中野信子様

裏切る男、不倫する女が魅力的なワケ 中野信子「脳と美意識」

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※本連載は第7回です。最初から読む方はこちら。

 芸能人、有名人の不倫が定期的に話題になる。

 そのたびに、人々は当事者の粗を探し、躍起になって叩こうとする。自分たちが信じていた当事者のイメージと、その行為の後ろ暗さのギャップが大きければ大きいほど、あたかも祝祭を思わせるような膨大な攻撃の言葉のやりとりは凄まじさを増し、盛り上がりも極端なものになっていくように見える。

 面白いものだと思う。蟻の群れの中に角砂糖を落としてやると、白い角砂糖にあっという間に蟻がたかって真っ黒になるが、毎度、飽きもせずに不倫スクープに喰い付く人々の姿は、その蟻たちの様子と二重写しになる。 

 人の裏切りや不品行は、それほどに蜜の味がするものなのか……。

 某TV局のスタッフに聞くと、明智光秀をテーマにすると、その回は他の武将のときと比べて視聴率が良くなるのだという。直接データを見たわけではないのでこの発言がどれほど信頼できるのかは定かではないけれど、本当だとしたら、裏切りというテーマが怖ろしく魅力的ということなのだろう。彼がもし織田信長の忠実な部下として生涯を全うしたとしたら、現在のような人気があったかどうか。ともあれ400年以上も昔の裏切り事件を未だにエンタメとして愉しもうというのだから、人間は面白い。

 芸術家にももちろんピカソらをはじめとして複数の異性と同時に関係を持った人が数多くいるわけだが、昨今思い起こされるのはオーギュスト・ロダンの女性関係である。ロダンの弟子に、カミーユ・クローデルという女性がいた。弟子であるばかりでなく、モデル、そして愛人だった女性だ。  

 19 歳で、カミーユは女としては初めての、ロダンの弟子となった。

 ロダンには、長く連れ添ったローズという女性がいた。彼女との間には、子どももいた。しかしロダンは、若くて美しいカミーユに言い寄る。カミーユの容姿については、写真が残されていて、ウェブでも見ることができるから、気になった人は検索してみると良いだろう。カミーユの美しさはロダンを迷わせるのに十分だった。また、ロダンの半分ほどの年齢で、しかも弟子として教えを請う立場のカミーユが、彼に抗い続けるのには無理があっただろう。もちろん、師と仰ぎ尊敬していたその気持ちが、年上の男性に対する憧れの感情と綯い交ぜにもなっていただろう。

 二人が男女の関係になるのに時間はかからなかった。パリのロダン美術館にはカミーユの作品も収蔵されている。見ればわかるがカミーユの彫刻は凄まじい。個人的には、ロダンの作品よりもカミーユの彫刻のほうが力があるように感じられ、好みだ。

 双方の言い分はあるだろうが、カミーユがロダンと蜜月状態にあった数年間、ロダンはカミーユを”女”として自由にしたと同時に、彼女の能力を己の創作に利用した。カミーユはサロンに出展する自分の作品の制作ではなく、ロダンのいわば下請け作業をかなりしていたようである。彼女は若々しい女としての魅力にあふれた時期と、その才能とを丸ごとロダンに捧げたといって良い。 

 この関係は、10年以上も続いたが、その間、カミーユはロダンの子を妊娠する。しかし、ロダンが産むことを許さず、中絶している。ロダンは、いつまで経ってもローズと別れず、カミーユは徐々に不安定になっていった。 

 カミーユの『クロト(Clotho )』は、彼らが破局を迎えた直後の作品である。

 奇怪な彫刻である。

 幾筋もの白い束が頭頂部から湧き出て流れ落ちている。石膏でできているのに、薄汚れて伸び放題の白髪のようにも、太さが不揃いの白い糸の束のようにも見える。その束の中に、やや貧相な体躯の、垂れて干からびた乳房を露にした、老女と思しき人物が身をよじり、助けを求めるように両手を広げて立っている。

 クロトというのはギリシャ・ローマ神話に出てくる、生死と運命を司る三女神のうちの一神である。通常、この運命の三女神は醜い老女の姿で描かれ、モイラと呼ばれている。そのうちクロトは運命の糸を「紡ぐ者」。英語のcloth はClotho の名が語源である。

 しかし、この彫刻は、他人の運命を操る糸を紡ぐクロトというよりも、自らが紡ぎ出した運命の糸にがんじがらめになってもがき苦しむ人間の生々しい姿のように見える。なりふり構わず、断末魔の叫びをあげる女。すぐれた彫刻は声を発する。『クロト』を見たとき、私は地の底から空気を震わせてくるような、この女の呻き声が聞こえたような気がした。

  ロダン美術館に行けば、この作品を見ることができる。

 カミーユはその後、心を病んで、亡くなるまでの30年間を精神病院で過ごした。

 この凄絶な生涯を、不倫という行為の報いだと責められる人がいるだろうか。また、カミーユに対して残酷な仕打ちをしていたところで、ロダンの作品の価値が変わるだろうか。むしろ、この生きざまがあってこその創造性ではなかったか。社会的であることを放棄し、「人並みの幸せ」をかなぐり捨ててたどり着いた凄みに、時を超えて人は圧倒され心を奪われるのではないか。

(連載第7回)
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■中野信子(なかの・のぶこ)
脳科学者。東日本国際大学特任教授。1975年生まれ。東京大学工学部応用化学科卒業、同大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。医学博士。2008年から10年まで、フランス国立研究所ニューロスピン(高磁場MRI研究センター)に勤務。脳科学、認知科学の最先端の研究業績を一般向けにわかりやすく紹介することで定評がある。17年、著書『サイコパス』(文春新書)がベストセラーに。他の著書に『ヒトは「いじめ」をやめられない』(小学館新書)、『シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感』(幻冬舎新書)など。※この連載は隔週土曜日に配信します。
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