西寺郷太_ナインティーズ

西寺郷太 小説「'90s ナインティーズ」#4

第一章
Once Upon A Time In SHIMOKITAZAWA

★前回の話はこちら。
※本連載は第4回です。最初から読む方はこちら。

(4)

 1995年4月22日土曜日。初めて意識的に「下北沢駅」に降りたった僕は、地下二階にある CLUB Que の入り口をくぐり抜けた。改めて調べ直すと、この夜のイベントは『GOD BLESS YOU #1 ONE DAY HAPPENING!!』というタイトルだったようだ。

 下北沢のバンド・シーンは、群雄割拠。この夜出演したのは、四つのバンド。BUBBLE BUS、PEALOUT、STARWAGON、N.G.THREE。

 CLUB Que は、それまで僕が客として訪れたり、音楽サークルで貸し切って演奏してきた東京のライヴハウス、例えば老舗の新宿JAM、吉祥寺曼荼羅、四谷FOURVALLEY(フォーバレー)、レストランのように椅子のある吉祥寺シルバーエレファント、ハードコアバンドの聖地・高円寺20000V、円形劇場を小型化したような渋谷La.mamaなどに比べて、奥行きがなく横に広く、サイズとしては少し狭めの「ハコ」だった。

 まず驚いたのが、若い女の子の集団がステージ前列を固めていたことだ。

 後にすぐわかるのだが、10代でカラフルなTシャツなどをピタッとしたサイズ感で着た女子達の多くは、勢いに乗りまくっていたスリーピース・バンド「N.G.THREE」のギター、ヴォーカル新井仁さんのファンであり、「新井ギャル」などとも呼ばれる一群だった。とは言え、彼女達もイベント・スタートから終演まで、すべてのバンドのパフォーマンスを全身全霊で楽しんでおり、場の空気をおもちゃ箱をひっくり返したような華やかさで染めていた。

 これまた後にすぐわかるのだが、客の中にはメジャー・レコード会社のディレクターや、新進気鋭のバンドマンたちと契約を交そうとする事務所のスカウティング・スタッフ、草の根的に多数生まれていたインディ・レーベルのリーダー達も紛れており、そのまま会場で行われる「打ち上げ」には彼らも参加するのが恒例となっていた。僕はその夜、これまで個人的にもらったことなどないメジャー・レーベル、インディ・レーベルの名刺を何枚も渡されることとなる。とは言え、彼らの多くが20代から30代前半の、純粋な音楽ファンであり、それぞれのバンドと友人として信頼関係を結んでいた。

 さらなる衝撃は、この夜登場したすべてのバンドのメンバーが「普段着のまま」ステージから歌っていたことだ。特別な長髪や、キラキラしたアクセサリーや、派手な衣装を身に纏った者はひとりもいなかった。そこには当時もうひとつの大きな潮流となっていたいわゆる「ヴィジュアル系」のような、奇抜なメイクを施している者もいなかった。ともかく皆、普通以上に普通だった。

 90年代初頭に一世を風靡したレニー・クラヴィッツでさえ、彼がリヴァイヴァルさせたベルボトムのシルエットや、ブーツ、ドレッドヘアであからさまに「ロックスター」然としたスタイルで周囲を威嚇し、その70年代的生音にこだわった孤高の音楽性を表現していたように思う。

  1980年代半ばから後半にかけて、日本中の中高生を飲み込んだ空前のバンドブームにしても同様に派手だった。例えば、BOØWY、JUN SKY WALKER(S)、THE BLUE HEARTS、X JAPAN など代表的なグループを列挙しても、1989年に大流行した「三宅裕司のいかすバンド天国」から注目を集めデビューしたバンド、FLYING KIDS、たま、マルコシアス・バンプやBLANKEY JET CITYなど多くのグループ名を並べてみても、それぞれ方向性と程度は違うにせよ「偏り」こそを武器にして特色を出していたように思う。「ロックバンド」「パンクロックバンド」「ファンクバンド」としてのメッセージを、「一般人が暮らす日常生活では見慣れない過激な衣装」に込めていた。

 加えてCLUB Queで観た面々が、20代半ば、後半という年齢の割に「可愛さ」を保っていたのが不思議だった。大学4年生の自分より年上となると、ほぼ社会人で、それまではその境界線に大きな断絶を感じていた。大学を卒業した瞬間、モラトリアムは終了。誰もが否応なく「大人」の世界に馴染んで当然のように老け込んでゆく。それが普通だと思い込んでいた。しかし、下北沢で出会った先輩達は、実際に仲良くなって年齢を聞くたびに仰け反り返るほど、皆、見た目も考え方も若々しかった。

 上着はネルシャツ、ジャージ、もしくはポロ・シャツ、Tシャツ。ストレートのジーンズ。コンバースのオールスターや、アディダスのスタンスミス、ハイテク・スニーカー。髪はナチュラルに眉まで下ろしたストレートのマッシュルーム・ヘア、もしくはなんの変哲もない短髪。まさに自然体そのもの。しかし、よくよく考察してみれば、サイズ感や着こなしに一定のルールがあり、着崩し方、ムードを含めて明らかに皆、セレクトしてそのリラックス・ムードを打ち出していることに気づく。端的に凝縮して言えば、皆「おしゃれ」だった。これまで観てきた先輩や仲間のバンドのライヴ、イベントとの圧倒的差異がそこにはあった。

 それらは「ブラー」「オアシス」のメンバーのような「90年代的ドレスダウン」の具現化だったのだろうか。よく考えてみれば、その場にいる人々の多くが、大なり小なりデーモン・アルバーンやグレアム・コクソン、ギャラガー兄弟、ポール・ウェラー、もしくはカート・コバーンやベックの影響を受けていた。もっと言えばフリッパーズ・ギターや、解散してからの小山田圭吾さんや小沢健二さんなどが作ってきた、いわゆる「渋谷系」なる文化、一定のルールの中で育んできた同時代感がそこにあったのだろう。ピカピカ光るスパンコールの衣装や「80年代的」仰々しさのすべてが、そこでは排除されていた。

 うっとりとバンドの演奏に見入り、幸せそうに嬌声を上げる女の子達と、俺だっていつの日かと憧れの目で陶酔する男子達の感覚こそが、絶対的な正しさに思えた。今までテレビなどで観てきたバンドブーム以降の日本のミュージシャン達とは、完全に違った。

 集団の中で自分だけが浮いているような気がしてならなかった。3年間も同じ東京に暮らしていたのに……。

 遅まきながら僕は気づいた。この日のギター・バンドのメンバーたちの「普段着感」は、今まで僕が体感したことのない発想から選ばれて生まれた新しさだと。そこには「客」「オーディエンス」とのコミュニケーションがあり、マネタイズ、つまりインディであれメジャーであれ、音楽で生きてゆくための道のり、ヴィジョンが描けているバンドしかいなかった。僕は仏教徒だが、この時は「旧約聖書」の「モーゼが海を割って、道が生まれた」という奇跡のエピソードを信じるほどに、こんな輝く世界が現実にあったのかと目を疑ったほどだ。

 最後のヒントは「言葉」にあった。

 その夜の出演バンドのうち3つが英語でオリジナル曲を歌っていたのだ。

 僕のそれまでの最大の悩みが、好きな海外のバンドやアーティストのムードで曲作りをしても、最大の難所である言葉の壁ですべてが崩れてしまうことだった。よっぽどのスキルがなければ、日本語にするだけで、どうしても悪い意味での「歌謡曲」になってしまう。僕がいかにスライ・ストーンが好きでも、プリンスやジョージ・マイケルが好きでも、ジャミロクワイやスティーヴィー・ワンダーが好きでも、作曲まではスタイルを踏襲できても、作詞でいつもつまずいていた。いくらどんなに海の向こうのクールな天才達に夢中になろうとも、日本人である自分の音楽との連動、未来につながる道はまったく見えずじまいだった。しかし、彼らのサウンドは「洋楽」と同じフォルダーの中でそのメロディやサウンド、ヴォーカリストの声の独自性が素直に心に響いた。

 英語で歌うのは STARWAGON だけではなく、当時の下北沢インディ・ギター・バンド界隈のひとつの流れだったのは間違いない。湧井さんに、なぜ英語で歌詞を作るのか?と尋ねた時、彼が僕にこう答えてくれたことを思い出す。

「ゴータ、日本人が英語で歌うことは全然おかしくないんだ。世界でも、例えばフランスでも、スウェーデンでも、どこでも自国の言葉じゃなく、英語で歌って世界的に聴かれているバンドやアーティストは沢山いる。初めてその曲を聴いた時にわざわざ、『これは何人?』だとかいちいち考えることないでしょ。シンプルな英語にすることで、世界中の人に伝えることが出来るし。仮に英語で歌ったとしても、どうしても『日本人らしさ』は出てしまう。でも、それこそが、俺たちのオリジナルな魅力にも変わるんだよ」

(続く)

★今回の1曲―― BLUR- Girls And Boys (1994)

(連載第4回)
★第5回を読む。

■西寺郷太(にしでら・ごうた) 
1973年東京生まれ京都育ち。早稲田大学在学時に結成したバンド「NONA REEVES」のシンガー、メイン・ソングライターとして、1997年デビュー。
以後、音楽プロデューサー、作詞・作曲家としても少年隊、SMAP、V6、YUKI、鈴木雅之、岡村靖幸、私立恵比寿中学などの多くの作品、アーティストに携わる。
日本屈指の音楽研究家としても知られ、近年では特に80年代音楽の伝承者としてテレビ・ラジオ出演、雑誌連載など精力的に活動。マイケル・ジャクソン、プリンスなどの公式ライナーノーツを手がける他、執筆した書籍の数々はベストセラーに。代表作に小説『噂のメロディー・メイカー』(扶桑社)、『プリンス論』(新潮新書)など。
現在NHK-FMで放送中の「ディスカバー・マイケル」に案内役としてレギュラー出演。


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