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志村けん バーから生まれた企画 井澤秀治 100周年記念企画「100年の100人」

昨年、突然の訃報に多くの人が悲しみに暮れた、志村けん(1950~2020)。日本を代表するコメディアンの仕事を支えたイザワオフィス社長の井澤秀治氏が語る。/文・井澤秀治(イザワオフィス社長)

私は、長年続いてきたTBS「8時だョ!全員集合」の終焉が見え、ザ・ドリフターズの主戦場がフジテレビ「ドリフ大爆笑」にシフトし始めた1981年に生まれました。

私の父、井澤健が、ザ・ドリフターズのマネージャー兼所属事務所の代表だったため、私は幼い頃に何度か収録現場に連れられたことがありました。ただ、志村けんと面識はあったものの、最近までまともな会話をした記憶はありませんでした。

2012年、私がイザワオフィスに転職後、志村と初めて仕事をしたのは、同年公開のアニメ映画「ロラックスおじさんの秘密の種」での初の声優出演だったと記憶しています。

当時、志村はバラエティ番組での露出は多かったのですが、それ以外での活動は少なく、入社したてで会社に自分の居場所を作りたかった私は、「これまでやってこなかったことを積極的に提案してみよう」と考え、アニメ映画「妖怪ウォッチ」の声優出演、志村グッズの制作・販売、「バカ殿」「ひとみばあさん」ら彼の名物キャラクターやギャグを使ったLINEスタンプの制作など、多くの新規企画の提案をしました。

志村は普段は口数が少なく、提案をしても明確な回答を得られないこともあったので、私が早とちりをして怒られることも多かった。それでも自分にとって遠い存在であった志村との距離が近づいた気がして、じっくりと相談をしたい時には、麻布十番の彼の行きつけのバーに偶然を装って立ち寄ったものでした。

志村けん

志村けん

一緒に作った企画の中でも特に印象に残っているのが、NHKのコント番組「となりのシムラ」です。「もっと新しい才能と出会いたい」という、志村とのバーカウンターでの会話から企画がスタートしました。普段はドラマを作っている制作チームや役者の方々と交流し、刺激を受け、「ドラマには出ない」という志村の信念を変える作品になりました。

ある日のバーカウンターでの会話で、「ジュニア(井澤氏)がイザワオフィスに来て、アニメの声優だったり、『となりのシムラ』だったり、新しいことができるようになったよ。ありがとな」と言って頂けたことが、本当に嬉しかったのを覚えています。シャイで、不器用で、特に仕事に関しては非常に厳しい方でしたが、ポッと発してくれる感謝の言葉に「この人ともっと仕事がしたい」と思わせてくれる力がありました。

一歩一歩、新しいことにチャレンジを続ける中で、2019年、2つのオファーを頂きました。一つは、山田洋次監督の映画「キネマの神様」への出演オファー。もう一つは、NHKの連続テレビ小説「エール」への出演オファーでした。

そのため2020年は、志村の“役者”としての一面が大きく花開く可能性があっただけに、彼の突然の死は無念でなりません。加藤茶が「昔のようなドリフはもうできないけど、残った俺たちで続けていくしかないよな」と話してくれました。いかりや長介、志村けんを失った今、残されたドリフメンバーたちは、2人の思いを背負ってコントを続けていく、という想いでいます。それを全力でサポートすることが、私の今できることだと思っています。

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