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政府の役割が大きかった明治の工業化/野口悠紀雄

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※本連載は第37回です。最初から読む方はこちら。

 明治期の工業化には、国が大きな役割を果たしました。鉄道、電信・電話や官営模範工場を経営したことによって、巨額の資本を必要とする産業化を容易にしたのです。また、教育機関を整備し、有能な人材を発掘できたのも重要な点です。ただし、こうした国家関与は、国民の政府依存を強めるというマイナス面ももたらしました。

◆国が鉄道、電信・電話や官営模範工場を経営した

 政府の役割が大きかったことが、明治期の日本における工業化の特徴です。これは、キャッチアップ型経済成長の特徴と言えるでしょう。
 
 鉄道、電信・電話は、当然のことながら国営の事業として行われました。

 1960年代ごろまでの日本で、公益事業が国営事業になるのは、当然のことと思われていました。私自身も、アメリカでこれらが民間の株式会社によって行われているのを不思議だと思っていました。

 しかし、よく考えれば、大規模事業のために多大の資本が必要という点を除けば、これらの事業を国営や公営にする必然性はありません。
 政府の役割が大きいのは、後発工業国の特徴なのです。

 明治政府は、鉄道、電信・電話のような社会インフラ的事業だけでなく、一般の工場の経営にも関与しました。

 江戸時代に藩が経営していた造船所や鉱山などを引き継ぐとともに、工部省が中心となって工場などを創設したのです。

 紡績所、鉱山、炭鉱、造船所など、多数のものが作られました。そのなかでも、八幡製鉄所、造幣局、富岡製糸場が有名です。これらは、三大官営工場といわれます。

 八幡製鐵所は、日清戦争勝利後の1901年(明治34年)に操業を開始しました。

 官営工場の多くは、その後、民間に払い下げられました。

 生野銀山、佐渡金山、長崎造船所、高島炭鉱、三池炭鉱 、富岡製糸場などが有名です。

 政府と密接な関係を持つ三井・三菱、古河などの政商に対して、無償に近い安い価格で払い下げられたため、財閥形成の基礎となりました。

◆巨額の資本を必要とする産業化が達成された

 第2次産業革命は、重化学工業や鉄道など、巨額の資本を必要とする産業化の過程でした。

 アメリカやドイツにおいて、この過程で株式会社が重要な役割を果たしたことは、すでに述べたとおりです。

 鉄鋼、電気、電信・電話、石油、そして鉄道も、民間企業が株式会社形態で資金を調達したのです。これは、とくにアメリカの場合に顕著でした。

 アメリカでは、この過程で連邦政府が積極的な援助をしたことはなく、むしろ、独占禁止法によって、独占企業の市場支配を防ごうとしました。

 それに対して日本の場合には、政府が官営工場を作り、それを民間に払い下げたので、民間が株式会社を設立して市場から資金調達をする必要がありませんでした。巨額の資本を必要とする産業化が、比較的容易に達成されたことになります。

◆学校制度を整備して有能な人材を発掘する

 もう一つの重要な国家関与は、教育機関の整備です。

 明治政府が整備したのは、工部大学校だけではありません。教育制度一般を整備しました。

 日本の教育制度は、江戸時代から高水準でした。明治時代に急成長できた大きな理由がここにあります。ただし、一般庶民が行けるのは寺子屋までで、藩の高等教育機関は藩士の子弟のみに開かれた教育機関でした。

 高等教育も含めてすべての教育の機会が国民に開かれたのは、明治になってからです。

 まず、1872年に発布された「学制」によって義務教育制が導入され、1886年の「小学校令」で、義務教育期間が4年とされました。そして、1907年の改正で尋常小学校の年限が6年になりました。

 欧米では私立学校の学費は高額です(成績が優秀であれば奨学金を獲得できますが、全員が得られるわけではありません)。

 日本では、公立の基礎教育が無料とされたので、すべての国民がその恩恵に浴することができました。

 貧しい家庭に生まれても、基礎教育の段階で能力を示すことができれば、さらに高度な教育を受けられるチャンスが開けます。

 明治政府は、高等教育の段階でも、国立、公立の教育機関を整備しました。

 こうして、江戸時代までの身分制の軛からの解放が実現され、能力のある人材の発掘が可能になりました。

 私がとくに注目したいのは、軍の学校です。

 ヨーロッパの士官学校は主として貴族の子弟が入学するものですが、日本では出身階級によらず、能力のみで選抜を行ないました。

 経済的な理由で旧制高校などの上級学校に進学できない家庭の子弟にとって、授業料なしで高等教育を受けられる海軍兵学校と陸軍士官学校は、憧れの的でした。

 これは、ヨーロッパにおけるカソリック修道院が果たした役割と似ています。ヨーロッパの大学は特権階級のものですが、修道院は、スタンダールの小説『赤と黒』の主人公ジュリアン・ソレルのように、下層階級の子弟でも、能力があれば入れたのです。

 岩田豊雄(獅子文六)の小説に『海軍』があります。ともに海軍兵学校に憧れて入学を目指した2人の少年の物語です。

 東京大空襲で戦前の本は全てなくなってしまっていた我が家に、不思議なことにこの本がありました。小学生の私はそれを読んで、もう地上に存在しない「海兵」に憧れたのです。

 大人になってから、広島に用事があった時に、2度ほど江田島を訪れたことがあります。

 私は軍国主義教育を賛美しようという気持ちは毛頭ありませんが、江田島の校舎の単純な美しさに感嘆せざるをえませんでした。

◆歴史的な高揚期

 明治の急速なキャッチアップは成功でした。世界でも稀に見る成功です。

 日本の歴史の中でも特異な時期です。全国民が高揚感をもった時代だと思います。

 これまで見てきたように、ある国家がリープフロッグによって他国を追い抜いていくとき、全ての国民が高揚感に包まれます。

 ポルトガル勃興期の高揚は、叙事詩『ウズ・ルジアダス  ルーススの民のうた』(白水社、2000年)に描かれています。

 イングランドのエリザベス女王の時代の雰囲気は、シェイクスピアの作品を読めば伝わってきます。

 日本の明治期もそうです。それがリープフロッグでなくキャッチアップだったとしても、社会全体が高揚感に包まれたはずです。

 漱石や鴎外の作品が古典としていまだに読まれていることを見ても、それが分かります。

◆国家関与の問題点

 以上では、国家関与のポジティブな面を述べました。

 しかし、問題もあります。

 第1は、中央集権化です。

 江戸時代の日本は、分権的な国家でした。

 藩は財政的に独立しており、自治と裁量が広範に認められていました。藩を越える人の移動は制限されていました。旅行は可能でしたが、通行手形が必要でした。

 統一国家というよりは、藩の集合体といったほうが適切な国家だったのです。

 それが、中央集権政府の下での画一的な社会になりました。

 急速な工業化の実現には有利に働いたのですが、新しいものを生み出すという面からすれば、問題です。

 第2は、キャッチアップに満足しておごりが生じたことです。

 こうした問題を考えると、持続的な発展の基盤が作られたのかどうかは、疑問だと言わざるをえません。

 日露戦争における日本海海戦が、日本の長い歴史の中の頂点であって、それ以後、日本は、(戦後の高度成長期を除くと)、長期的な下り坂を辿っているとしか思えません。

◆国民の政府依存を強めてしまった

 第3の問題は、政府依存思考です。

 学校にしても官営工場にしても、政府が整備しました。

 すでに述べたように、これが急速な工業化を実現する上で大きな役割を果たしたのですが、同時に、政府に依存するというメンタリティを醸成することになりました。

 高度成長期を過ぎた日本が衰退期に入ったとき、これが大きな問題となりました。

 1980年代頃からのIT革命で、これがとくに問題となりました。ITによって「資本を必要としない資本主義」がもたらされたのです。政府が資本調達に手助けをするよりは、新しいアイディアを生み出す環境のほうが重要になったのです。

 AIとビッグデータの時代になって、この傾向が加速されています。

 日本経済についてのインタビューを受けると、必ずと言ってよいほど、「現在の立ち遅れを挽回するために政府がなすべきことは何でしょうか?」と聞かれます。

「重要なのは、政府が何もやらないことです」と答えると、不満そうな反応が返ってきます。

(連載第37回)
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■野口悠紀雄(のぐち・ゆきお)
1940年、東京に生まれる。 1963年、東京大学工学部卒業。 1964年、大蔵省入省。 1972年、エール大学Ph.D.(経済学博士号)を取得。 一橋大学教授、東京大学教授(先端経済工学研究センター長)、 スタンフォード大学客員教授などを経て、 2005年4月より早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授。 2011年4月より 早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問。一橋大学名誉教授。2017年9月より早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問。著書多数。


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