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作家生活40周年 DJ村上春樹さんの肉声 文章は音楽から学んだ

文・延江浩(TFMゼネラルプロデューサー・作家)

 世界中の読者を虜(とりこ)にしてきた作家でありながら、自身をイリオモテヤマネコと称する村上春樹さんは、活字上のインタビュー以外写真も少なく、声も知られず、ほとんど姿を現さなかった。どっか秘密の居場所に籠(こも)っているのか、世を捨て世界放浪を続けているのか、はたまた神話世界の住人なのかと(僕は)思っていたが、作家生活40周年を迎え、その実像を時代に刻印しつつある。

 恋愛小説の聖典『ノルウェイの森』などの生原稿、翻訳原稿や所蔵本、半世紀にわたる1万枚以上のレコードコレクションを母校の早稲田大学に寄贈・寄託する「村上ライブラリー」設立のニュースから、今まで触れることの少なかった父親についてのエッセイの発表(「猫を棄てる 父親について語るときに僕の語ること」文藝春秋6月号)、敬愛するサックス・プレイヤーの生涯についての翻訳(『スタン・ゲッツ 音楽を生きる』新潮社)、舞台『海辺のカフカ』パリ再演とフランスの若者との対話、短編小説原作の韓国映画『バーニング』公開、「文學界」に1人称単数の連作短編「ウィズ・ザ・ビートルズ」「ヤクルト・スワローズ詩集」を発表、そして作家デビュー40周年を記念したジャズライブ「村上JAM」の開催まで……。

 惑星直列という言葉がある。太陽系の惑星が一直線に並ぶことだが、おそらく一連の起点は2018年8月に始まった初のラジオ番組『村上RADIO』ではないだろうか。

「ラジオに出演するのは今回が初めてなので、僕の声を初めて聴いたという方も、たくさんいらっしゃると思います。はじめまして」

 これが村上春樹さんの肉声が、ニュース報道としてではなく、番組として世界で初めて放送されたときの第一声である。人間の意識の奥深いところを小説で表現してきた作家の声に全国のリスナーは耳をそばだてた。

「ひょっとしたら、村上春樹さんにラジオに出ていただけるかもしれない」

 ある冬の午後、30年以上付き合いのある編集者が、僕が勤務するラジオ局を訪ねてきた。「どうなるか、まだわからないけど……」と彼は微笑みながら企画の話を始め、4月にはとうとう春樹さんが直接スタジオに来ることになった。

 ラジオ番組を介して春樹さんとリスナーに一対一の付き合いが始まった。「村上さんの声にドキドキしました。なぜそんなに私の気持ちがわかるのですか?」放送直後からSNS上に様々な感想が舞った。バリトンで、微かに震えているような春樹さんの語り口に刺激され、リスナーの感情がじわじわ電波に滲んでいく。

 ラジオではすぐそこに春樹さんがいる。寄せられたリスナーからの相談に答えることもある。

「乱れのない人生は間違っている」

「失敗しても思い出は人生の燃料になる。その燃料があるかないかでずいぶん人生のクオリティーが違ってくる」

 ラジオは声だけだ。目に見えることだけが現実とは限らない。目には見えない、声だけの方が真実を語ることだってある。

 番組収録の合間に僕らスタッフは春樹さんと街を歩き、ビールを飲み、時にはジャズライブを楽しむ。一緒に過ごすほどに僕らは少年少女の一時期を思い出し、ヴァージニティとノスタルジーに浸る。

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