辻田真佐憲

JASRACの本部はなぜ代々木上原にあるのか / 辻田真佐憲

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 戦前のレコード産業は随分と儲かったんだな。代々木上原の古賀政男音楽博物館を訪ねると、そんな思いにとらわれる。

 地上3階、地下1階の同館は、220席のホールを備えるだけではなく、隣にJASRACの本部が入居する9階建ての賃貸ビルも従えている。この広大な土地に、古賀政男はかつて王族が住むような豪邸を構えていたのである。

古賀政男記念博物館。奥のビルがJASRAC。

 古賀政男記念博物館。奥のビルがJASRAC。

 古賀政男(1904-1978年)は、昭和を代表する大衆作曲家のひとりである。戦前・戦後を通じて「酒は涙か溜息か」「東京ラプソディ」「誰か故郷を想はざる」「湯の町エレジー」などヒット曲を連発し、今日では演歌の作り手としても知られている。没後、その活躍を讃えて国民栄誉賞も授与された。

 古賀が代々木上原に「音楽村」を作ろうとして3000坪もの土地を買ったのは、テイチクに所属していた1937年だった。先述の豪邸が完成したのは、日中戦争中の翌1938年。一般の土地付き2階建てが2000円だった時代に、20万円もの巨費が投入されたといわれる。

 音楽博物館内に、そのミニチュアが展示されている。敷地があまりに広く、まるで皇族の御用邸のようだ。周囲を高い壁と森に囲われ、訪問者は、門扉から玄関まで、石畳の長い坂を延々登らなければならない。

 この坂道は名物だった。古賀のレッスンを受けにきた歌手たちは、緊張の面持ちで、ここを登って行ったという。

 現在の博物館にも、2階から3階にのぼるスロープで、この道がわずかに再現されている。床には石畳の模様のカーペットが敷かれ、左右のモニターには往時の様子が映し出されている。そして登り終えると、古賀邸の一部が移築されており、その豪奢な暮らしぶりを追体験できる。なかなか面白い作りである。

 そんな工夫が凝らせるのも、この博物館があまりに広く大きいからにほかならない。

 同時代で古賀と同じくらい活躍した大衆作曲家といえば、服部良一(1907-1993年)と古関裕而(1909-1989年)があげられる。だが、福島市にある古関裕而記念館は2階建てではるかに規模が小さく、服部にいたってはそもそも記念館自体がない。

福島市古関裕而記念館。

 福島市古関裕而記念館。

 それにくらべ、古賀の博物館のゆとりのあること。しかも出身地の福岡県大川市にも、もうひとつ別に古賀政男記念館があるのだから驚かされる。

 古賀の豪邸は、その没後しばらく博物館として公開されていたが、やがて建て替えられ、1997年、現在の音楽博物館としてリニューアル・オープンした。隣接する賃貸ビルを含め、古賀政男音楽文化振興財団(古賀財団)によって管理されている。

 それにしても、気になるのは隣のビルだ。なぜここにJASRACの本部があるのか。じつはこれが曰く付きなのである。

 歴史は1993年にさかのぼる。この年、古賀財団とJASRACは契約を結んだ。その内容は、古賀財団がJASRACより約78億円の無利子融資を受けて賃貸ビルを建て、JASRACがそのビルの大半を完成後に賃借する――というものだった。

 これを知った小林亜星らJASRAC会員の一部が「古賀財団に有利すぎる」などと異議を申し立て、同執行部が総退陣する騒ぎになった。そして新執行部が契約見直しを求めて融資を凍結したため、融資の継続を求める古賀財団との間で裁判に発展したのである。

 その間、なかにし礼、黛敏郎、永六輔、野坂昭如、すぎやまこういち、三枝成彰など、錚々たる作詞家や作曲家たちが事態の収集に向けて奔走したが、最終的にJASRACと古賀財団は、融資額を減らす、利子も付けるなどの条件で和解。JASRACも予定どおり新橋から代々木上原に移転した。つまり現在隣り合っている両団体は、かつて法廷闘争を繰り広げていたわけである。

 ちなみに、このときの和解にJASRAC理事長として尽力したのが、元文部官僚の加戸守行だった。加戸はのちに愛媛県知事に当選し、加計学園問題で盛んにメディアに登場することになる。

 それはさておき、なぜJASRACにそんな大金があったのか。それは、カラオケブームやミリオンセラーの連発により、1990年代なかばに800億円近い音楽著作権料が同団体に集まるようになっていたからだった。

 もちろん、その著作権料は会員に分配しなければならないのだが、データ集計の関係で、徴収から分配までにはタイムラグがあり、JASRACの内部にはつねに大金が滞留していた。これが融資に回ったのである。もっともこのやり方は、一部の会員からすれば「預けてある金を勝手に流用している」と映り、反発を招いたのだった。

 このように暗い歴史はあるけれども、いや、あるからこそ、代々木上原は、日本の音楽産業のシンボルとしてこれ以上ない価値をもっている。

 音楽の展示はむずかしい。歌詞カードやレコードを並べても、その往時の勢いを示せるわけではない。若いひとには、昭和歌謡の黄金時代といってもいまいちピンとこないだろう。

 だが、ここは違う。その広大な土地が、その豪壮な建物が、そのまま歴史を物語っている。それゆえ、最初の感想は訂正しなければならない。音楽産業は戦後も儲かっていたのだな、と。

 ビジネスは綺麗事だけでは回らない。戦前・戦後を通じて、音楽産業の禍々しいまでの馬力を感じられる場所は、今後もここ以外に登場しないだろう。

(連載第6回)
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■辻田真佐憲(つじた・まさのり/Masanori TSUJITA)
1984年、大阪府生まれ。作家・近現代史研究者。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院文学研究科中退。政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビュー、インタビューなどを幅広く手がけている。著書に『天皇のお言葉』『大本営発表』『ふしぎな君が代』『日本の軍歌』(以上、幻冬舎新書)、『空気の検閲』(光文社新書)、『文部省の研究』(文春新書)、『たのしいプロパガンダ』(イースト新書Q)、『愛国とレコード』(えにし書房)などがある。監修に『満洲帝国ビジュアル大全』(洋泉社)など多数。軍事史学会正会員、日本文藝家協会会員。


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