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東京五輪はIOC・バッハ会長の喰い物にされた——なぜ日本は犠牲を強いられるのか

テレビ中継さえあれば、日本の事情は関係ない。総額約3兆円の費用、医療源、そして国民の生命——。なぜ日本は五輪のためにかくも犠牲を強いられるのか?/文・後藤逸郎(ジャーナリスト)

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ウイグル問題と性差別問題は、IOCが「世界最大のスポーツ興行主」でしかないことを改めて示した
▶︎IOC自身がオリンピック憲章に反する行動を取っていた。オリンピック・チャンネル日本語版が20年1月に配信した「オリンピックのメダル数ランキング 多くメダルを取っている国は?」という記事だ
▶︎IOCの切り札は無観客だ。譲歩し尽くしたと見せかけ、感染対策はおざなりでも大会の開催強行を狙う。そこには大会開催に固執する興行主の顔しかない

ウイグル問題とオリンピック

「我々は超世界政府ではない」

IOC(国際オリンピック委員会)のトーマス・バッハ会長はリモート形式のIOC総会を開いた3月12日、中国のチベットや新疆ウイグル自治区の人権侵害を巡り2022年冬季北京大会ボイコットを求める声に同調しない考えを表明した。

語るに落ちたとはこのことだろう。「平和の祭典」「スポーツの祭典」の主催者として、スポーツを通じた「オリンピック休戦」を提唱するなど、IOCほど超世界政府のように振る舞った組織はない。IOCは1993年、オリンピック停戦決議を国際連合に提案し、実現させた。IOCのファン・アントニオ・サマランチ会長(当時)が翌年、冬季リレハンメル大会中に内戦下のサラエボを訪問した。パフォーマンスとはいえ、「平和の祭典」の主催者として言行一致を果たそうとした。一方ウイグル問題は、IOCはなかったことにしようとしている。

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IOCのバッハ会長

米国は今年1月、ウイグル問題を大量殺戮(ジエノサイド)認定した。欧州連合(EU)は3月22日、人権侵害にあたるとして中国への制裁を決定した。米英加豪新も制裁に同調姿勢を示すなど、ウイグル問題はサラエボ問題と同様に国際問題化している。

IOCは、スポーツの政治的中立を建前にウイグル問題とオリンピックの切り離しを図るが、本音は異なる。中国は08年夏季大会の開催国だったと同時に、22年冬季大会の開催国でもある。経済成長と共に中国が支払うテレビ放映権料は上昇し続けた。IOCと中国中央テレビは14年、18~24年の4大会の放映権料で合意。金額は未公表だが、英オリンピックニュースサイト「インサイドザゲーム」は推定5億5000万ドル(約600億円)と伝えた。

また、IOCの最高位のスポンサーであるワールドワイドオリンピックパートナー「TOP」には、中国企業のアリババと蒙牛乳業が含まれる。バッハ会長は東京大会で中国製ワクチンを選手に無料接種する考えを示すなど、中国との関係は深まるばかりだ。中国を刺激したくないという懐事情がウイグル問題での冷淡な態度につながっている。

だが、オリンピック憲章の建前は、オリンピックというブランド商法にとっての生命線だ。

代表的な事例が、森喜朗前大会組織委会長の女性蔑視発言による辞任だ。バッハ会長は当初、東京大会招致時から付き合いの長い森氏をかばい続けた。女性会長との2人体制という森氏すら拒んだ奇天烈な提案で、森氏続投の道をつけようとした。しかし、TOPを始めとするスポンサーの抗議の前に屈し、森氏を切り捨てた。憲章は性差別禁止をうたっている。オリンピックの建前が醸すブランドイメージに高い金を払っているスポンサーを優先した。ウイグル問題と性差別問題は、IOCが「世界最大のスポーツ興行主」でしかないことを改めて示した。

IOCの顔色を窺う森氏

森氏

中国の政治的中立には頬かむり

興行主としてのIOCの姿がより鮮明になったのが、選手の政治的なパフォーマンスを禁じたオリンピック憲章50条問題だ。

政治的中立をうたうIOCにとって、50条は選手を縛る道具でもある。1968年メキシコ大会の陸上男子200メートルの表彰式で、黒人差別に抗議して拳を突き上げた米黒人選手2人をIOCは憲章違反としてオリンピック村から追放した。

だが、選手はIOCの駒ではない。昨年の米大統領選で活発化したブラック・ライブズ・マター(BLM)運動を受け、欧米のスポーツ界からは50条改定論が出ている。

しかし、バッハ会長は「オリンピックは第一にスポーツの場」とし、応じない。政治的中立も憲章も興行主が都合よく使い分ける道具に過ぎないと言ってはばからない。

実際、IOCは政治的中立で厳しい姿勢を示すこともある。イタリアとイタリアオリンピック委員会(CONI)に対し、同国の法制度が政府からのCONIの独立性を確保していないと主張。改善されなければ、東京大会でイタリア選手が入賞した際に国歌斉唱と国旗掲揚を行わせないとし、26年冬季大会の同国の開催権を剥奪するとまで迫った。イタリアは21年、法律改正案を国会に提出し、制裁回避を図った。

では、IOCが何かと頼みにする中国の政治的中立はどうなのか。中国オリンピック委員会(COC)の苟仲文会長は、中国国家体育総局長を兼務している。国家体育総局は中国の最高行政機関である国務院の直属で、国内のスポーツ行政を担う。苟氏は北京市副市長も務めた中国共産党幹部だ。習近平国家主席が率いる中国共産党独裁体制で、COCが政治的に中立だと、バッハ会長は主張できるのだろうか。ここでも憲章の建前と本音の使い分けがある。

消えた「メダル獲得ランキング」

そもそもIOC自身がオリンピック憲章に反する行動を取っていたことは知られていない。

IOCのグループ会社にインターネットでオリンピック関連の記事や動画を配信する「オリンピック・チャンネル」がある。

オリンピック・チャンネル日本語版は20年1月、「オリンピックのメダル数ランキング 多くメダルを取っている国は?」という記事を掲載した。「日本は世界で11番目に多くメダルを獲得しており、その内訳は金メダルが142個、銀メダルが135個、銅メダルが162個である。前回のリオデジャネイロ五輪では、日本最多となる1大会で41個のメダルを手にした」(原文ママ)。うんちくと共に、夏冬大会の上位各20カ国の金、銀、銅メダル数を記している。誰もが興味を惹かれる内容だ。

だが、これは本来あってはならない記事だ。

オリンピック憲章57条は「IOCとOCOG(組織委員会)は国ごとの世界ランキングを作成してはならない」と定めている。あくまで「スポーツの祭典」であり、国家同士の対抗戦ではないとの建前を憲章で担保するため、IOCとOCOGに制限をかけている。

オリンピック・チャンネルの記事は「国ごとの世界ランキング」以外の何物でもない。しかも、記事を掲載した有限会社オリンピック・チャンネル(本社マドリード)の親会社株式会社オリンピック・チャンネル(本社ローザンヌ)の社長はバッハ会長だ。IOCのトップ自らが憲章を踏みにじっていたことになる。

日本オリンピック・アカデミー副会長の舛本直文東京都立大・武蔵野大客員教授は「オリンピック・チャンネルはIOCの公式広報ツール。メダルランキングは憲章57条に反する」と指摘する。

筆者は3月初めから、IOCに3度メールで見解を求めた。すると3月下旬、当該記事は突然サイトから消え、代わって「夏季五輪・冬季五輪のメダル獲得数 日本のアスリートは夏季441個、冬季58個のメダルを獲得」との記事が出た。こちらはメダル獲得数上位20カ国を紹介するが、順位表記はない。

IOCは3月29日、「回答が遅れたことをお詫びします。本件についてお知らせいただきありがとうございます。記事は適切に修正されました」と、メールでコメントした。

憲章に反するとして、IOCは黒人選手をオリンピック村から追放し、イタリアに制裁をちらつかせた。しかし、中国の政治的中立や自らの憲章違反には鈍感だ。国別メダルランキングは「スポーツの祭典」の建前に隠れた国家間の競争心をあおるIOCの本音の表れだ。

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オリンピックチャンネルから削除された記事

IOC栄えて国滅ぶ

IOCの憲章の使い分けは、開催都市決定でもみられた。

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