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アリペイのビジネスモデル/野口悠紀雄

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※本連載は第42回です。最初から読む方はこちら。

 リープフロッグは、遅れていた社会で新しい技術が利用可能になることで生じます。ただし、その社会にあった新しいビジネスモデルが必要です。中国の電子マネーアリペイを運営するアント・グループはそれに成功し、設立後わずか6年で、世界最大級の金融機関となりました。それに対して、日本の電子マネーは、古いビジネスモデルから抜け出せないため、中国との差が開いています。

データを活用して収益を上げる

 インターネットで成功したビジネスモデルは、「サービスの提供から収益を得られても、それを収益源とするのでなく、サービスから得られるデータの活用を収益源とするものだ」とこれまで述べてきました。

 その例として、グーグルの検索エンジンの例を挙げました。

 これは、サービスの提供で得られるデータでプロファイリングを行い、それを用いて広告を行うというビジネスモデルです。

 プロファイリングは広範な利用範囲を持ちます。広告とは限りません。

 広告以外の利用で大成功したのが、中国の電子マネーです。

 中国には、アリペイとウィーチャットペイという電子マネーがあります。

アントがいまや世界最大級の金融機関

 まず、アリペイの事業がいかに巨額の利益を受けているかを見ましょう。

 アリペイを運営するアリババ集団傘下の金融会社アント・グループは、2020年に上場の予定ですが、その企業価値は約1500億ドル(約16兆円)程度だといわれています。

 これは、米シティグループ(約11.5兆円)の時価総額を超え、三菱UFJフィナンシャル・グループなど日本の3メガ銀行の時価総額の合計(13.3兆円)を上回るものです。

 設立されたのはわずか6年前。それが、いまや世界最大級の金融機関となっているのです。

 なぜこのように巨額の時価総額になっているのでしょうか?

 その基本的な理由は、金融の新しいビジネスモデルを作ったことです。

 ビッグデータを用いて収益を得る。そして、金融サービスは非常に低い手数料で提供するのです。

 株式上場を申請した際の目論見書によると、融資や金融商品の販売の収益がアリペイなど決済関連を上回っています。

決済データを収益化した初めての例

 アリペイが行っているのは、信用スコアリングです。

 これについては、この連載の第5回ですでに説明しました。

 これは、取引データから人工知能(AI)が信用力を評価し、最適な条件で融資するというものです。

 AIは、利用者の決済履歴や、事業者の資金使途などを解析して与信枠や金利を算出します。

 融資判断の正確さは延滞率の低さに表れています。19年末の零細事業者向け融資の延滞率は「30日以上」が2.03%、「90日以上」でも1.57%にとどまっています。不良債権比率は1.3%と、業界平均の約2%を大きく下回ります。

 このように、アリペイは、「決済サービスを無料にし、そこから得られるデータを活用して収益を上げる」というビジネスモデルを確立しました。 アリペイの加盟店向けの手数料率は、最大でも決済額の0.6%です。

 決済サービスから得られるデータを収益化した初めての例と言えます。

 これは、広告ではありません。ここがグーグルのモデルと違うところです。

無限の可能性を持つビジネスモデル

 データの利用から可能になる事業は、信用スコアリングだけではありません。

 決済データをビッグデータとして用いることは、これまでの金融ではなかった収益源で、無限の可能性を秘めています。このような収益源を持っている金融機関は、他にありません。

 これまでと異質のビジネスモデルが世界最大の金融機関を作ったのです。

 アントは、従来の金融機関とは異質の金融テクノロジー企業なのです。

 アントは、旧来の金融機関を「飛び越えた」ことは事実ですが、そうできた理由は、単に中国のそれまでの金融システムが遅れていたことだけではないことが分かります。

 重要なのは新しいビジネスモデルを作ったことです。そして、それを可能にするようなAIの高い技術力を持っていたことです。

日本ではいまだに手数料で稼ごうとしている

 これまで金融機関は、手数料や長短金利差の利ざやによって収益を挙げてきました。

 日本の金融機関は、基本的にはいまでもそうです。デジタル決済の場合にも、このビジネスモデルを延長して、手数料によってコストを賄おうとしています。

 そのため、手数料が高くなります。公表されていないのですが、2~3%程度と推測されます。

 小売業の売上高営業利益率は3%程度なので、これほど高い手数料だと、利益のほとんどがなくなってしまいます。

 このため、加盟店舗獲得が進まず、利用が広がりません。

 アリペイが導入したQRコード決済を真似た仕組みが、日本でもこの数年で急増しました。その数がどの程度か、簡単には把握ができないほど乱立しています。

 中国より人口数が少ないのに多数の電子マネーが乱立するのでは、十分な数のデータを入手することができません。

 したがって、アリペイのような利用はできず、手数料モデルにしがみつかざるを得ません。そのために利用が広がらない、という悪循環に陥っています。

 電子マネーに関して日本は中国より遅れたのですから、本来であれば、その遅れを利用してリープフロッグするということが考えられるのですが、現実にはまったく逆に、遅れが拡大しているのです。

リープフロッグには新しいビジネスモデルが必要

 これまで述べてきたように、遅れていた社会において新しい技術が利用可能になると、リープフロッグが生じます。中国の場合のリープフロッグの多くはそのようなものであることを、これまで指摘してきました。

 アリペイについてもそのことがいえます。

 もともとは、アリババが運営するeコマースであるタオバオの決済通貨として導入されたものですが、中国で銀行システムが発達していなかったためにやむを得ず導入されたのです。したがって遅れていたということが大きな意味を持ったことは事実です。

 しかし、ここで注意しなければならないのは、遅れていただけで必ずリープフロッグができるというわけではないことです。

 新しいビジネスモデルが必要なのです。

 アリペイはそれに成功したといえます。

 それに対して、日本の電子マネーは、新しいビジネスモデルを確立できないために遅れが拡大しているということになります。

ビッグデータが容易に集まるという中国の特殊性

 ビジネスモデルはその国のその時の状況に合ったものでなければなりません。

 アリペイ型のビジネスモデルは、中国に適したものです。

 なぜなら、個人データを中国では入手しやすく、かつ利用しやすいからです。

 この点は、日本を含めた自由主義国家群とはかなり違う状況です。そこでは個人データの収集や利用に対しては反対が強く、大きな制約が加わっています。

 ただ、中国で、ビッグデータの収集とプロファイリングがやりやすいのは、単に国家権力が強いというだけの理由によるのではありません。

 人々がプロファイリングをよいことと認めているからです。

 信用スコアリングでそれまで融資を受けられなかった人が融資を受けられるようになった(金融包摂)のはよいことだ。また、顔認証は悪い人を捕まえるからよいことだ、と捉えられているのです。

 そうしたことから言えば、リープフロッグを可能にしたものは、新しい技術やビジネスモデルだけではありません。中国の特殊な社会構造も重要なファクターだったということができます。

(連載第42回)

■野口悠紀雄(のぐち・ゆきお)
1940年、東京に生まれる。 1963年、東京大学工学部卒業。 1964年、大蔵省入省。 1972年、エール大学Ph.D.(経済学博士号)を取得。 一橋大学教授、東京大学教授(先端経済工学研究センター長)、 スタンフォード大学客員教授などを経て、 2005年4月より早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授。 2011年4月より 早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問。一橋大学名誉教授。2017年9月より早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問。著書多数。


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