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「中川会長を直撃」日本医師会の病巣にメス 辰濃哲郎+本誌取材班

ワクチン接種はなぜ遅れたのか? 中川会長を直撃すると……。/文・辰濃哲郎(ノンフィクション作家)+本誌取材班

「個別接種」は日本医師会の肝いり

7月下旬から東京の新型コロナウイルスの感染者数が急増している。ワクチン接種をしていない若い年代層への感染が主流で、高齢者の感染率はかなり抑えられている。専門家が集まる厚生労働省のアドバイザリーボードも、高齢者のワクチン接種が進んでいるためと分析している。

もっと早く接種を広い世代に進められていたら、オリンピックはもっと穏やかな環境の下に開催できたのではないかとの声もある。

なぜ日本の接種は遅れたのか。その一因に、日本独特の接種方式である「個別接種」がある。世界的には、会場を設営して効率的に接種を繰り返す集団接種が主流で、かかりつけの診療所を中心とした接種は極めてまれだ。

高齢者にとっては、アレルギー体質や体調を把握してくれている近所のかかりつけ医で受けられることは安心や利便性につながる。だが、効率という点で言えば、先進国から大きく後れを取る。

実はこの「個別接種」は政府主導で生まれたのではなく、日本医師会(中川俊男会長)の肝いりで強引に進められたことを知らない人は意外と多い。

都道府県別の接種率をみると、高齢者への2回目の接種率が8割に達している県もある。今後は若い年代へのワクチン接種が急がれているときに、個別接種はいかにも効率が悪い。7月21日に開かれた日医の定例会見で質問してみた。

辰濃 効率的な面から考えると、個別接種を続ける意味がなくなってきているのではないか。

中川 若年層に対しては、ますます接種を推進しなければならない。私は一貫して、もちろんいまでもワクチン接種の最強の推進力は、かかりつけ医の個別接種だと思ってます。機動性からしても、個別接種の推進力を100%発揮していただいて、そこで未接種の方への接種をやってくれるというのが一番いいと思っています。個別接種の役割は終わったという認識は全くありません。(傍点筆者)

「最強の推進力」の背景を探ると、自らの権益を守ろうとする日医の体質が浮かび上がってくる。

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日本医師会の「わがまま」

厚生労働省はワクチン接種が始まる以前から、ファイザー社製のワクチンについては、会場での集団接種を念頭に準備を進めていた。超低温での保管や衝撃に弱いなど管理が難しいためだ。このワクチンを小分けにしていちいち診療所に配送するなど想定外で、効率の面からも各自治体が用意した接種会場か大きな病院での接種をする計画を進めていた。

そこに「個別接種」が急浮上したのは、今年1月27日の日医の定例の記者会見だった。

「住民への接種は、普段の健康状態を把握しているかかりつけ医で安心して受けられることが重要」

中川会長はいきなり、集団接種と並行して個別接種を提言したのだ。

中川会長はその5日前、河野太郎行政改革相と面会して、この個別接種を提案して了承されたという。同時に医薬品卸の業界代表を呼んで、個別配送への協力を依頼するほど用意周到の提言だったわけだ。

その会見で、思わず質問した。

「診療所での接種をシステムとして取り入れると、かえって管理が煩雑になるうえ集団接種への人員が割けなくなってしまう。日医のわがままと受け取られかねないのでは?」

これに対して中川会長は「すでに河野大臣と認識が一致したということです」と安心・利便性を理由に個別接種の有用性を説いた。

「わがまま」という言葉は、2006年以来15年間、日医を外からみてきたジャーナリストとしての率直な感想だ。

日医は会員17万人ほどの組織だ。全国の医師は33万人ほどだから、組織率は5割強になる。会員の半数が勤務医だが、日医はあくまで開業医の利益代弁者だ。医療界にとって不利益に繋がることは、政治を使って阻んできた。そのために与党や議員への献金も続けてきた。

日医が最も力を入れている診療報酬改定での攻防が繰り広げられる、中央社会保険医療協議会では、日医代表と病院団体を代表する委員が対立することもしばしばだ。

日医という組織の本質は、「国民医療のため」と言いながら、とくに開業医の権益を守ることだ。開業医の利益と国民の利益が反するときに、日医はこれまで国民の利益を蔑ろにしてきた歴史がある。

1957年から13期25年間、日医の会長を務めた武見太郎氏がかつて言った「(日医会員の)3分の1は欲張り村の村長だ」は有名な言葉だ。

いまではどこの医療機関でも手にすることのできる診療報酬明細書(レセプト)や、患者のカルテの開示など、国民にとって当たり前の権利が長いこと日医の反対でとん挫してきた。医師免許の更新制導入も医師会が反対して潰してきた。いわば、医師の既得権益を守ることに汲々としてきたのだ。

③効率的な集団接種

効率的な集団接種

接種ミスに気付けない

いま接種が進むなかで、日医の推奨する個別接種を巡って様々な問題が指摘されている。

6000回以上の接種を続けてきた長尾クリニック(尼崎市)の長尾和宏院長は厳しい見方をする。

「予約システムが複雑で、ワクチンの温度管理や調合にも気を遣う。接種後の経過観察も必要で、インフルエンザワクチンの2倍の手がかかる。派遣の事務員さんや看護師を10人近く雇わなくてはならなかった。ワクチン接種の難易度が高いから、一番問題なのは接種ミスだ。原液を打つなど間違いが起きているが、個別接種だと気が付かないケースも少なくない。高齢者がすんだら、集団接種を中心にした方が効率的だし安全。それを医師会のリーダーである中川会長が言うべきです」

集団接種であれば、ダブルチェックが流れ作業のなかで実施されるから、ワクチンが1本余るだけでミスを発見できる。だが、個別接種の場合、接種ミスにさえ気づかない可能性があり、気づいても届けないケースさえあるとの指摘だ。

個別接種で欠かせないのが「キャンセル」の問題だ。ファイザー社製のワクチンは1本が6人分になる。6の倍数で予約を受け付けても、キャンセルが埋まらないとは多くの開業医から聞く話だ。

もちろん集団接種でもキャンセルはあるが、厚労省が作成した「予防接種実施計画の作成等の状況(6月14日公表)」によると、集団接種会場は約2060カ所なのに対して、個別接種会場は約4万6500カ所と圧倒的に多い。このうち3万カ所が診療所だとしても、日に1~2回分のキャンセルがあれば、1日で3万~6万回分、月に換算すると90万~180万回分のワクチンが廃棄されることになる。

集団接種でも冷凍庫の電源不良で無駄になってしまうケースが報告されているが、診療所の廃棄分はあまり報道されていない。全世界がワクチンを求めているときに、この無駄は見過ごせない。

さらに問題なのは、7月末までに高齢者の接種を完了するとの菅義偉首相の方針が示されて以降のことだ。各自治体は効率化を図るために集団接種の会場を増やしたり、規模の拡大を計画したが、今度は打ち手が足りない。だが、これは当然のことなのだ。地域医師会に依頼しても診療所の医師は個別接種で忙しいから、集団接種会場に回る医師が手薄になる。当初から予想されたことだった。

歯科医師でもある島村大参院議員は、歯科医師によるPCR検査の検体採取実現に奔走した経緯から、昨年秋ごろからワクチン接種にも協力できないか模索してきたという。歯科医は筋肉注射の経験もある。打ち手が足りなければ、役に立てる。

医系議員や厚労省にも働きかけたうえで、日医系の国会議員に仲介してもらって中川会長に働きかけたが、難色を示された。

「中川会長は、『ダメとは言わないが少し待ってくれ』という反応だったと聞きました。地域医師会からは『足りない』という声は上がってこなかったそうなのです。2月には菅首相に進言して、最終的には首相の決断で歯科医による接種が実現しました」

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なりふり構わぬ権益死守

医師以外の医療行為に対する日医の拒否反応は徹底している。

いまなら至る所に備わっているAED(自動体外式除細動器)だが、かつては救急救命士さえ医師の具体的な指示なしに使えなかった。「リスクが高い」などと日医が反対したからだ。救急救命士による気管内挿管も同様だ。心肺停止した患者の気道に管を通して酸素を送り込む救命処置なのだが、長いこと医師にしか認められなかった。

2000年4月に開かれた救急搬送のあり方を検討する厚労省の検討会でも、「時期尚早」と見送られた。だが2年後の02年、当時の厚労省医政局長が「時代に合っていない」と決断して再度検討会を立ち上げた。そこでの局長の挨拶だ。

「業務拡大を1つの前提として、議論していただきたい」

つまりAEDや気管内挿管を認めるかどうかではなく、実施するための条件について話し合ってほしいと踏み込んだ。異例とも言える発言に日医側が折れて、AEDについては翌年の春から、気管内挿管については2年後の04年7月から、医師の指示の下認められることになった。

医療を補助する特定看護師制度が本格的に議論されたのは、民主党政権下のことだ。医師不足対策として大学院などで教育を受けた看護師による簡単な診察や投薬を認めるとの民主党の提言に、日医は反対した。

「診療や治療は人体に侵襲を及ぼす行為である。そのため、高度な医学的判断および技術を担保する資格の保有者でなければ、患者にとって不幸な結果をもたらすだけではなく、生命をも脅かすことになりかねない」

その急先鋒に立ったのは、当時は副会長だった中川氏だった。

「協力金」上乗せの裏側

今回のコロナ禍でも、日医への利益誘導と取り沙汰されているのは、協力金の上乗せだ。

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