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藤原正彦 揉み手して 古風堂々28

文・藤原正彦(作家・数学者)

新型コロナに対する国産ワクチンはなく、政府の不手際で輸入もままならぬため、感染者数は激増し第5波に突入した。無理を通して開いた東京オリンピックも無観客という未曽有の事態となった。テレビ観戦では外国でやっているのと変らない。知人の医学部教授でアメリカ帰りの男が数年前に言った言葉を思い出した。「手術の巧さは日本の方が上だが、薬はアメリカに負けている」。日本人の手術の巧さはアメリカで通った床屋や歯医者の指先の頼りなさから想像できたが、製薬で負けているというのは、最近の我が国の科学技術力低下を示唆しているようでショックだった。国産ワクチンが遅れているのも、手間や費用をかけ成功するかわからないワクチン開発に取り組む意欲や能力を、製薬会社は失くしてしまっているからだろう。ワクチンでこうなら他の薬品開発でも似たようなものに違いない。

ワクチン接種率トップクラスの英国は、新型コロナが猛威をふるい始めるや、早くも2020年4月には首相直下にワクチン緊急チームを発足させた。自身が新型コロナにかかり酸素吸入まで受けたジョンソン首相がパンデミック制圧にはワクチン、と脱兎のごとく走り出したのだ。チームは直ちに世界中に200数十もあったワクチン候補を評価し、大手かベンチャーかを問わず有望なものに投資した。特に有望なものには投資どころか事前購入にまで踏み切った。青田買いだ。こうして5億回分のワクチンをいち早く確保した。さらには打ち手不足を見込み、医療資格のない者でも短期の講習で注射を打てるよう法改正し、1万人の打ち手を速成した。同時に、パンデミックでサプライチェーンがずたずたになったのを見て、今後は他国からの供給に依存する訳にはいかないと、大学や製薬会社など国内拠点にワクチン開発のため巨額の助成金を交付した。もともと新自由主義型グローバリズムに懐疑的でEU離脱まで実行した首相は、パンデミックに「グローバリズムの終焉」と「国家主義の台頭」を確信したのだ。この頃我が国では、ワクチン開発支援としてわずか100億円余り、GoToトラベルには1兆3000億円の補正予算を組んだ。

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