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清武英利 記者は天国に行けない⑦ 執着の先のバトン 孤独な調査報道を結実させた記者たち

「あきらめなければ、壁は破れる」。孤独な調査報道を結実させた記者たち。/文・清武英利(ノンフィクション作家)
★前回を読む。

1

共同通信の長谷川智一は、駅のトイレにうずくまっていた。大阪市鶴見区のJR放出はなてん駅である。関西電力の元副社長・豊松秀己の自宅に取材に行って果たせず、電車で帰る途中だ。

「あれ、きょう出すぞ」

東京本社の社会部デスクに告げられ、胃袋をぎゅっとつかまれるような緊張に襲われてトイレに駆け込んでいた。2019年9月26日夜のことである。

長谷川は、のちに「関西電力役員の金品受領問題」と呼ばれる事件をつかみ、配信予定の原稿をデスクに託していた。取材を始めて164日目だった。

彼は出張中だ。いまの勤務先である共同通信札幌支社編集部から1700キロも離れたところにいて、古巣の東京本社の指示を受け、関電の膝元にある大阪支社と連絡を取り合っている。そのあたりがわかりにくいのは、この長期取材を続けている間に、彼が東京社会部から北海道に転勤を命じられていたためである。

関電の3人の首脳がそろって帰宅する日を選んで、この日に原稿を配信しようと示し合わせてはいた。同僚2人が会長と社長を、長谷川は金品受領問題をよく知る豊松に、それぞれじか当たりする予定で、同僚たちはその夜、首尾よく会長、社長を捉まえ事実をほのめかすコメントを得たが、長谷川は豊松に接触できず、俺だけまずいな、と思っていた。

だが、東京のデスクは二首脳の言質を得たことで記事を配信できる、と決断したようだった。きょうこそ打つ、というその連絡を聞いたとたんに、ワクワクした気分は吹き飛んで、長谷川の腹の底から浮かび上がってきたものがある。

――取材に絶対間違いはない。いや、絶対という確証はないじゃないか。万一にも間違えていれば記者職にはとどまれない。左遷間違いなしだな。

あれこれ考えているうちに、下痢が止まらなくなった。

深夜になって、共同通信の番外ニュースを伝える「ピーコ」が全国の加盟社に流れる。共同通信が速報する際には、新聞社やテレビ局に「ピーコピコピコ」という音声で始まるアナウンスが流れるのだ。それから次のような特ダネ原稿が配信された。

〈関西電力の八木誠会長(69)や岩根茂樹社長(66)、豊松秀己元副社長(65)を含む役員ら6人が2017年までの7年間に、関電高浜原発が立地する福井県高浜町の元助役森山栄治氏(今年3月に90歳で死亡)から、計約1億8000万円の資金を受け取っていたことが、金沢国税局の税務調査で分かった。複数の関係者が26日までの共同通信の取材に明らかにした。

森山氏は原発関連工事を請け負う地元建設会社から約3億円を受領していたことも判明。国税局に対し、関電側への資金提供について「お世話になっているから」と説明しており、工事費として立地地域に流れた「原発マネー」が経営陣個人に還流した可能性がある〉

それは原発の地元有力者と公益事業の長年にわたる癒着と利権の実態に切り込んだ特ダネだった。

長谷川がひどく緊張したのには2つの理由がある。

その記事は電気料金を原資とする「原発マネー」の還流と腐敗の構図を暴こうとするものだったから、一つ間違えれば電力側から激しい抗議が予想された。そして、彼の原稿は〈金沢国税局の税務調査で分かった〉としているものの、国税当局は個別事案の発表をしない役所で、国税庁や金沢国税局の幹部が事実をはっきりと認めたわけでもなかったからである。

国税幹部が認める代わりに、追徴課税をしたことを示す資料や国税側のチャートを入手することができていれば、大船に乗った気で配信できただろう。だが、記事は主に長谷川が高浜原発のある福井県から、国税局のある石川県、そして関電本社の大阪府、東京都などを2、30回も歩き回り、関係者の証言を積み上げたものだった。そのために配信直前まで直当たりし、〈複数の関係者が共同通信の取材に明らかにした〉という一文を加えている。

関西電力の謝罪会見

関西電力の謝罪会見

2

始まりはその年の4月16日夜、旧知の取材相手と居酒屋で飯を食っていたときだった。長谷川はまだ社会部の遊軍担当である。

彼の上司だった元社会部長は常々、「パチンコ台には必ず油を差せ」と助言していた。自分の大事なネタ元はメンテナンス、つまり付き合いを欠かさないようにしておけというのだ。そうでないと記者自身が細ってくる。彼は酒に弱いのだが、その言葉が心にあり、不惑を超えて酒席の付き合いを楽しむことができるようになっている。1年に渡って取材した新元号が「令和」と決まり、出稿が一段落してホッとしていたころでもあった。

しばらくすると、向かい合った相手の口がほぐれ、切れ切れに思いもしなかった言葉が出てきた。つなぎ合わせるとこんな趣旨である。

「福井県の90歳のじいさんが原発に絡んで関電会長、社長、担当役員らに1億円を超す資金を渡していた。それを金沢国税局のマルサが強制調査でつかんで、課税したらしい」。マルサとは国税局で睨みを利かす査察部のことで、これが脱税事案であることを意味している。

半信半疑のまま、長谷川はその足で東京・汐留の共同通信本社ビル17階に上がり、社会部デスクに報告した。デスクは中島といって、元司法記者クラブのキャップである。長谷川はサブキャップとして支えていた。2人とも国税庁担当を経験しており、国税事件の取材の難しさはよく承知していた。

「そのじいさんは何者なの?」

「わかりません」

「何のために関電の役員たちにカネを贈る必要があるの?」

「原発の再稼働を求めるためですかね」

「それならカネを渡す相手が違うでしょう」

反問した中島が考え込んだ。電力会社が原発立地自治体に地域振興のための金を落とす構図なら理解できる、だが、なぜカネの流れが逆なのか――。

2人で訝しんでいると、長谷川が「これ追いかけたいんですが」といい、中島が「まあ、やったらいいじゃん」と丸みを帯びた言葉で背中を押した。

私のいた読売新聞社会部なら「よし、やれ」とか「それはこうしろ」とか、はっきりした言葉で指示することが多かった(それで間違ったこともある)が、共同通信社会部ではそのあたりが曖昧、良く言えば自由で、それがこうした常識外れの事件には珍しい、ゆったりとした長期取材を可能にした。

長谷川に与えられたヒントは3つ、関電の原発と福井県の90歳のじいさん、それに金沢国税局のマルサである。国税担当記者ならば、全国のマルサを束ねる国税庁幹部や金沢国税局を潜行取材するのが常道だが、彼は国税担当を7年前に外れていた。いま幹部の夜回りを再開すればとたんに不審がられ、金沢国税局にも通報がいくだろう。国税取材に強い朝日や読売新聞の記者に漏れる恐れもあった。

「そもそもあの頃も今も国税幹部のなかに、極秘情報を記者に教えてやるような者はいませんよ」と国税の元幹部は言う。そんな度胸のある後輩がいればお目にかかりたいというのである。

当時は、国税庁までが森友学園問題に巻き込まれ、幹部たちは嵐の遠く過ぎ去るのを待っていた。森友学園疑惑で公文書改竄を指示した財務省理財局長の佐川宣寿が2017年7月に国税庁長官に出世した、その後、翌年3月に記者会見を1度も開かないまま、改竄をめぐって減給20%・3か月の懲戒処分を受け退任していた。

国税庁長官が記者の前に顔を出さないのも、懲戒処分を受けて辞めるのも初めてのことである。そんなトップを頂いた国税職員の士気が下がるのは容易に想像がつくが、少なくとも国税幹部の口がさらに固くなったのは間違いない。

それもあって彼は国税当局に頼ることがなかった。福井県内に立地する関電の原発の街を1か所ずつ訪ね、地道に「90歳のじいさん」を探している。「暗い人間のところには人は寄ってこない」というのが彼の小さな信念なので、できるだけ笑顔であるように努めた。

東京から金沢を経て、まず美浜原発のある美浜町に入る。「90歳ほどの地元有力者で関電に影響力のある方はいらっしゃいませんか?」と聞き歩いた。

彼はその顛末を、日本新聞協会が発行する「新聞研究」2019年12月号に書いている。

〈訪ね歩くも「そんな人は思い当たらない」と空振りが続いた。次に南に位置する大飯原発があるおおい町でも同様の結果に終わり、しょせんは雲をつかむような話だったとあきらめかけた。

「お探しの人物は高浜町の森山栄治氏ではないか。町の助役を務められていた方で、関電の下請け業者数社の取締役を務められていた」。そんな折、福井市の企業関係者から思わぬ情報が寄せられた。

「この人でないなら、これ以上この疑惑を追及するのをやめよう」。覚悟を決めて出向いた高浜町で住人や町役場の関係者に森山氏について取材すると「関電社長も一目置く存在」「取材すれば高浜町の秘密を暴くことになる」などと、森山氏と関電との深いつながりを証言する人が次々と現れた。

ある住民からは「森山さんが関係する吉田開発に国税の調査が入った」との声が聞かれ、さらに前後して吉田開発に同局の調査査察部が強制調査していたとの情報が入り、いよいよ森山氏が例のじいさんであるとの確信を得るに至った〉

金沢経由ではなく、大阪から回って行けば、最初に高浜町に行き着いたはずだ。だが、調査報道は山道、寄り道、回り道の連続なのである。

聞き込みと並行して続けた国税周辺関係者への取材はさらに難航した。金沢国税局の門を叩いても門前払いされることはわかっていたので、税理士検索などで国税局OBの税理士を調べて突撃取材を続けた。その中に「いいとこいってるんじゃないか」と漏らした人がいた。教えてくれはしないが、情報は正しかったのだ、と思わせる一言である。「それがなければ、あれは本当なのかなと疑い、諦めちゃったかもしれない」と彼は言う。

実は、長谷川が居酒屋で情報を聞いた1か月以上も前の3月10日付けで、金品受領疑惑を暴露する告発文書が一部のメディアに流れていた。特ダネの端緒が舞い込んでいたのである。岩根社長宛てでこんな趣旨だった。

〈よもや知らないとは申されまい、おおい町の吉田開発に端を発する原子力事業本部における一連の不祥事についてであります。脱税、森山氏に対する利益供与だけであれば、国税の査察も入り、既に解決、安堵されているやもしれません。しかし、残念ながら、問題はそこに留まりません。以下の大罪が挙げられます。

(1) 利益供与された金が、関西電力の八木会長をはじめとする原子力事業本部、地域共生本部などの会社幹部に還流されていたこと。

(2) 利益供与の原資は、協力会社への発注工事費、特にゼネコン、プラントエンジニアリング会社、警備会社等を介して渡されていたこと。(以下略)〉

3

ところが、告発文書が届いたメディアは、これをまともに追いかけなかった。森山が2019年3月に亡くなり、取材しにくかったからだろうか。彼はかつて部落解放同盟福井県連合会書記長と県連高浜支部書記長の要職を2年間務め、福井県の客員人権研究員でもあった。激しい性格でもあったことが、記者の足を遠のかせたのであろうか。

逆に文書が届かなかった共同通信は、告発騒ぎを知らぬ長谷川が「ひとり旅」を続ける。

彼は取材を始めて2か月後に札幌支社編集部次長の内示を受け、8月に北海道に異動していた。初めは「なんだ、こんな大事な取材をしているときに異動なんて、けったくそわりいな」と思ったのだ。だが送り出した本社の社会部長や札幌の編集部長は、自由にしていいよ、といった雰囲気だったから、「絶対にこれをモノにしてやる」と思って、仕事の合間を縫って東京や大阪などに通った。「出張は大阪への日帰りを含めて何10回というレベルでした」と彼は言う。

ここで彼が取材先との付き合いを欠かさなかったことが生きてくる。

上司が「パチンコ台」に例えた長谷川の人脈は、関電関係者にも広がっていた。「もしかしてと思って訪ねた」知り合いの関電関係者から驚くような証言を引き出す。関電首脳たちが地元の顔役だった森山からスーツの仕立券など高額の金品を渡されていたというのだ。

実際には、関電本社は冒頭の脱税事件の関連で1年前、国税局の反面調査と指摘を受けていた。慌てて実施した社内調査で、社長以下約20人の幹部が総額約3億2000万円相当の金品を受け取っていたことまでわかっていた(その後の第三者委員会の調査では受領したのは、計75人、約3億6000万円に上る)。弁護士まで動員しながら、その事実をひた隠しにしていたのである。その一端が関電関係者の口から長谷川のもとへと漏れてきた。端緒をつかんで3か月近くが過ぎていた。

この金品受領事件は国税当局の眼で見ると、「流れた事件」である。発覚のきっかけは、金沢国税局調査査察部が2018年1月に前述の吉田開発に強制調査に入ったことだった。ところが査察で集めた資料の中に、吉田開発の顧問格だった森山に3億円のカネが流れていたことが判明する。「工事受注の手数料」という名目だったが、森山もまたそのカネで関電幹部に金品を贈っており、吉田開発や森山を脱税で立件するには、「溜まり(プールされた隠し金)」が少ないと判断されたようだ。脱税事件が流れたことで、この事件は所得隠し問題に落ちつき、公になる機会――脱税事件ならば検察当局が起訴して発表し、公開の法廷に持ち込まれる――を失いかけた。前述のように国税当局は記者発表をしない慣行があり、まして所得隠しや申告漏れ事案は記者が努力しない限り、漏れてこない。

それが長谷川の取材で浮上した。つまり、彼の行為は、関電が隠蔽して闇に消えそうだった事件を掘り起こしたことになる。

それにしても、電力業界は特殊なムラ社会である。そこへ長谷川が入り込み、だれも知らない原発金品受領疑惑を解明できたのはなぜだろうか。

「教科書があった」と彼は言う。『原発利権を追う』(朝日新聞出版)という本や朝日新聞のキャンペーンのことである。2011年の福島原発事故以来、朝日新聞の編集委員である市田隆らが電力業界の原発利権を追及したことは前回の連載で触れた。利権追及の過程で調査報道班の1人である朝日新聞大阪本社社会部の藤森かもめは、関電元副社長の内藤千百里ちもりから歴代首相らに対する政界工作を聞き出している。彼女のインタビューの際にも一部だが森山の話は出ていた。

内藤は助役だった森山を「先生」と呼び、「大変な有力者。原子力を動かすには、地元の協力が欠かせない。怒らせてはいけませんから」と語ったのである。そして、「森山は存命中なのでこれは触らないでほしい」と付け加えた。

それも掘り下げれば2つ目の特ダネにつながった可能性はあるが、その一端を知ったことと、筆の先に乗せることは異なる。それに藤森たちは、関電から歴代首相7人に対する政界工作を裏付けることに懸命で、弁護士や幹部を交えた取材と記事の検証に精力を割かなければならなかった。

長谷川はこのスクープで2019年度新聞協会賞を受賞している。朝日の記者たちは残念に思っただろうが、私は調査報道のバトンが後輩に受け継がれたのでそれでいいと考えている。藤森や市田たちの努力は『原発利権を追う』という本や記事を残したことで共同通信の記事の原動力になり、この2人の朝日記者の名前は敬愛すべき先輩として長谷川に記憶されている。

あれから3年が過ぎた。長谷川は大手紙のように特ダネを本にまとめるようなこともなく、会社から過度な期待もされず、単身赴任のデスクとして変わらない日々を過ごしている。少し前まで先輩、同僚から「新聞協会賞がお前かぁ!」と冷やかされたり、「調子に乗ってんじゃねえぞ」とからかわれたりした。そのたびに、「調子乗ってないですよ。ハラスメントだ!」と言い返したものだ。イジられキャラなのである。

私は新聞業界で、すれっからしの狐や傲岸不遜な狸、それにポチのような忠犬記者に散々お目にかかってきたので、「あの記事はたまたまなんです」と、目ん玉まで笑って語る彼がひどく新鮮に思えた。オーラのような外套を彼はまとっていない。“乗り鉄”で、ハイヤーで取材するよりも電車で人に会いに行くのが好きだという。この春は北海道・知床の観光船事故の追跡に忙殺された。2011年に生まれた子供と遊ぶことが彼の生きがいの一つだが、最近は忙しくて帰省もままならない。

彼の取材の教訓は、足で支える調査報道が一人でもできることを実証したことである。

確かに、ウォーターゲート事件でニクソン米大統領をスクープ記事で辞任へと追い込んだのは、ワシントン・ポスト紙のボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインの二人の記者だった。私は特別班を設け組織化されることで調査報道も力を発揮すると信じてきたのだが、たった一人でもタフな笑顔と静かな支援者が背後にいれば、世間を驚かす金脈に辿りつけるということだろう。そうしてみると、通信社のゆるい社風は悪くない。

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長谷川の快活な話を聞きながら、私は40年前に調査報道を始めた日のことを思い出した。青森支局で7年目を迎えたころだ。東北新幹線が青森県内のどこを通るのか、盛岡以北のルートが関心を集めていた。当時の国鉄が作成したルート地図を取材先から入手して、1981年11月29日付けの読売一面トップと青森県版に「盛岡以北ルート国鉄案内定」という記事を掲載した。

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