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山内昌之「将軍の世紀」|北方問題の開幕 (3)見せかけだけの資本家

歴史学の泰斗・山内昌之が、徳川15代将軍の姿を通して日本という国のかたちを捉えることに挑んだ連載「将軍の世紀」。2018年1月号より『文藝春秋』で連載していた本作を、2020年6月から『文藝春秋digital』で配信します。令和のいま、江戸を知ることで、日本を知るーー。今月登場する将軍は、第11代・徳川家斉です。

※本連載は、毎週月曜日に配信します。

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 寛政四年のラクスマン渡航につながるロシア人の蝦夷地接近は、松前藩の脆弱な兵備、寛政元年のクナシリ・メナシのアイヌ蜂起と連動して北方の安全保障を脅かす大きな要因として意識される。一七七〇年(明和七年)から七一年にかけてウルップ島ではラッコ猟をめぐってロシア人とアイヌとの間に衝突が起こり、双方に死者が出た。ロシア人によるアイヌ保有のラッコ皮の略奪殺人、アイヌによるロシア人十四、五人以上の報復殺害といった事案が生じた。佐藤玄六郎にならうと、ロシア人は「大ニ敗北」したが、また来襲するとアイヌが撤退し、その途中逆風を受けて十余隻の船が沈没、百人以上が溺死した。生き延びたアイヌはロシア人と和解し、松前藩が茫漠と異国境に連なるとイメージしていたエトロフ島にも三人のロシア人滞在が確認されたのが、将軍家治死亡の天明六年の状況であった(『蝦夷拾遺』別巻、六十五~六十六コマ)。 

 定信や忠籌は、松前藩の三百四十九名ほどの人数でロシアの脅威や侵攻をかわせるとは思えなかった。カムチャツカに流刑されていたハンガリー人のベニョフスキ・モーリツことベニョフスキーは、一七七一年五月にカムチャツカを脱出し、日本近辺に逃れて長崎のオランダ商館長宛書簡(七月二十日付)でロシアが七二年以降、松前はじめ近隣諸島を攻撃すること、千島列島に一要塞が造られ弾薬や大砲が整備されたことなどを知らせた。これは、本多利明の『西域物語』(中巻)でも「ハンベンゴロト」(ハンベンゴロー)つまりべニョフスキーがロシアによる「日本の東蝦夷の諸島を侵し掠めん萌しあり」と「用心」の「注進状」を出したと紹介されている。折からベニョフスキーの脱出したカムチャツカに連なるウルップやクナシリで起きた騒擾や蜂起は、商館長経由の情報とともに、定信や忠籌の警戒シグナルを点滅させたはずである(『ベニョフスキー航海記』)。

 とくにクナシリ・メナシの蜂起は、ツキノエやションコやイコトイのように日本商人をもある程度慴伏(ようふく)させたアイヌ首長たちがラッコ猟などでクナシリやエトロフさてはウルップまで出かけられた時代に終止符を打ち、蝦夷地東部のアイヌの威厳と存在感を低下させるモメントになった。若者が蜂起に至った事情をアイヌの首長らに訊いた幕府普請役見習の青嶋俊蔵は、寛政元年十一月に勘定奉行・久世丹後守広民宅まで持参した書付で、飛驒屋のあくどい手口をまず克明に記した。「最近ではいつでも米・酒・煙草など諸品が下等であるうえ、勤労の手当も少なく渡す一方、アイヌからはその労苦で稼いだ物品をたくさん取立てるようになった」。藩直轄の交易場所だった過去であれば、千島列島での交易や狩猟の成果一部を取引終了後に自家用食料として蓄えられたが、今では年がら年中漁場で商人の手先として使われるので、自前の狩猟や漁労で独立生活を営むすべがない。クナシリでは和人が妻子と密通した上にその責めを相手に負わせる有様だ。アイヌたちは、この春(寛政元年)、働きが悪いのでアイヌを毒殺すると言い放つ番人もいたので心底から不愉快になっていた。そうこうするうち、病気になったクナシリ惣乙名サンキチに運上屋が酒を与えると死んでしまった。怒ったサンキチの弟マメキリを中心に、かねてからの苛斂誅求に反発して今回の騒擾が起きたというわけだ。青嶋は、この事件への「赤人」ことロシア人の関与を否定している。彼らは天明六年にはウルップ島に来ていたが、今年(寛政元年)に至るまで姿を現していない。結論として「まず夷人どもばかりに聊か騒動致させ、日本の武備試し候筋にはこれなき哉と存じ奉り候」(『蝦夷地一件(五)』九)とロシア人挑発説をとらない。

 松前藩は、確かにクナシリ・メナシ蜂起の鎮圧に二百六十名の藩士を派遣した。寛政十年の列席調の人数の七四・五%に当たる。この調に名の出ている長爐列以上の上士の父や縁者とおぼしき新井田孫三郎、松井茂兵衛、松前平角の率いた兵力は、小銃八十五挺、大砲三門、馬匹二十頭で武装されており、アイヌ反乱者をたやすく鎮圧し投降させた。場所請負の飛驒屋久兵衛の手下にあたる七十一人の和人を殺害した報復として三十七人が斬首された(ウォーカー『蝦夷地の征服』)。事件の発端は藩御用の飛騨屋が場所請負権をさながら無制限の資源利用権と理解してアイヌを酷使した点にあった。しかし、老中・松平定信の関心は松前藩の行政権というよりも、アイヌ民族問題など蝦夷地固有の問題とロシアの南下政策が結びついた場合に国際的に大きな北方問題に発展し、幕府の「武威」と存在理由が脅かされる点にあった。そこで事変が起きるとほぼすぐに盛岡・津軽・八戸の諸藩に対して、「何れにも外国の儀、万一取り鎮め候人数不足の儀も候はば、その方へ人数の儀申し遣わし候様」に命じたのは、幕藩体制の内部にある松前藩とロシアなどの異国をつなぐ蝦夷地が異域として「外国の儀」の政治舞台になると認識したからに違いない(菊池勇夫『幕藩体制と蝦夷地』)。

 定信に宛てた勘定奉行・久世丹後守広民と根岸肥前守鎮衛の吟味書付(寛政二年八月五日付)は、飛驒屋久兵衛のアイヌ交易の「不正の姦計」を原因としつつ、「外国え対し右体に及ひ、殊に外国の隙をも生し候に当(あたり)、一通ならず不届き」だと内紛の隙をロシアに衝かれる危険性を警告している。もともと飛驒屋の曾祖父、初代久兵衛は材木商売で南部領大畑村から木材を伐り出した縁もあって、松前領檜山の伐採権を獲得した。飛騨屋の歴代当主はその間に松前藩へ貸し付けた七千両の返済を督促すると、一年あたり五百両を返済すると約束した。それなのに松前藩は少しも返さなかった。天明四、五年分の千両だけでも払ってほしいと請求すると、返済の代わりに「蝦夷地交易差し免(ゆる)す」と場所請負認可を持ち出した。運上金一年百七十両と見なして二十年季にて請負を引き受け、都合五千四百両を貸金と相殺して商売する算段となった。それでも、本来の七千両から差引き千六百両が不足してしまう。その不足分は、安永三年(一七七四)にキイタツフ、アツケシ、クナシリ、エトモ(室蘭・絵鞆)四か所の交易請負で相殺することになった。他方飛驒屋は、西蝦夷地のイシカリ(石狩)からの伐採費用・米代・上納手当など二千八百五十六両が松前藩から支払われるべきなのに、「これまた返済あい滞り」、その対価としてソウヤ(宗谷)での交易を引き受けた。これは年百九十両ずつの運上金を十五年季で算定して債権を回収する見積となった。松前藩にとり飛驒屋はよくよく頼りになったようだ。天明三年(一七八三)になると他の借金で首が回らない藩は、飛驒屋に頼みこみ、金主と借方の年賦相談の取持ちをしてもらった。その礼としてソウヤの交易年季が明けても、さらに二十五年引き延ばし、運上も六十両上げて合計二百五十両としたのだ。松前藩はこうした債務を認めながら、クナシリ・メナシ蜂起についてもともと飛驒屋の木材など「山方」の稼ぎ手が「交易方」の下代になり、南部や松前の者を「その時々に相雇い、蝦夷地え差し遣わし」た挙句に起きた事件だとした。藩の関与や責任を回避したのである(『蝦夷地一件(五)』二七)。

 しかし元来、松前藩とアイヌとの交易は、寛政年間の前には、八升入米俵一俵を決算の基本単位としており、それなりの慣行が成り立っていた。魚油二斗入一樽に米四俵、干鮭あるいは干鱈七束(二十本が一束)は米一俵、生鮭五束に米一俵、上製の厚司(あつし オヒョウの樹皮の繊維で織ったアイヌ衣裳)一枚につき米二俵半、並製の厚司一枚につき一俵半というのが「古来よりの仕来」だった。ちなみに米一俵は、和人の他の交易品でいえば、酒五升、煙草四把、木綿二丈、きせる五本、包丁一挺、小刀五本などに相当すると松前藩は幕府に説明していた(『蝦夷地一件(五)』二七)。

 飛驒屋は直営交易の松前藩よりも無慈悲な漁業経営体であった。飛驒屋は、アメリカの日本社会史研究者ハウエルのいう「没落する封建的経済における商人資本家」であり、「見せかけだけの資本家」(not “really” capitalist)だったかもしれない。しかしそれは、「まだ資本主義的でないにせよ、本当の資本主義生産の後期発展に必要な過渡期」に生まれた商人であり、江戸末期つまり近世最後の封建経済の特権を必要とした商人資本家だともいえよう(David L. Howell. Capitalism from Within: Economy, Society and the State in a Japanese Fishery. Berkeley: UCP, 1995, pp. 47-49)。

★次回に続く。


■山内昌之(やまうち・まさゆき)
1947年生、歴史学者。専攻は中東 ・イスラーム地域研究と国際関係史。武蔵野大学国際総合研究所特任教授。モロッコ王国ムハンマド五世大学特別客員教授。東京大学名誉教授。
2013年1月より、首相官邸設置「教育再生実行会議」の有識者委員、同年4月より、政府「アジア文化交流懇談会」の座長を務め、2014年6月から「国家安全保障局顧問会議」の座長に就任。また、2015年2月から「20世紀を振り返り21世紀の世界秩序と日本の役割を構想するための有識者懇談会」(略称「21世紀構想懇談会」)委員。2015年3月、日本相撲協会「横綱審議委員」に就任。2016年9月、「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」の委員に就任。
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