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逢坂冬馬 祖父へ

文・逢坂冬馬(作家)

1925年に生まれた祖父は海軍に志願して、戦地に赴くことなく国内で敗戦を迎えた。

かつて私が知っている祖父の「戦争体験」とはそれだけだった。

ともあれ、戦地へ行かずに済んでよかったね。行ってたら死んじゃったかも知れないもの、というのが、私と家族みんなの思いだったと思う。

2005年、この一文で終わる程度にしか知らない戦争体験をもっと詳しく聞こうと大学生の私が思い立ったのは、その年が戦後60年を迎える年であり、そしてそれを聞くことのできる時間は、もう限られているだろうとも思ったからだ。祖父は快く応じてくれた。ただし聞き取りにあたって録音とメモは勘弁してくれと前置きされたので、いかなる体験をしたかについてはここでは伏せたい。

ともあれ大変な経験であった。国内に留まっていたと言っても配属されていた軍港には空襲もあるので、そこで凄惨な場面も目撃していたし、体験もしていた。

ひとつ鮮明に記憶に残ったのは、「バラバラになった死体を見ても、怖いとも思えなくなっていた」という言葉だ。祖父の語りから学んだ確かなことは、彼の価値観と人生観が、戦争へ行く前と行った後で一変したのだろう、ということだった。私はこの聞き取りに影響を受けた論文で学内の懸賞論文に応募して学長賞を受賞し、大学を卒業した2008年頃から小説家を志すようになった。2014年、祖父は亡くなった。

さらに後になり、私が作家になれると決まった2021年に知ったのだが、祖父は元々作家になりたいと願っていたそうだ。実際文才はあったようで、書いた小説が戦後の新潟日報に掲載されたこともあり、柴田錬三郎に激賞されたのだという。

しかし戦後の祖父には、最早作家になろうという意志は失われていた。無気力になったのではない。戦争の惨禍を目にした祖父にとって重要なことは、ただ目の前の実存、すなわち農業であり、家庭であり、戦争体験者、平和主義者としての地道な政治的活動だった。

私のデビュー作、『同志少女よ、敵を撃て』は明らかに祖父の語った戦争、それが生じさせた「内面の変化」に影響を受けていて、だから献辞に「祖父へ」とだけ入れようかとも思ったが、読者には伝わりにくいと思い、やめた。

戦地へ行かずに済んでよかったね。

その思いは今も変わらない。だが、祖父の戦争体験を聞き、戦争に関するそれなりの量の資料を読み、殺戮と蛮行の歴史を学んだ今、その意味は、かつての自分のものとは微妙に異なる。

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