分も完全に終わった、5月10日水曜日。家を出る前さっと横目で見たテレビの天気予報によると、東京の最高気温は26度まで上がるそうだ。春を通り越して夏がそこまで来たかのように、外はあっけらかんとよく晴れていた。「元」バイト先を久々に訪れた僕を見つけるやいなや、棚倉さんは「おう、昼飯でも行こうぜ」と席を立った。

 よく通った定食屋でランチをご馳走になった後、僕は彼に本題を切り出した。作ったばかりの新しい楽曲を聴いてもらいたいんです、と。周りのテーブルでは制服姿のOLやサラリーマンが談笑している。棚倉さんは入り口を背にした大きな窓側に座っていたので、彼の背後には通りを歩く街の人々がよく見えた。

 肘をテーブルにつき目を閉じた棚倉さんが完成したばかりの新曲〈自由の小鳥(Bird Song)〉を聴いてくれている……。それはそれまで僕が人生で体験した中で、もっとも長い「3分15秒」だった。

 BPM120、シンプルに「Dm7-G7-CM7-A7」を繰り返す、ボサノヴァ・タッチの〈自由の小鳥〉。AメロもBメロもサビも同じ進行。間奏だけは自分の手癖で「Dm7-C#M7-Cm7-BM7」と半音ずつ下がってゆく。昨夜、追い込まれた僕は循環するコードの渦の中で降り注ぐメロディを必死で追いかけては、次々と思いつく英詞の常套句をノートに殴り書きし歌を多重録音。ふと、我にかえった瞬間、ギリギリのタイミングで曲は完成していた。

 棚倉さんと向かい合ったテーブルの上には僕が彼に渡した「DAT・ウォークマン」。雑然とざわめく周囲の空気の中で、その小さなマシンだけがキュルキュルと静かな音を立てながら、実直に作動している。曲が終わると、棚倉さんはゆっくりとヘッドフォンを外した。

「ゴータ……」

「あ、はい……」

 その瞬間、隣のテーブルで食事をしている五人組のOLが大きな笑い声と嬌声をあげたが、僕らふたりの会話のテンポは何一つ狂うことはなかった。

「あなた、バイト辞めて良かったよ」

「え?」

「これさ、この曲さ。タイトルなんだっけ?」

「〈自由の小鳥〉です。〈Bird Song〉」

「これ、あなたが今まで作ってきた曲と全然違うぜ……」

 彼は5ヶ月前、1994年12月に出会って以降、僕の音楽活動をずっと応援してくれてきた。四谷の「FOURVALLEY」で行われた「Slip Slide(スリップ・スライド)」最後のライヴも、西早稲田の老舗ロック・バー「ジェリージェフ」で定期的に行おうとしていた3月末の弾き語りライヴも観に来てくれている。そもそも棚倉さんは10代からのプリンスのマニアで、音楽には一家言持つ男。ただし、先月までは「あなたの持っているアイディアや根本はいいんだから、音楽以外の別の道で稼ぐことも考えて、音楽は一生の趣味にすればいいじゃない」と言っていた、それが基本姿勢だったはずなのに。

「ありがとうございます!」

 まず、一人。たった一人だけれど、本気で向かい合ってくれた人の心を俺は動かせたのかもしれない。その事実は大きな自信となった。背水の陣から大逆転となる恩人からのお墨付きを手に入れて意気揚々と自宅に帰ると、すぐにずっと探していた「もう1曲」までもが自分の元に降りてきた。急にスイッチが入るなんてどうしたんだ、俺は!

 2曲目のタイトルは〈She Goes 彼女は、ゆく〉。湧井さんに教えてもらった初期のダリル・ホール&ジョン・オーツを意識したアコースティックなイメージのミディアム・バラード。アコギを持っていなかったので、とりあえずストラトで代用し、一旦デモは完成させた。

 湧井さんと出会うまで、僕にとってダリル・ホール&ジョン・オーツというグループの印象は〈キッス・オン・マイ・リスト〉〈プライベート・アイズ〉以降の「MTV」ポップ・シングル群のイメージで固まっていた。1973年生まれの自分にとって、彼らがヒット・チューンを連発していた80年から83年は、ギリギリ洋楽にハマったかハマらないかの微妙な時期。その当時ビデオを観て、まず最初に夢中になったのは英国のデュラン・デュラン、ワム!、カルチャー・クラブや、ダンスの切れ味鋭いマイケル・ジャクソンのような「華やかな若さ」に満ちた面々。ホール&オーツのシングルのキャッチーさは伝わったものの、特に髭面で明らかに「オジサン」然としたジョン・オーツのキャラクターはなかなか小学生の憧れの対象になりづらかったこともある。よく見るとオーツは「マリオやルイージ」感も漂わせ子供に人気が出そうな気もするが、それはどうでも良い。もちろん、その後年齢を重ねるごとに彼らのベスト盤《ROCK ’N SOUL PART 1》を熱心に聴くようになったものの、いわゆる「ブレイク前」、1970年代の彼らの音楽を掘り下げることはそれまでなかった。

 そんな印象が湧井さんに勧められて手に入れたセカンド・アルバム《アバンダンド・ランチョネット》をアナログ・レコードで聴いてからというもの一転する。彼が僕に教えてくれたのは1970年代のシンガー・ソングライターの王道から少しずれたところ。例えば、ジェイムス・テイラーだけではなく、弟のリヴィングストン・テイラーや妹のケイト・テイラーのアルバム群も聴くように、とか。トッド・ラングレンも名盤の誉れ高い《サムシング / エニシング?》だけではなく、その前の2枚《ラント》《”ラント” ザ・バラッド・オブ・トッド・ラングレン》がいいよ、と言ってくれたり。

 もし、棚倉さんが言うように圧倒的な差がこの数ヶ月の間に生まれたのが事実だとすれば、当時レコード・ショップでも働いていた博識の湧井さんが次々と教えてくれる音楽が、僕の持っていたソングライターとしての資質のまだ触れていない扉を開いてくれたからに違いない。

 そしてもうひとつ、湧井さんが教えてくれた大切なことがあった。それは「現代アメリカ文学」の面白さ。特にピーター・キャメロンが1986年に出版した「ママがプールを洗う日」は彼のフェイバリットで、僕もそのドライでカラッと明るい悲しみの表現に夢中になり何度も読み返し、研究した。山際淳司が手掛けた翻訳の素晴らしさによるところも大きかったのかもしれない。それまでの僕にとって「歌詞」は何よりも曲作りの鬼門だった。テキトー英語でフンフンとメロディを紡ぐまでは得意だったが、そこに日本語を乗せる、置き換えると突然小洒落た感じが失われ格好悪い「歌謡曲」になってしまう。

 湧井さんはよく言っていた。

「ゴータ、『歌謡曲』っていうのは、『日本語の歌』って、ことなんだ。だからどんなにアレンジ頑張っても、クールに振る舞っても日本語である以上、全部『歌謡曲』。悪いことじゃないよ、『歌謡曲』にも素晴らしいものは沢山ある。でも、英語を日本語にしちゃうと失われるものもあるんだよ。英語が偉いわけじゃない。ただ、英語は現実、『世界語』なわけじゃない? 今。だったら、英語でいいんじゃない? シンプルに。そう思うけどね」

 自分が音楽の中で描きたい世界は、湧井さんに教えてもらった「ピーター・キャメロンと山際淳司の世界」、ここにある。棚倉さんが〈自由の小鳥〉を聴いて、「今までと全然違う」と言ったのは、その歌詞やタイトルに秘められたムードも大きかったのではないだろうか。

 ともかく、下北沢に入り浸って過ごした約3週間で、僕は自分が圧倒的に「垢抜けた」ことに気がついた。逆に言えば、一ヶ月前までの自分の服装や髪型や振る舞いや発言、何もかもが「古臭く」感じてしまった。自分なりに東京に来て格好をつけていたつもりだったが、そもそもがダサい。地元育ちのカズロウは、歳下なのに「都会の大人」として振る舞っていたし、バンドの先輩たちもおしなべて異常なまでにクールでナチュラルだった。服装や雰囲気はここにいる皆の真似をしよう。徹底的に! ただし、音楽だけはブレずに自分の感性を守り抜くんだ。笑われたとしても、自分のヴィジョンを貫き通す。

 そこからの日課は、カセットデッキに大量に買ってきた「10分テープ」を入れること。片面5分ずつ。A面は〈自由の小鳥〉、そしてB面は〈She Goes〉。寝て起きてボタンを押して、入れ替えてまた眠るまでその作業を永遠に続ける!

 忘れてはいけないのが、美しくレイアウトされた歌詞カードを封入し、カセットレーベルで包み、テープ自体にも識別可能なようにデザインされたシールを貼ることだ。下北沢で多くの先輩バンド達が配るカセットは、業者に依頼したものであれ、メンバーやスタッフの味のある手作業であれ、まるでCDを手にしたのと同等のクオリティで驚くばかり。それまで僕が知るアマチュア・バンドは、オリジナルを演奏したとしてもライヴのみで繰り返される場合が多く、結局その場限り。パッケージにこだわり、配布する行為にまでエネルギーを注いでいたバンドは少なかった。今の自分には Mac LC630という最強の武器がある! そしてそれを使いこなせるスキルもある!

 下北沢を訪れた当初は客の熱気、「スタッフ」達を巻き込むバンドの力、彼らの「90年代的」な佇まいにただ純粋に感動しているだけだった。しかし、二ヶ月が経つ頃、次第に自分にしかないストロング・ポイントを僕は思い出してきた。ともかくへこたれないこと。空気を読もうとしないこと。野心家であること。ありとあらゆるライヴハウスに顔を出し、打ち上げにも参加し、DJイベントで踊り、呑み、喋りまくり、どんどん出会う人々にこの自信作のカセットを配るんだ。

 家に帰ると寝る間も惜しんでダビングを繰り返す。そんな日々の中、ようやく上京してから、いや音楽の道を目指してから永遠に続くかと思われた長い「スランプ」のトンネルを抜け出そうとしている実感が湧いてきた。

「やったるでー!」

 一人暮らしの東中野ヒルズで布団にくるまりながら、僕は大声で叫んだ……。

 夢を叶えるために、ここまで生きてきたんだ。

★今回の1曲ーー自由の小鳥 / Bird Song(All Instruments & Voices : Gota Nishidera / May 9 1995)

(連載第12回)
★第13回を読む。


■西寺郷太(にしでら・ごうた) 
1973年東京生まれ京都育ち。早稲田大学在学時に結成したバンド「NONA REEVES」のシンガー、メイン・ソングライターとして、1997年デビュー。
以後、音楽プロデューサー、作詞・作曲家としてもSMAP、V6、YUKI、岡村靖幸、私立恵比寿中学、「ヒプノシスマイク」など多くの作品、アーティストに携わる。
近年では特に80年代音楽の伝承者としてテレビ・ラジオ出演、雑誌連載など精力的に活動。マイケル・ジャクソン、プリンスなどの公式ライナーノーツを手がける他、執筆した書籍の数々はベストセラーに。
代表作に小説『噂のメロディ・メイカー』(扶桑社)、『プリンス論』(新潮新書)、『伝わるノートマジック』(スモール出版)など。
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