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”東大女子”のそれから|#1 中野信子さん(脳科学者)

日本の大学の最高峰「東京大学」に初めて女子が入学したのは1946年のこと。それから74年――。本連載では、時代と共に歩んできた「東大卒の女性たち」の生き様に迫ります。第1回は、脳科学者の中野信子さん(1998年、工学部応用化学科卒業)にお話を伺います。/聞き手・秋山千佳(ジャーナリスト)

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中野信子さん

――中野さんが東大を選んでよかったと思うことはありますか。

中野 面白い人たちに出会えたのが財産ですね。どうあがいても勝てない天才とか。自分の性格はおかしいと思っていたけど、もっとおかしな人たちがたくさんいた(笑)。工学部は女子が少なくて、応用化学科は私の時で50人中5人。応用物理だと学年に1人とかゼロの年もある。特に名門の男子校からくる人たちって、女性に慣れていないんですよね。だから最初はコミュニケーションがぎこちない。女の子も化学の知識を持っているものだから、メイクの話をしてもあのコスメは酸化チタンの粒子が細かくてカバー力があるけど、肌荒れが心配とかね。

――一般的な女子の会話ではないですね。

中野 そうでしょう。それが面白かったんです。

ただ、女子の場合、東大に入った時点で「第二東大生」という扱いになる面があります。東大の女子学生は入れないインカレサークルがあるし、入れるサークルでも、例えば飲み会で男子5千円、女子1千円、東大女子は3千円というように区別されていた。つまり東大女子は、男子からすると、お嫁さん候補のような女子でもないし、自分たちと同じ東大生でもない。変な隙間にはまってしまった人間たちという感じでした。

――東大に入るまでの歩みが必ずしも幸せなわけではないということも、東大女子の友人や後輩の事例として、3月に出された『毒親』(ポプラ新書)に書かれていますね。

中野 皆の話をつぶさに聞いたわけではないですが、親との葛藤がある人は多かった印象です。良い子でいようという気持ちがすごく強いとか。摂食障害になる人もちらほらいました。本では個人を特定できないように、複数の人の話を混ぜて書きましたが。

――それこそ毒親をテーマに書こうと思った源流に、学生時代の東大女子たちのお話が。

中野 ありますね。

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――中野さんご自身が東大に入るまででいうと、女子ということに加え、子どもという立ち位置にもやりづらさがあったとか。

中野 両親が東大出身でない家で育った東大生にはそういう傾向があると感じます。子どものくせに微分方程式を解くとか、普通の大人には気持ち悪がられるんですよね。ご両親に学歴がある家だったら、こんなものかと理解してもらえるでしょうけど。

私は幼稚園に入って、周りの大人から「何か変ね」と言われるようになったのをよく覚えています。子どもの割に難しい単語を使ったり、知育玩具やドリルを楽しく進めていたりするのにびっくりされたみたいです。お遊戯は嫌いだったなあ。他の子と一斉に何かをしなければいけないということに違和感がありました。そうそう、時事ネタを話して親戚に大笑いされたこともありました。5歳の子がロッキード裁判とか言い出すのは今思えばおかしいよなと思うけど、当時は大真面目に言ったのになぜ笑うのと思った記憶があります。

――ご両親はどんな方なのでしょう。

中野 どちらも短大卒です。取り立てて賢いわけでもないし、ものすごく愚かでもない。父は仕事を転々としていますし、母も何かキャリアがあるわけでもありません。

――教育熱心だったのですか。

中野 むしろ母は、女性が学歴をつけても結婚できないね、と勉強をマイナスに捉えるようなタイプでした。その点、父は無邪気で、入試時期に東大がテレビに映ることがあると「のんちゃんが行く大学だよ」と冗談っぽく言うことがありました。

――小学校入学前に、東京から茨城へ引っ越したんですよね。小学校時代はどうでしたか。

中野 言葉は違うし、1人だけ日焼けしていないし、浮いていた。普通だといじめが始まるんでしょうけど、それもないほど皆と距離が遠かったです。休み時間も私は本を読んでいて、皆は遊ぶ、みたいな。それで通知表に「利己的」と書かれたことがあります。私は「生物ってみんな利己的じゃん」と思うだけでしたけど、母がショックを受けて、どうしてこんなこと書かれたのと問い詰められました。3歳下の妹の方が普通の子で、友達も多いし、当時はうらやましかったですね。同級生には農家の子が多かったので、種なしブドウの作り方について私から話しかけたことがありますが、変なものを見る目で見られた(笑)。どんどん周りと話が合わなくなっていって、私はここに長いこといられないなと思っていました。

――それで、中学進学を機に親元を離れ、東京の祖父母宅から私立校に通うことに。

中野 地域の公立という選択肢はなく、かといって私立も家が貧乏だったので、特待生になれそうな学校を受験するという賭けに出て、難関校でもないけど成績上位者なら東大に行ける水準の学校に入りました。またやりたいなあ、中学受験。算数の問題、特に灘中学校の問題なんか、友達と無理に合わせようとするよりずっと面白かった。

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